昨日は帰ってすぐに忘れないように書けるだけ書いた。
というのも今日は急ぎの仕事があって、それに追われるのが
わかっていたから。
ちょっとだけ横道それるけど
オリンピックで服装問題でとりあげられた国母選手いるよね。
服装問題から発展して他にもいろいろ叩かれたよね、マスコミに。
でも、私はなんか彼に対して悪い気持ちは抱けない。
彼がね、オリンピックも他の大会と同じ競技の場って言ったことに対して
いろいろ言われたけれど、この考え方って悪いかな~?って。
ついつい音楽に置き換えて考えてしまう私がいて。
これは大きなアリーナでやろうが、武道館でやろうが
ちっちゃなライブハウスでやろうが同じだと言っている
The HIATUSの細美くんを始め、いろんなアーティストと同じじゃないのかなって。
その場でベストをつくすこと
すべてを出し尽くす事に差はないんじゃないかと。
私はだから、国母選手はいいやつなんじゃないかなって思ってしまう。
昨日のFoZZtoneのライブで感じたこともこれに近い。
おそらく東京でのライブを知っている人には
想像できない感じだったと思う、昨日の京都は。
私はそんな京都の音楽気質は知っているから
そう驚きはしなかったけれど、
モッシュとかダイブとかするなんて考えられない
空間だったと思う。
ときおり、ごく少数のロック気質満載の人たちも
いたけれど、ほんとうのほんとうに少なかった。
最後の最後で2人モッシュサークルしてた女の子たちが
いたけれど、それに驚いていたステージ前の3列ほどの人たちの
様子が忘れられない。もちろん身勝手なモッシュサークルは
好きじゃないけれど、彼らががまんできずにやってしまった感覚は
なんとなくわかる。
「フォズってロックだろう?」って
「かっこいいロックンロールだろう?」って
ただ、ステージからそれを見てた渡會さんの顔が
笑顔ながらもなんともいえない微妙な表情をして
「おいおい怪我すんなよ。」って
心の声が聞こえるようだったけれどね。
でも、私は静かに見ていた人も
そういう風に見ていた人も
どちらもフォズが好きならそれでいいやって思う。
前までは追っかけみたいな人に対して
結構、「どうなん?」的な発言をしていたけれど
あるときから感覚が変わった。
たとえば、学校の先生がいて生徒たちがいる。
で、生徒にはやんちゃするやつもいれば、大人しいやつもいる。
でも、結局愛情ある先生なら、みんな同じにかわいいはず。
それと同じで、ステージのアーティストも
お客さんとして自分たちのステージを見に来てくれる人は
すべてどんな人であれ、同等に大事に思ってくれるはず。
だから、ファン側の気持ちで
「音楽聞きにじゃなくて、彼に会いに来てるんじゃない。」
っていうような、いわゆるミーハー的な人はだめじゃんみたいに
思ったとしても、アーティスト側からすれば、なんら問題ないわけで。
みんな同じに「笑顔をくれてありがとう」って思うはず。
だから、自分は自分なりの楽しみ方をして回りについては
気にしなくてもいいわけ。
渡會さんにあこがれている人はそれでいいし、
フォズの音楽が何より好きって言う人もそれでいい。
どっちもありの人もそれでいい。
ちなみに私は彼らがガチャピンとかムックとか
バルタン星人とかショッカーとか、どんな着ぐるみ着て
その正体を表さなくても、その音楽を聴きに行く。
だって、その音楽を生み出す4人の魂が好きなんだもの。
目に見えないものが好きなんだもの。
それと、あのような空間においても
全力で、まるで武道館にでもいるかのように
歌ってくれているっていうのがすごくうれしかった。
そして、すっごくまぶしい笑顔で会場を見てくれてたこと。
「こんなもんかい。」みたいなことはいっさいなくて
ひとりひとりに挨拶してくれているみたいに
歌ってくれていたし、演奏してくれていた。
彼らは会場を差別化しないし、どんな場所でも
どんな人数でも、同じように宇宙に届くぐらいの勢いで
ライブを繰り広げてくれるって昨日確信した。
「ブランケット」の時は(ごめんね、これだけ書かせてね。)
涙が出そうだった。こんなにも素敵なバラードってそんなにない。
言葉で表現するのは難しいんだけれど、歌の歌詞のひとつひとつに
血が通っているというか、何かが宿っていて、それが聴き手の心に
飛び込んでくるんだ。小さな妖精達が目に見えないブランケットを
ひとりひとりに掛けてくれるような感覚というのか。
今までライブのたびに髪型変わっているって思ったけれど
今回の渡會さんの髪型はそんなに変わった感じはしなかった。
彼は変わるのをやめたのかな?
それはいい意味で。
彼が思い描く音楽を貫いて、そこで多くの人の心をつかまないと
意味がないって思えたのかな?
