絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

授業参観

2008年05月02日 23時53分29秒 | Weblog
そうだった、今日はこれをかかなきゃ。。。
とにかく疲れました。寄る年波。。。
今日はオーラルコミニュケーションというのか
イギリス人の先生と通訳?の女性の先生だった。
先生はずっとしゃべりっぱなしで大変そうだったが
すごく楽しい授業だった…子どもは三回も当てられて、
帰宅してからキャーキャー騒いでいたけど。

そのあとは学習方法の話やら、近頃騒がせている携帯に関する
さまざまなトラブル(実話集)の話やら盛りだくさん。
先生の語数(1分間の)の多さにびっくりする。
アナウンサー並みだ。

アナウンサーだけでなく
テレビに出る人たちはみな「ものすごい速さで」たくさんの
ことばをしゃべっている。そうとはあまり気づかないが…
今度注意して観てみて下さい。

引き続きサポーターの話

2008年05月02日 23時05分26秒 | ボランティア
昨日の会議で、はじめに今年度の登録者の名簿が配られた。
名まえや登録内容のほかになんと!?年齢が書かれていた。
これは相当ショックなことだ。サポーターは全員女性なのに。
年齢がむやみやたらと公表されて良いのか!
(ってどうでもいいようなことだが、これでたぶん来年度登録者は減る)

何故年齢など書かれているかといえば、
この書類はもともと学校が教育委員会に提出するもので
ボランテイアが入る保険の手続き上年齢を書くからなのだ。
サポーター向けに、年齢の欄を消せばいいだけなのに
そのまんま印刷してきたのである。

スクールサポーターの制度が始まって2年目に
女性の校長先生がやはり同じことをやったが、
そのとき「ああ~~先生!年齢が出てます~~!」という
サポーターの叫び声を聞いて、この校長先生は
即行でこの書類を回収して行った。
そして後日、改めて【年齢抜き】のペーパーが
配られたのだった。。。

今年のサポーターの反応もやはり「ぎゃ~~~!」という
絶叫に近いものだったが、新しくきた男の校長先生は
どこ吹く風で「今年から保険の関係上年齢を載せないといけなかった」
などと嘘の供述!?をして、全く意に介さなかった。

「こんなの個人情報なのに勝手に書いたらだめですよ」と
誰か訴えていたが、昔の女性校長のときのように
ペーパーを回収することはなく
永遠にみんなの年齢は脳にインプットされて行ったのだった。。。

どうでもいいけど、やっぱり勝手に人の年齢を
印刷して配ってはいけないんじゃないの?
法律がどうのこうのではなくて、こんなふうに
デリカシーに欠ける、ということは
これをやったら相手がどう思うか、を想像できないということで
それはすなわち「人間(子ども)」相手にする仕事に
不向きってことじゃないのかしらん…

スクールサポーターは、学校の協力者なんだから
もうちょっと校長先生も考えて欲しい。
彼女達が「なにこれ!」と思ってしまったら
その瞬間から消滅していくものなのだ。

地域の人

2008年05月02日 00時18分11秒 | ボランティア
今日は、今年度の小学校のスクールサポーター会議があった。
例年全体会はこの年度はじめだけで、後は各種別ごとに活動する。
本の修理・整理、本読み、営繕(廊下のPタイル修理、
門扉のペンキ塗り!など)、花壇の手入れ、児童の交通安全サポート
校外マラソンのポイント係などなど…たくさんある。

昨年まではこの活動に市から薄謝が出ていたが
今年から完全なボランティアとなった。
うちの小学校がこの活動が盛んでたくさんお金を使ってしまうからだ
などともっともらしくしゃべっている保護者もいるが
薄謝を出すか出さないか以前に、この活動にあてられた予算を
どのように(活動した小学校に)割り振るのか
それについて市(教育委員会)はまじめに考えてなかった。
現場が煩雑なことになったり、不公平なことが生じていても
知らん顔を決め込んでいた。
なにも対策をださないというか、方針を考えなかったのは
どういうことなの?さぼりじゃん。。。
なにより驚くのは、そんな仕事内容でも済んでいく、ということである。
(なんで?だれか天誅を!?)

文句を言いつつ、今年も結局(卒業したけど)サポーター登録をした。
6年間《超》まじかに学校社会に接してきて
いかに先生たちが「子どもだまし」なことをやり続けているかわかる。
しかも、かれらはそれを「いけないこと」と全く思っていない。
ときにそれは保護者にばれて…
しかしながら彼らは、子ども達を言いくるめるのと同じように
それをその場しのぎの「ちいさな嘘」で逃れようとする。

などなど、「あ~~あ」と思うけれども
自分は、教室に行ってたくさんの子ども達を見ると、
なぜか元気になります。
<いのちのかたまり>みたいな子どもらはほんとに面白い!
何を考えているのかな?とか
これからどんな風に変化していくのだろう?とか
いろいろ思って楽しくなってきてしまう。
その存在だけでも面白いのに
本読みなどすれば、さらに「この絵を見ているみんなの頭の中は
どんな風になっているのか!?」と想像する。
(ちょっと変かも…)

「子ども」は変化していく存在だからこそ、あんなに魅力的なのだ。
いや、子どもでなくても、【変化】を予感させるものは、
やっぱり魅力的なのだ。