安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

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MMTと社会主義の組み合わせが最悪であるわけ

2020-04-07 11:54:40 | 政治
私にとってMMTは、”経済のあるべき姿”を考える上で、とても役立ちました
ただ。。一点。。最近になって思い至ったことがあります。大変重要なことです。
それは、MMTが技術論であり、理論であるがゆえに、使われ方によっては社会に大変な毒にもなる
ということでした。

渡瀬裕哉(わたせゆうや)さんという、政治アナリストがいます
私はこの方と2、3度面識がありまして
渡瀬さんは確かアメリカのATRという団体の会長グローバー・ノーキスト氏とも面識のある、保守派、小さな政府、減税派のアナリストです
この方が最近のツイッターでMMTとAIによる政治についてつぶやいておりました
最初、彼の主張は非常に極端かつ奇異に感じられたのですが、
よくよく考えてみますと、彼の言っていることには一理も二理もありました
MMTは議会制民主主義の否定である、とも、(意訳ですが)述べています
MMTなら政治はAIが決めればいい、AIに任せたらいい。。。というような意見もありました
なぜ彼はそういったのでしょうか?私はあまり良くない頭で考えました

思い至ったのは、次のことでした
1.MMTでは、政府は税収によって運営されているわけではない
2.MMTでは、税金は政府の予算を組むために必要なものではなく、単なるインフレ調整の機能に過ぎない

まず1によると、政府は徴税ではなく通貨発行によってお金を調達している(事実です)
ここから導き出される答えは。。。政治家は国民の血税から給料を貰っているわけではない
ということになるわけです
つまりこれは、政治家は”国から”雇われているわけであって、”国民から”雇われているわけではない
だから国民が血税を集めて代表を選んで政治をさせている、という、議会制民主主義の根底を否定するものとも言えるわけです

次に2によれば、税金は本来国の運営に必要ない、ということであり、そればかりか
逆に「国」が「国民」の面倒を見てやっているのだ、という理屈が成り立ちます
まさに大きな政府の発想・根拠そのものですね。国が国民の面倒を見る。。。という
税金はつまりインフレ調整装置に過ぎない。。。だったら、AIが税金の最適額を上下して調整すれば終わりじゃないか?
という意見も成り立つわけで、ここに政治家のいる必要性はありませんし、官僚だけで十分ということになります。
これも議員による議論不要説。。。議会制民主主義の否定ということになりますね

MMTが社会主義と一体になると、困った問題があるように私は思います
それはね。。。国民の勤労義務の否定。。。につながる、と思うからです
納税とは本来、社会のお役に立つように、ということで、社会の一員として
整備されたインフラや、整った社会保障制度の対価として、収入の一部を国や自治体に収めるものです
一方MMTの税金感による納税は単なるインフレ調整装置であり、国は一方的に国民をお世話するもの、
ということになります
社会を発展させるものは自由に伴う意欲です
国が際限なくお金を刷って国民に奉仕を続ける。。。というのは
依存心の高い人を大勢作り、意欲を失わせることになりはしないか?ということです
過度に他人の生活に施しを与えることは、その人の自立心を著しく阻害します
税金が国家予算の原資であると思うからこそ、無駄な税金を使わないように
みんな自立出来る人は自立しましょう、という話になるわけで
MMTが行き過ぎると、資本主義そのものが否定されてしまします

こうしたことがあると、私は思います
決して、MMTの理論が間違っているわけではなく、要はMMTには正しい政治哲学が必要
ということなのだと思います

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5 コメント

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議会制民主主義の否定? (gomiakuta)
2020-09-29 13:44:58
はじめまして。お説拝読しました。
MMTの考え方は議会制民主主義の否定につながる、という話ですが、私はそうは思いません。

>国民が血税を集めて代表を選んで政治をさせている、という、議会制民主主義の根底を否定するもの
とおっしゃいますが、政治家の地位と権限を担保しているのは、選挙であって誰のお金で働いているかではありません。

議会制民主主義は、財源が何であるかに影響を受ける制度ではありません。民意が根拠です。また、この民意はお金を出しているから担保されるのではなく、それと無関係に政治への関与を保障されるものです。
民間企業における株主の権限のようなものとは異なります。

