50歳を超えたら50年単位が具体化してきた。
人類の歩みに逆戻りは無いわけで、
インターネットや人工衛星が無い時代を
再び経験することはないのだわ。
こんな時代に
音楽芸術はどうなっていくのだろう??
娯楽としての商業音楽は今を生きている。
私が長年取り組んできた
西洋のクラシック音楽は、音楽芸術は、
これからの社会でどんな扱いとなっていくのだろう?
きっとたくさんの音楽家がそんなことを
考えているんじゃ無いかな。
西洋音楽の歴史は長いのか短いのか
400年ほどだ。
徳川家康が活躍していた頃
バッハはまだ生まれていない
400年のうちの50年は私も重なっている。
現代音楽の時代の中で育っている私は
この訳の分からない音楽が理解できるように
なるんだろうか?と不安に思いながら過ごして来た。
ほんの少しの理解と関わり。取り組み。
現代の戦後の作品たちはこれから評価されるのだわ。
きっとね。よくも悪くも。
良いと思われる作品が残って行き
演奏されるチャンスがあった曲が評価の対象になる。
恩師、増永は現代音楽に深く取り組んでいた。
時代に生きる演奏家として日本人としてのアイデンティティと
向き合っておられたのだろうなと思い起こす。
亡くなられて20年をとっくに超えて
まだ問いかけている私がいるんだな。
しばらくお墓参りに行けていない。
関東の門下生の皆さん、行って来てください。