「ナオミは言った。『ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神々のところに帰って行きました。あなたも弟嫁の後について帰りなさい。』」(ルツ記1:15新改訳)
自分の民とその神々のところに、という言葉からわかるのは、当時の社会では民族神が中心にあり、人々はその信仰内で生活していた、ということである。つまりモアブにはモアブの神があり、ルツがそこから自由になるためには、イスラエルに移る必要があったのだ。▼たぶん彼女はナオミとの生活を通し、イスラエルの主こそまことの神にちがいない、との強い確信を抱いたと思う。それにしてもまったく見ず知らずのイスラエルに、貧しい二人のやもめが何のあてもなく帰ることは、あまりにも冒険的(ぼうけんてき)なことだった。記されていないが、ルツの友人、知人たちはひき止めたかもしれない。しかしルツの決心は固く、しかもそれは「イスラエルの神こそ本当の神」という純粋な信仰から出ていた。ただおひとり、天にいます父なる神は、ルツの信仰をごらんになり、おどろくべき将来を用意しておられたのであった。▼ところで士師記17章からルツ記までの物語には、ベツレヘムが関係している。この町(村といったほうがよいかもしれない)は、有名な王ダビデが出た所であり、のちに神の子イエス・キリストの誕生された場所でもある。そしてルツ記の美しいできごとに投影されているのは永遠の支配者キリストと異邦人から福音により選ばれるキリストのはなよめなのだ。おもえば士師記末期~ルツ記の時代は人間の罪深さと言う暗黒面と、その中にひときわ強く輝いた信仰の光の美しさの記録といえよう。