ただ、確かに日本のMMT論者の方の中にも、MMTは納税者の社会貢献意識を軽視している、
という点を問題として挙げている方がいますが、そこは日本特有の工夫をすべきところであって、
MMTの本質的かつ致命的な欠陥とは思いません。
返信する
貴重なご意見ありがとうございます (ふきあえず)
2020-09-30 07:12:17
確かにおっしゃられていることはわかります
それを否定するつまりはありませんが、私の真意は
政治家には
「お前ら(国民)から給料はもらっていないよ」という言い方ができるという事実があるということですね
それと、もっと言わねばならないことは、議会制民主主義が選挙で選ばれたこと”のみ”を根拠とするなら、バラマキを止める根拠が全くなくなってしまうという事実です。
国民の血税だと思うからこそ、お金の使い道を慎重に考えるわけで、選挙に選ばれるためには国のお金を使って合法的買収をすることが近道であるなら、間違いなく衆愚制に移行してしまうことが考えられます
いくらインフレという限度があるにせよ、国の予算が国民の血税だという意識がなくなることは危険であると私は確信します
返信する
Unknown (gomiakuta)
2020-10-02 13:48:34
少々端的に書きすぎてしまったので、改めて最初に読んだ時の違和感とその理由を
説明させて頂きます。若干長くなります。

改めて述べる必要はないかもしれませんが、ご存知の通りMMTは、政府が国債発行をし、
中央銀行が最終的にそれを引き受け、統合政府としてそれらを相殺することで、
財政的な制限なく予算を生み出すことができるので、税を財源とする必要はまったくない、
と主張しています(財源としてはいけない、という意味ではないし、したければすることも
できるという意味だと私は解しています。ただ、財源として税に依存していると、受けなくて
も良い税収の制約がかかるので、税が財源ではない、ということが強調されがちなのだと
思います)。

さてインフレによる制限をとりあえず無視するとすれば、それ以外にもこれらの前提として、
政府は無限に国債を発行でき、中央銀行は無限に信用創造してそれを買い取れる能力が
必要です。統合政府にこのようなことができるのは何故か、を考えてみたいと思います。

お金のヒエラルキーで考えれば、最下層は借用書・小切手・手形になります。これらは
その上の銀行預金と兌換できます。その銀行預金も、要求されれば現金と兌換できます。
現金の上には国債・日銀当座預金があり、これがヒエラルキーの最上層となります。
では、これらは何を担保にしているのか? 担保は何もないのか? 実はあります。
それは国民による供給力です。これもMMTではあまり語られない部分です。
島倉原氏、施光恒氏、佐藤健志氏、中野剛志氏、柴山桂太氏らの座談会でも、この
供給力の視点がMMTをめぐる議論で欠けている、と話されています。

飲み屋のツケを考えても分かります。
ツケが利く飲み屋で、常連さんがツケておいてもらえるのは、その常連さんの信用の程度に
拠ります。では、その信用とは、何に対する信用でしょうか?
それは、支払い能力に対する信用です。では、常連さんの支払い能力は何によって支え
られているでしょうか? それは、その常連さんのお金を稼ぐ力、言い換えれば生産能力です。
マクロ的に見れば供給力です。これがツケを支えてくれています。国債も同じです。
それと相殺される中央銀行の信用創造も同じものが担保になっています。

つまり、中央銀行の信用創造は無から生み出しているとは言うものの、将来も含めた国民の
供給力が担保であり原資なのです。その原資が大きければ大きいほど、つまり、国民の将来的
な伸びや成長も含めた、供給力の高さが高ければ高いほど、インフレになりにくく、より多くの
国債発行が可能になり、その買取も保障されるということになるのです。
ということは、国民なくして国は成り立たないし、国民の供給力なくして通貨発行も国債発行も
できない、ということになります。
血税を持ち出さなくても、国民が国を支えているのは間違いないのです。

確かに、血税と言う表現をすると分かりやすく、国民の負担によって政府を運営しているの
だから民意を反映すべきである、という主張はしやすくなるでしょう。
しかし、事実としてこれは正確ではない。
正確には、国民の生産能力・供給力の範囲において、政府はその限界まで国債を発行でき
るのであり、国民の供給力を利用して財政を運営しているのだから、民意を反映すべきであり、
議会制民主主義はそれによって成立することになります。

以上の内容に加えて、いくつかの問題点を指摘させて頂きたいと思います。
①税の役割はインフレ調整機能だけではなく、主なものだけで5つある(インフレ調整、格差是正、
  通貨単位統一の根拠、特定のモノやサービスの消費抑制、社会貢献・社会参画意識向上)ので、
  財源としては不要でも、徴収する必要性がある。
②仮にMMTに関して財政拡大・緊縮の判定をAIに任せるのが妥当だとしても、政治家は経済
  や財政問題だけを考えていれば良い職業ではないため、結局は人間が必要となる。
③財源として税はなくても良い、とは言うものの実際には税が徴収されており、それがメインでは
  ないにせよ、国政の予算として運用されている以上、国民の財政への貢献は皆無ではない。
  よって、血税「も」使われている、という言い方は常に可能である。

