「喪(も)が明けると、ダビデは人を遣わして、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、彼のために息子を産んだ。しかし、ダビデが行ったことは主のみこころを損(そこ)なった。」(Ⅱサムエル11:27新改訳)
ダビデが陥(おちい)った罪は、エバの場合とよく似ていた。エバは禁断(きんだん)の木を見たとき、蛇の言葉にまどわされ、それをじっと見続けたにちがいない。「そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢(かしこ)くしてくれそうで好ましかった。」(創世記3:6同)▼ダビデもそうした。彼はバテ・シェバの裸(はだか)をじっと見つめ、目から心に入れてしまったのだ。このことから、罪の誘惑(ゆうわく)が侵入(しんにゅう)する経路(けいろ)は人の感覚器官(かんかくきかん)、なかでも目にあることがわかる。主はこれについて言われた。「からだの明かりは目です。あなたの目が健(すこ)やかなら全身も明るくなりますが、目が悪いと、からだも暗くなります。ですから、自分のうちの光が闇(やみ)にならないように気をつけなさい。」(ルカ11:34、35同)▼私たちは十字架につけられた主イエスを生涯あおぎ続けるべきである。そこに罪と情欲、つまり古き人の完全な死が成就(じょうじゅ)しているからだ。