マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

捨てられない人のはじめの一歩

2021-01-15 | 日々の暮らし
モノが溢れた部屋で、もしくは汚部屋と呼ばれるレベルの部屋で過ごして、このままではいかん!と思うけれど、どこから、何から手を付けていいのかわからない、片付けや掃除のプロに頼もうか。
でも、あまりお金をかけたくないし、見られたくないモノもたくさんある。
やはり自分でするか、でも、モノの多さと部屋の汚さにうんざりして動き出す気力が湧かない。
そんな人、とても多いのではないかと思っています。

かつての私の家と部屋も、モノが多くてとても暮らし難かったのですが、はじめの一歩さえ踏み出すことができれば何とかなるよ、という話を綴ります。
あくまでも、私の経験上感じていることですので、ちょっとしたヒントにする程度で読んでください。

動機
部屋をきれいに保つだけなら、頑張って毎日掃除をすればいいのですが、モノも減らしたいとなると、いろいろと考えたり手放す方法を探したりする必要性が出てきます。
すると、あまりにもモノが多すぎて、またはモノはそこそこの数量であっても、整理整頓や配置替えのことを考えれば考えるほど、モノを処分して減らすことが億劫に感じられてきます。

そもそも、何故片付けたいのですか?何故きれいにしたいのですか?何故モノを減らしたいと思ったのですか?
きっかけはいろいろあると思います。
動画や画像で、憧れに近い部屋がアップされていると、自分の部屋もこんな風にしたいと思ったり、そもそも日ごろから自分の部屋や家が雑然としていたり汚かったりしていたので、どうにかきれいでさっぱりした部屋(家)にしたいと思ったり、たまたま見たTV番組で部屋の片付け方を特集していて、自分もやってみようと思ったり。
そんな、ちょっとしたきっかけの方が、多いのかもしれません。

私は、このブログを始めた頃の記事に、何故モノを処分して減らし始めたのか、という内容をしばらく綴っていました。
まず、終活の一環であること。
私は、自分が旅立つ直前には周りの人に迷惑をかけたくないので、必要最小限のモノだけで暮らしたいと思っています。
しかし、本格的にモノを処分し始めたのはもっと昔で、動機と言えることが2つありました。

1つは、阪神淡路大震災。
私は被災したわけではありませんが、この大地震が起きたとき明け方だったということもあって、寝ている間に家具や荷物の下敷きになって亡くなった方が多く、自分の部屋にある背の高い家具に対して恐怖を感じるようになりました。

もう1つは、母への憎悪と言いますか反発心と言いますか、そういうマイナスな気持ちが、モノを処分する動機に繋がっていきました。
母が私の希望や意見も聞かずに揃えた家具、雑貨、洋服、インテリア雑貨など、見ていて心底不愉快になっていて、このままではますます母に対する憎悪が膨らんでしまい、ストレスになってしまうと感じ、母の勝手で購入したモノすべてを手放すことを決めました。

私のような動機で、部屋や家を片付けたいと思う人は、あまり多くないと思うのですが、本気で部屋を片付けたい、モノを減らしたいと思う動機は、実はなんでもありで、本質は「モノで溢れた部屋が嫌だ」「汚部屋が嫌いだ」というところなのだと思っています。
私の場合は、部屋が汚れていたわけでもなく、ごみが散乱していたわけでもなく、ただ部屋にあるモノにこもった母への嫌悪感=汚いモノ、という気持ちと、倒れてくる家具やモノに対する恐怖感が強かったから、モノを処分する動機としては十分でした。

このように、片付けたい、モノを減らしたいと思う動機は、負の感情でもいいし、ただただ憧れの部屋に近づけたいだけだという前向きな感情でもいいし、それは人それぞれ。
モノを減らしたり処分したりすることに、正しい感情や動機なんて存在しないのです。
ただ、モノを減らしたいというだけでも、立派な動機ですから、今すぐにでも取り掛かりたいと思っているのであれば、なんでもいいですから、1つごみ箱に入れるか、粗大ごみの手続きをしてみてください。

方法がわからない
ただ、当時の私はモノを処分する方法が解らず、どうしたら大きな家具を処分できるのだろう、たくさんのモノを手放せるのだろうと悩んでいて、すぐにとりかかることはできませんでした。
でも、おかしいですよね。
処分方法が解らないなんて言っても、調べればすぐにわかることですし、粗大ごみを出すルールも分別方法も、きちんと知っていたのですから。

