マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

手放した今の心境(好きなモノ、趣味のモノ、グッズ系)

2021-01-30 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
昨日は、家庭ごみ回収日でした。
出したごみの中には、やっと処分することにしたサイン入りのレプリカユニフォームが入っていました。
家の中には、使用しているモノ以外のグッズは全てなくなりました。
趣味で集めていたモノや好きなモノも含めて、処分してしまった今の心境を、振り返って綴ります。

これまで処分した好きなモノ、趣味のモノ、グッズ系
思い出すだけでも、かなりの種類と量がありますが、思い出せるだけ思い出してみると、アーティスト、アイドル、俳優、野球関係、サッカー関係、漫画やアニメ、ディズニー、絵本、ミニチュアとドールハウス、イラスト(描く方)、食器類、ぬいぐるみと、項目だけを書き出しても、かなりの数ですね(笑)
振り返ると、私の趣味範囲が広く浅いことを再認識します(苦笑)

この項目をさらに細分化すると、例えばアーティスト、アイドル、俳優だと、雑誌、CD、DVD、ライブグッズ、映画グッズ、出演CMのフライヤーやパンフレットなどまで集めていましたし、漫画やアニメとなると、原作本、映画グッズ、キャラクターグッズ(さらにここは細分化されます)、コラボ商品となりますし、スポーツ関係でしたら、チームグッズ、選手グッズ、録画した試合のDVD、サイン、スポーツ雑誌、スポーツ紙の切り抜きと、とにかく集めたい種類がたくさんありましたね。

ディズニーは、主に食器と文房具関係、絵本は自分が幼少のころ好きだった絵本や、かわいい絵の絵本を集めるのが好きで、当時はいつか絵本カフェでも開けたらいいな、という夢もありましたが、諦めました。
ミニチュアとドールハウスは、食器収集と少し動機が似ていて、憧れている暮らしを投影させていました。

ちなみに、イラストは漫画好きの影響でして、描いている当時はさまざまな画材で机の引き出しが満杯になっていました。
モノづくり系や創作活動は、作品と道具の両方が増えるので、雑多になっていましたね。

割と手放すことに抵抗がなかったモノ
いろいろなモノを集めていた中でも、手放すことについて抵抗がほとんどなかったモノがいくつかあります。

ひとつは、食器類でグッズ系やディズニーのモノです。
以前も綴ったことがあるのですが、これらは私が本気で好きだったというよりは、他人軸で集めていたら素敵だとか、持っていたら人から羨ましがってもらえるとか、そういった承認欲求が集めさせたモノだったので、ある日ふと興味がなくなってしまいました(苦笑)
興味がなくなっても、処分するまでには少し時間がかかりましたが(買取や譲渡先を探していた)手放したときは開放感を得ましたね。
中には、高い食器もありましたが、少しも未練がありませんでした(笑)

絵本も、すぐに手放せたモノのひとつですね。
本なので、まず古本屋に持ち込むことができますし、知り合いの子どもにあげたりもしたので、私が集めた絵本で笑顔になる子どもがいるなら、それで満足だと思いました。
若い頃は、自分に子どもを授かったら集めた絵本を読んであげようと計画していましたが、本はまた買えばいいし、絶版になっていたら図書館で探してもいいし、趣味で集める必要性がないと思ったので、手放した今も後悔はありません。

ミニチュアとドールハウスは、後悔うんぬんよりも、とにかく飾る場所が確保できないという部屋事情があったので、一度全部処分して、またどうしても作りたくなったら、いろいろと集めたり買ったりすればいい、という気持ちで手放しましたが、結局手放して以来ドールハウスは一度も作っていませんし、ミニチュアも集めたり作ったりするのをやめました。

ぬいぐるみは、自分が本当は生きた動物と暮らしたかったけれど、それが叶わなかった代替として集めていたことに気が付いたことと、途中で自分の感情に変化があったので、最後は単なるモノとして捨てましたね。

なかなか処分できなかったモノ
当ブログでは、何度も綴ってきたことですが、人(人間)絡みのモノは、正直に言うと親の写真を処分すること以上に、自分の心を納得させることに苦労します。
要するに、捨てることも売却することも躊躇するし、単なるモノであるにもかかわらず情や思い入れが強くなってしまい、簡単には手放せないのですよね。
ですから、本当に長い年月をかけて処分してきました。

特に処分することを決心するまでに時間がかかったのは、サインを貰ったグッズや色紙でした。
中には、なんとなく「これくらいは残しておこう」という軽い気持ちで残していたグッズもありますが、つい最近まで持っていたのは圧倒的にグッズ系だったことを考えると、モノそのものではなくて、人を応援する気持ちをモノを持つという形で大事にしたかったのだということに、気が付きましたね。

その後、気持ちはモノがなくても変わらないというマインドになれたことで、ほとんどのグッズやサインを手放すことができました。

それでも処分していないモノもあります
どうしても処分したくなくて持ち続けているのが、好きな漫画と再放送のない好きなドラマのDVDです。
ドラマに関しては、もしかしたら有料の映像配信で観られるかもしれませんが、今のところそういう情報は入ってこないので、とりあえず処分せずに持っていることにしています。

漫画は、もうどうしても読むのをやめられません(笑)
暇があると、何度でも読み返してしまいます。
かといって、やたらと集めていた10代20代の頃とは違って、本当に好きな数タイトルと原作から派生したスピンオフを所有しているだけです(が、巻数が多いので結果的に大量になっているのが悩み)

ドラマのDVDと漫画は、視力に異常が出て読めなくなったり観ることが困難になったりしたときまでは処分せずに持っておくことにしていますが、もしかしたらいつか心境の変化が訪れて処分するかもしれません。

