「最後に兄弟たち。主イエスにあってお願いし、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください。」(Ⅱテサロニケ4:1新改訳)
本章でパウロは三つの大切な教えを強調している。第一は聖化の大切さ(3~8)。第二は兄弟愛にますます励むこと(9~12)。第三はキリストの再臨と、そのときに起きる復活・携挙のすばらしさである(13~18)。▼テサロニケはギリシア偶像文化のただ中にあり、肉欲と放縦(ほうじゅう)が人々を支配していた。せっかくキリストの救いにあずかっても、福音の生命を固く保持して歩んでいなければ、恐ろしい誘惑の魔手(ましゅ)に呑(の)まれる可能性がある。そこで使徒は厳粛(げんしゅく)に「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです」と命じたわけである。▼与えられた御聖霊と共に歩み、汚れを憎み、兄弟どうしが愛によって助けはげまし合い、再臨の輝く希望に生きる、この三つが特に大切であるとパウロは強調した。これは二一世紀に生きる私たちにとってもまったく同じ警告である。黙示録2,3章に記された「アジアにおける七つの教会」への使信を読むと、称賛されている教会はスミルナ教会とフィラデルフィア教会の二つだけで、残りの教会は称賛とともにきびしい叱責(しっせき)が加えられている。つまりこれらの教会に生きるキリスト者たちは(全部ではなくても)、再臨のとき、携挙されない可能性があったのである。率から言えば、70%だ。これほどおごそかな警告はあるまい。まして終末の暗黒世界に生きる我らはどれだけ目をさましていなければならないことであろう。