「また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。」(ヘブル9:12新改訳)
イスラエルはモーセの時以来、千数百年間にわたって動物犠牲をささげて来た。(ただし穀物のささげ物も含まれていたが)。おそらく一日当たり数十頭の羊、牛、山羊、鳩などが屠(ほふ)られたと思われる。だから、神殿(その前は会見の天幕)で流された血は動物のものとはいえ、ぼう大な量にのぼったことはたしかだ。▼ヘブル書は言う。それらはあくまでも表面上の儀式のためであり、人の良心を完全にすることはできなかった、と。しかしイエス・キリストが十字架上で流された血潮は、信じる人々の良心を永遠にきよめ続けるのだ、と。▼罪なき神の子羊、イエス・キリストのいのちがどんなに尊く、力あるものかを私たちはおどろきの目をもって見つめなければならない。この血を信じ受け入れ、良心をきよめられた人々により、永遠の神の国、すなわち新天新地は形造られるのである。どうか、ほふられた子羊に賛美と栄光と力、勢いが永遠にありますように。▼「また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。」(ヨハネ黙示録1:5~7同)