「彼女は言った。『ご主人様、私はあなたのご好意を得たいと存じます。あなたは私を慰め、このはしための心に語りかけてくださいました。私はあなたのはしための一人にも及びませんのに。』」(ルツ記2:13新改訳)
ルツは思いがけなく、ナオミの親戚(しんせき)であるボアズの畑に入り、落穂(おちぼ)を拾うことになった。ここにも人の理解を超える神の導きを見出すことができる。▼彼女は謙遜であった。ボアズの好意にあまえることなく、私はあなたのはしための一人にも及びませんのに、と言いあらわし、しかもボアズがやさしくルツの「心の中に届く語りかけ」をしてくれたことに感謝している。風俗(ふうぞく)習慣のちがう異国の地で貧しい境遇に置かれた女性にとり、その言葉はどんなに嬉(うれ)しかったであろう。▼私たち異邦人キリスト者も、イスラエル人からみれば「野生種のオリーブ」が接ぎ木(つぎき)されたようなもの、心ぼそさを感じて当然の存在である。だが、イエス・キリストは「遠慮(えんりょ)せずに私のもとに来て、食事にあずかりなさい」と仰せられるのだ。その愛を深く受け止めたい。
なにゆえ み神は
①何ゆえ御神は かかる身をも 神の子とせしか 知るを得ねど
②何ゆえみことば 信ぜしときに 安きを得たるか 知るを得ねど
③何ゆえ主イエスを 救い主と 信じ救われしか 知るを得ねど
④わが世の終わりに いかなること 待てるかは露も 知るを得ねど
⑤救い主イエスを いずれの日に 見たてまつるかは 知るを得ねど
(折返) わがより頼む主は ゆだねたる身と魂(たま)を
守り得たもうと 確信するなり
<新聖歌357 詞:Daniel W.Whittle.1840-1901 >