とりあえず、最初にざっと読んだ時に気になったのは以上です。
しかし、前のコメントでも述べた通り、MMTは納税者の社会貢献意識を軽視しています。
日本は欧米よりも納税による社会貢献意識が高い国です。高所得・高納税者ほど、自分は
国に貢献しているという意識があります。
これについては、欧米生まれのMMTを単に輸入するだけでなく、日本風にアレンジして
その意識の高さをうまく活用していく必要があると思っています。
返信する
度々のコメントありがとうございます (ふきあえず)
2020-10-02 23:48:33
おっしゃることはよくわかります
私が一番問題としているのは、MMTがケインズ経済学と結びついた時の、国民の意識の問題です
実は、このテーマを今後、どんどん取り上げていこうと思っているのですが、予習として語らせていただきます
経済学では基本的に不可知論が前提となっています
ですから、経済学では人間のやる気とか勤勉さとか
こうしたことが問題視されることはありません
しかし、経済学が世界的に見て最も役に立たない学問と言われる所以は
この不可知論によって、人間の精神性とか勤勉さとかを考慮に入れないで、データだけで語っているからです
これを言うと、主流の経済学者からは鼻で笑われると思いますが
しかし、国の信用とは、とどのつまり、その国に住む人間の精神性です
今現在の国民の信用については、あなた様のおっしゃるとおりだと思います
しかし
経済学は単なる学問であり、政治家がそのまま援用すべきではないと私は考えています
あなたはそれほど深刻に捉えていないかもしれませんが
今の政府の補助金や助成金の出し方は異常です
政府は働き方改革だとか言って、国民にできるだけ休暇を取るよう推奨しています
企業に対しては内部留保を放出し、最低賃金を引き上げよ、と、社会主義丸出しの政策を掲げています
本来、自分たちが貯蓄し、作っていくべき家庭を、
政府が60万もの補助を出そうとしています
私の言っていることが理解できなければ申し訳ないのですが
社会福祉が手厚くなればなるほど、国民の勤勉さは失われていきます
今の流れは、「子供は政府がお金を出して育てるもの」
「高齢者は政府の援助で生活するもの」
こうしたことが当たり前になってきています
私は危惧しているんですよ
国民の信用とはね、勤勉さ、実直さ、そして責任感です
MMTもいいが、税金は国民の血税であり義務であるという考え方を外したら
人は何でもかんでも国がやればいいと、易きに流れていきます
18世紀のイギリスがスマイルズの自助論で繁栄したように
20世紀のアメリカが、ノーマンビンセントピールやナポレオンヒルらの成功哲学で繁栄したように
勤勉さと心の力によって国が富んでいくのが繁栄の当たり前の姿だと私は思っています
MMTでお金を無限に刷れると主張しているわけではないことは、重々承知していますが
制度をいじれば国がそのまま繁栄するという考え方は机上の空論です
そこに国民の精神性を引き上げていくことを考えるべき
だからこそ、国民には誇りを持って納税してもらいたいと思います
大体、ケインズ理論のニューディール政策でアメリカ経済は復活したと信じる人が多いようですが
私はむしろ、その頃に始まったアメリカのニューソート運動、成功哲学の広がりによって
アメリカが誇りを持った繁栄の国に生まれ変わった
と、そう思っています
返信する
補足ですが (ふきあえず)
2020-10-03 00:05:39
言い忘れたことがありましたので補足しておきます
私も元はMMTを随分と勉強し、傾倒しておりました
でも、何か足りないものがあると、いつも感じていたんですよ
日本には生産能力と信用がある。。。それはその通りですが、それは今現在の話です
つまりね、MMTはデータ解析によって、もっとお金を刷っても大丈夫だ、とか、そろそろインフレが起きるぞ、とか
それを判断するという理論です
それで肝心なことはね、それだと、MMTによる信用創造は、AIに任せるのが一番いい、ということになるのですよ
しかしね、忘れてはいけないのは、データはいつも過去のことしか表示しないのです
しかも、そうなった原因に国民の心理状態の変化があったとしても
それをAIは解析できません
次の時代のことも、今の延長だと言うだけならある程度解析は出来ましょうが
例えば明治維新の時のような変化に、AIや過去のデータが通用するかといえば、それは無理なんですよ
MMTは残念ながら、そのままでは机上の空論なんです
大事なのは、人間の精神性、心です
今の状態で経済を解析しても、人間の将来的な精神性の変化を考えなければ、MMTもまた、机上の空論になりますよ、と
私はそう言っておきたいと思います
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