私が解らなかったのは、実は処分方法ではなくて、処分してもいいという許可の取り方でした。
許可を取る相手は、自分自身と親と一般的な道徳的観念。
はっきり言って、この3つから許可を取るのが、いちばんの難関だったなと今では思います。

え?自分自身?と思われるかもしれないのですが、意外と自分が思い込んでいた常識や気持ちに折り合いをつけるのは難しいのです。
そして、親の許可。
これは、親の「モノを粗末にしてはいけない」という常識と躾に縛られている結果、自分自身が処分すると決定しても、親がそれに意見したり反対してきたりします。
何なら私が出したごみの中から、黙って抜き取って自分たちの部屋でちゃっかり使ったり飾ったりして、私の行動を暗に否定してきます(苦笑)
親に対する孤独な攻防は、体力と気力と忍耐力が必要です。
せっかくモノを減らそうとしても、早々に出鼻を挫かれることが多いので、なるべくストレスを長引かせないためにも、頑張って許可を取る必要があるのですが、この説得がいちばん長期化しますね(笑)

一般的な道徳的観念は「モノを粗末にしてはいけない」ということも含まれますが、要するに「勿体ないから捨てない方がいい」という思考ですね。
勿体ないということ自体は理解もできるし、自分もモノを粗末にしてはいけないと知っているし、実行していることもありますが、何かモノを手放そうとするとき、必ずと言っていいほど、誰かが「何でそんないいモノを手放すの?勿体ない」と言ってきませんか?
私は、何度もそういう言葉を聞いてきたのですが、始めの頃は「そうか、勿体ないから手放さずに持っておくほうがいいのか」と真に受けて、思い切って処分することができませんでした。
でも、よくよく考えたら、それは私自身の価値観ではなく、他人の価値観です。
私がもう要らないと思ったモノなら、誰が何と言おうと手放せばいいのに、手放してしまったら私はいろいろな人から非難されてしまうのではないかしら?人として最低のレッテルを貼られてしまうのではないかしら?などと考えていて、一般的な道徳観念である「勿体ない」という気持ちに対して、使えるモノやきれいなモノでも手放していいという許可を取るにはどうしたらいいのか、と悩みましたね。

罰は受けてやる、ドーンと来い!
結局、いろいろな情報を探しているうちに、使えるモノでもきれいなモノでも、自分にとって不要なら処分していいと思えたのは、モノを粗末にした結果として罰が当たったとしても、全部受け入れてやるわ!と開き直れたことが大きいですね。
いまだに、未使用品や使用済でもきれいだったり、購入してから日が浅かったりするモノは、処分するときに躊躇することもありますが、それは購入した自分自身の責任ですからね。
使い難かったり、いまいち好きになれなかったりするのであれば、いつまでも持っておくことはせずに、サッサと処分してスッキリすることをおススメします。
それが、どんなに高額であろうと、高級品であろうと、将来値打ちが上がる可能性があろうと、今の自分が管理できない、メンテナンスできない、使用する予定はない、自分以外の家族も必要としていないのであれば、手放しましょう。

はじめの一歩
ここまで、精神論的なことを綴ってきましたが、いくら気持ちの準備が整っても、行動を始めることはまた別の大変さがありますよね。
でもね、この段階でも結局は自分の気持ち次第なのです。
粗大ごみであれば、1分1秒でも早く申し込みができるか。
売却の場合は、すぐに買取業者を探したり見積もりを依頼することができるか。
普通ごみに出すのであれば、何も考えずにすぐごみ箱へ入れられるか。

きっと、モノを処分できない人って、やり方は重々わかっているけれど、気持ちの整理がついていないだけなのですよね。
忙しいから手続きできない、まだ使える、まだキレイ、高かったから、売れば幾らかにはなるはず、誰かが使ってくれるかも、そんなことを言っている間は、まだ気持ちの決心がついていないから、順番に捨てない言い訳をしているだけ。
私も、つい最近までそうでした。
もう処分しても問題ないはずなのに、好きだから、癒されるから、私にとって精神的な価値があるから、と言っては、処分を見送ってきたモノは、たくさんありましたから。

