「あなたがたが、かの地に入り、どんな果樹を植えても、その実はまだ禁断のものと見なさなければならない。三年の間、それはあなたがたにとっても禁断のものであり、食べてはならない。」(レビ記19:23新改訳)
創造主なる天の父は、植物に対してもじつに思いやり深いお方である(→23~25)。私たちは果樹を植え、実が成ると何も考えずに、さっさと取って食べる。だが植えてから三年間はそっといたわり育て、四年目にはじめて神への供えものとしてもよくなり、五年目になると、ようやく人が食べられる状態になるのだ。▼現代人がこのような育て方を知っていたら、さぞ健康で無理のない果物や野菜ができるだろう、と思う。もうけるため、収益を上げるため、なにもかもそこに集中した栽培は、植物にとって地獄の苦しみかもしれない。にわとりや牛馬にとっても、聖書を無視した飼育は病気や不健康な生産に直結している気がする。▼生きとし生けるものすべてがあたたかい環境で共生していく地球、それは主キリストの再臨により、はじめてもたらされると聖書はいう。「荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び踊り、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う。これに、レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光が授けられるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。・・・荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れるからだ。焼けた地は沢となり、潤いのない地は水の湧くところとなり、ジャッカルが伏したねぐらは葦やパピルスの茂みとなる。」(イザヤ35:1~7同)