処分したモノを思い出して後悔するのか?
もし、ワード検索でこの私のブログ記事にたどり着いた人は、少なからず趣味のモノやグッズ系を処分するかしないかで悩んでいると思いますが、どうでしょうか。
そして、どうやって手放すべきか、どの方法がいちばん手放す際に適しているのか、自分が納得できる手放し方があるのか、と悩んでいるはずです。

しかし、いちばん心の中で気になって仕方がないのは、

手放したら後悔するかも

ということで間違いないですよね?
少なくとも、私がいつも処分に迷っているときは、この感情がいちばん強かったです。
勿体ないとか、せっかく貰ったモノだから相手に悪いとか、値段が高いからとか、新品だからとか、全部ただの言い訳、こじつけ、体裁なのですよね。
処分がどうしてもできないのは、実は手放して後悔する感情に苛まれたくないからなのです。
要するに、自分を悲しませたくない、つらい気持ちにさせたくない、ということなのです。

それはそうですよ。
だって、好きなモノや趣味のモノに囲まれて、自分はずっと癒されてきたし、充実感を持てていたし、幸せも感じていたのですから、それを自ら手放してしまったら、後悔するのは当たり前だし、悲しい気持ち、辛い気持ちになるに違いないと思うはずです。
例えば、愛する人を失えば、いろいろな後悔もするし、悲しいし辛いし、心が押しつぶされそうになります。
その気持ちを、人は想像するだけで胸が苦しくなるようになっています(違う人もいますが)

でも、それは人に対する愛情と、モノに対する愛情を混同しているだけだったりもするのです。
以前も言いましたが、手放し難いグッズなどは、好きな人、応援している人(アーティスト、アイドル、女優、俳優、擬人ですが漫画やアニメのキャラクターも)の分身として大事にしている人が多いため、人を愛するようにグッズにも感情移入うしてしまうのだと思います。
また、趣味のモノに関しては、自己肯定と承認欲求が関係していると、個人的には感じていて、その趣味のモノを手放してしまうと、自分のアイデンティティが不安定になってしまうことへの不安も、私にはありましたが、趣味は永遠に手放さなくても、一度休んでまた再開したかったら、そのときに新たな気持ちと環境で始めればいいということに気が付いてからは、趣味のモノをあっさりと処分できるようになりました。

感情を込めすぎていたグッズ系も、大好きだった趣味のモノも、その他のモノも、処分し終わった後は思い出して後悔したでしょうか、と問われたら、

後悔はしませんでした

というのが、私の答えです。

自分でも、割と私ってクールだったな、と思うのですが(笑)
「あれを持っていたな、こういうモノを持っていたな」と思い出すことはあっても、処分しなければよかったと思うモノは、何一つありませんでした。
つい数日前に処分を決めた、サイン入りのユニフォームも、処分したことに関しては後悔していません。

ただ、後悔という点では、違うことを後悔している自分がいました。

最初から持たなければ
処分したことに関しては、後悔したことはないのですが、その少し前、購入したり貰ったりする段階で、何故貰ってしまったのか、何故購入してしまったのか、という後悔というか反省は、実は結構しています。

例えば、モノを購入していたことに関しては、使わないモノや、大して好きでもないけどグッズだから購入してしまったことがあったので、もう少し目的を持って購入できなかったのか、と思いますし、サインを貰うのは、その人と会話するための手段ということもあったので、もっとコミュニケーション能力を磨いて、サインを貰わずとも言葉を交わせるようになればよかったではないか、と思っています。

ですから、後悔というよりは、当時の自分の行動を反省していることの方が多いですね。

今の私がはっきり言えること
ずっと大事にしてきたモノを手放した、今の私がはっきり言えることは、手放すこと自体を後悔したことは、一度もないということと、処分したことで、本当に大切にすべきことがわかってきたということです。
大切にすべきこと、それは自分がストレスを溜めずに、気持ちよく暮らしていけること。
家事炊事の邪魔にならないとか、時間を有効に使うとか、時には使っているモノをブラッシュアップするとか、アップデートするとか、不要なモノは持たないとか、つまりは暮らし・生活を整える、ということなのだと思います。

そういう意味では、まだ私は整える途中という感じですが、モノを処分したことで、かなり整った暮らしに近づいたことは実感できています。
もしかしたら、モノを少なくすることは、暮らしを整えるための近道なのかもしれません。
いくら家事のやり方を変えてみても、模様替えをしてみても、モノを買い替えたり修理したりしながら使っていても、整った暮らしをしている実感は、あまりありませんでいたが、モノが少なくなってきた今、自分がどうしたいのか、どのように暮らしたいのか、家事はどうするのが一番合っているのか、ということが分かるようになりました。
おそらく、モノに向いていた注意が、暮らしと自分の行動に向くようになったからでしょうね。

もしも、モノを手放すことに不安があったり、大好きなモノを手放すことに気持ちを痛めてしまうのであれば、ムリに手放さなくてもいいですが、それ以上に「今」の自分の暮らしがしんどいと感じ始めたら、まずは買いなおしができるモノから処分してみてください(その際に勿体ないとか高かったとかは考えてはダメですよ)
それがきっと、暮らしを整える一歩になるはずですから。


本日は、好きなモノ、趣味のモノ、グッズ系を処分して後悔したかどうか、ということについて綴りましたが、やはりこういったことは個人差があります。
あくまでも、私の場合は後悔していない、というだけです。
私のしている処分方法や気の持ち方について、どうしても受け入れられない人もいるはずです。
でも、私はこの先の人生で、どうしてもモノを減らしたい気持ちが強かったので、これでよかったと思っています。
大事なのは、自分がしっかりと納得できるかどうか、最後はそれが一番なのだと思います。