「エフライムの山地の出で、その名をミカという人がいた。」(士師記17:1新改訳)
ミカは信仰心のあつい人物だったが、当時は律法を教える人もなかったため、各自が無知のまま礼拝をしていた。彼は自分勝手に神の宮をこしらえ、テラフィムという偶像を安置(あんち)し、息子の一人を任命して家の祭司にしていた。とんでもない律法違反だがそれを指導する者もいなかったと考えられる。▼ところが、たまたま旅をしていたレビ人の若者が立ち寄り、交渉の結果、ミカの家の専属(せんぞく)祭司となった。ミカが喜んだのは言うまでもない。こうして次章になると、ダン部族がミカの家を見つけ、この若者とテラフィムを持ち去り、パレスチナ北部の町(後にこの町はダンとよばれた)に偶像の宮を建てるに至った。以後数百年にわたり、ダンの町は南部の町ベテルとともに、偶像礼拝の中心地になったのである。▼最初はミカただひとりから始まった偶像礼拝が、発展して北イスラエルの公認宗教となった。まちがった信仰心が、いかに大きな影響をもたらすかを、この歴史は教えている。キリスト者は自分ひとりで生涯にわたり、正しい信仰の道を歩めると思ってはならない。まっすぐな道を行くために、教会生活を守り、聖書を読み、兄弟姉妹どうしの交わりを大切にし、互いに仕え合うことにはげむべきである。そうしてこそいつのまにか、それつつある自分に気づくのである。けんきょにならなければならない。また、自分が決して強い者ではなく、弱い一匹の羊に過ぎないことを心から認めることが、真に強くあることに通じるのである。