アドバイザーと一緒に片付けをする動画を、一度客観的な視点で視聴してみてほしいのですが、視聴している人には「もう捨てたらいいのに」と思えるようなモノでも、片付けたいという本人は迷って迷って、最終的に保留すると言います。
でも、保留に至るまでに、捨てたくない処分したくない理由が、二転三転していることに気が付くと思います。
最初は、気に入って買ったからと言い、一度も使ってないから、まだ使っているから、と言い、次に勿体ないから誰かにあげようかな、売れるかな、と言いながら、でも準備する時間がないな、となって、どうするか考えます、と保留する。
1つの理由だけで保留する人は、ほとんどいないのがよくわかります。
実は、保留する理由が1つではっきりしている人は、判断時間が短いです。
これ売ります、これ〇〇さんにあげます、これ高かったから安い方を処分して使います、というように即答できます。
また、忙しさを理由にせず、思い付いたらすぐに電話したりスマホでWEB手続きしたりと、行動に移します。

結局、モノを処分できない、捨てられないという人は、気持ちの問題を解決するのがはじめの一歩になるのだと気付いたのは、私もつい最近です(笑)
気持ちが強すぎて手放せないモノは、そもそも捨てようとも思わないし、何故処分する必要があるのか、と堂々と言えるはずなので、手放そうかどうしようかと迷っているモノに関しては、2つ以上の言い訳をするようであれば、処分することを考えましょう。

それでも何から手を付けていいのかわからない人へ
今、家や部屋が片付いていなくて、モノが多くて、掃除も満足にできていない人は、目の前にある何かを手に取って、じっくり考えてください。
それが使い慣れているモノであっても、なんとなく使っているモノでも、とにかく目の前にあるモノだけに集中して、捨てていいモノかどうかを考えてください。

例えば、それがテレビのリモコンだとしたら、テレビを見るために絶対に必要だと判断すると思うのですが、手に取っているモノが以前食べたお菓子の缶だったとしたら、どうですか?
中にこまごましたモノを入れているけど、他の容器に入れ替えてもいいかもしれないな、絶対にこの缶を使う必要性は見つからないな、と思ったら、すぐに缶の中身を出して缶を捨ててください。
ただそれだけ、十分です。
もう、それがはじめの一歩です。

もし、すぐに行動に移せたのなら、二歩目は簡単です。
また、なんでもいいから手に取って考えて、判断することを繰り返して下さい。
途中で判断力が鈍ったら、そこでいったん終了しましょう。
続きは、明日以降いつでもいいですが、何か捨てようと一瞬でも思ったら、次の一歩をすぐに始めましょう。
繰り返すうちに、だんだん慣れてきて、最終的には不要品をどんどん手放せるようになってきます。

慣れてくるのは、判断力だけではありません。
気持ちの整理にも、だんだん慣れてきます。
もう、これは持っておく必要がないのだ、と自分を納得させることが容易にできるようになってきます。
気持ちの整理が順調になってきたら、もう大丈夫。
よくテレビや動画で紹介されている片付けを、自分自身で始めましょう。
全出しでもいいし、ときめきで判断してもいいし、誰かが推奨する片付ける順番を実行してもいいです。
自分に合いそうな方法で、モノを減らして片付けてください。
途中でくじけてもいいですから、無理のないように自分のペースを守りながら、作業を進めてください。
要不要の判断基準も、自分で決めて大丈夫です。
カリスマ性のある誰かが言っていたから、判断基準を変更しなくては、と焦らなくても大丈夫。
片付けているうちに、モノを手放しているうちに、同じ答えに行きつきますから。
なんだかんだ言っても、最後にはモノが自分のテリトリーからなくなるという結果は同じですからね。

だから、先のことはひとまず考えないで、目の前にある何かをひとつ捨てて、Mission completeとしましょう(笑)


本日は、捨てられない人のはじめの一歩の踏み出し方について、私の考えを綴りましたが、すべて私の経験に基づいて私が独自に考えたことですので、正しい一歩の踏み出し方かと言われると、わかりません(苦笑)
ただ、私がはっきりと実感していることは、モノを処分するためには、自分の中にある罪悪感に寛容になることと、自分以外の観念や常識が不要だということです。
誰かの意見を参考にすることは大事ですが、最後は自分、とにかく自分、自分が決めて自分が捨てるのです。
これから、不要なモノを処分しようと思っている人は、まず気持ちを整えることから始めてくださいね。