私はそうあってほしいと思っている。
こんなに良質なロックって、そうないよ。
少しだけ菅野さんと話したときに
「ロックが好きなメンバーだけど
バラバラなのをみんな聴いてる。
たとえば、UKよりだったり、アメリカよりだったり
70年代だったり、80年、90年代だったり
それが融合していろんな曲になってるし
これからもそういう風にいきたい。」って
いう言葉をもらった。
それってすっごくかっこいいよね。
もう世間の流れに流されないぞ!っていう感じで。
だからちゃんと羅針盤(ロードストーン)があるんだね。
きっと、その4人の思いがロードストーンなんだと思う。
その思いが向く方向へ舵をとっていけば、
やがて思い描いた場所に到着するはず。
私はちっぽけな船でその後をついて行くので
溺れそうになったら、浮き輪投げてください。
ト音記号型のでもオーケーです。
京都にはこれからも来ますと言ってくれたけれど
本当にそれを信じて待っています。
あと、アンコールのときに携帯が鳴って
それに対して竹尾さんが
「携帯なってるし」って結構ストレートに言ったら
すぐに渡會さんの「大丈夫、傷つかないでね。気にしなくていいよ。」
っていうフォローが入って、それが2人の性格出ている感じがして
いいなぁ~って思った。
竹尾さんはストレートで自分を隠さない人で、きっと根に持たない人なんだろうね。
いつも淡々としてるし、心ここにあらずみたいな感じもステージを降りたときに思うことも
あるけれど、そういうスナフキンみたいなところが好きだ。
渡會さんは気を回す方で、繊細な心の持ち主だと思う。じゃないと
あんな詩は書けないよね。
菅野さんとは今回物販にて初めて話をさせてもらったけれど、
ステージの激しさとは裏腹に落ち着いた感じの方でした。
コッシーさんとはお話できなくて残念。
これからもそんな4人組が
良い旅できるように多くの人たちと
彼らの音楽を大事にしていけたらと思います。
というのも今日は急ぎの仕事があって、それに追われるのが
わかっていたから。
ちょっとだけ横道それるけど
オリンピックで服装問題でとりあげられた国母選手いるよね。
服装問題から発展して他にもいろいろ叩かれたよね、マスコミに。
でも、私はなんか彼に対して悪い気持ちは抱けない。
彼がね、オリンピックも他の大会と同じ競技の場って言ったことに対して
いろいろ言われたけれど、この考え方って悪いかな~?って。
ついつい音楽に置き換えて考えてしまう私がいて。
これは大きなアリーナでやろうが、武道館でやろうが
ちっちゃなライブハウスでやろうが同じだと言っている
The HIATUSの細美くんを始め、いろんなアーティストと同じじゃないのかなって。
その場でベストをつくすこと
すべてを出し尽くす事に差はないんじゃないかと。
私はだから、国母選手はいいやつなんじゃないかなって思ってしまう。
昨日のFoZZtoneのライブで感じたこともこれに近い。
おそらく東京でのライブを知っている人には
想像できない感じだったと思う、昨日の京都は。
私はそんな京都の音楽気質は知っているから
そう驚きはしなかったけれど、
モッシュとかダイブとかするなんて考えられない
空間だったと思う。
ときおり、ごく少数のロック気質満載の人たちも
いたけれど、ほんとうのほんとうに少なかった。
最後の最後で2人モッシュサークルしてた女の子たちが
いたけれど、それに驚いていたステージ前の3列ほどの人たちの
様子が忘れられない。もちろん身勝手なモッシュサークルは
好きじゃないけれど、彼らががまんできずにやってしまった感覚は
なんとなくわかる。
「フォズってロックだろう?」って
「かっこいいロックンロールだろう?」って
ただ、ステージからそれを見てた渡會さんの顔が
笑顔ながらもなんともいえない微妙な表情をして
「おいおい怪我すんなよ。」って
心の声が聞こえるようだったけれどね。
でも、私は静かに見ていた人も
そういう風に見ていた人も
どちらもフォズが好きならそれでいいやって思う。
前までは追っかけみたいな人に対して
結構、「どうなん?」的な発言をしていたけれど
あるときから感覚が変わった。
たとえば、学校の先生がいて生徒たちがいる。
で、生徒にはやんちゃするやつもいれば、大人しいやつもいる。
でも、結局愛情ある先生なら、みんな同じにかわいいはず。
それと同じで、ステージのアーティストも
お客さんとして自分たちのステージを見に来てくれる人は
すべてどんな人であれ、同等に大事に思ってくれるはず。
だから、ファン側の気持ちで
「音楽聞きにじゃなくて、彼に会いに来てるんじゃない。」
っていうような、いわゆるミーハー的な人はだめじゃんみたいに
思ったとしても、アーティスト側からすれば、なんら問題ないわけで。
みんな同じに「笑顔をくれてありがとう」って思うはず。
だから、自分は自分なりの楽しみ方をして回りについては
気にしなくてもいいわけ。
渡會さんにあこがれている人はそれでいいし、
フォズの音楽が何より好きって言う人もそれでいい。
どっちもありの人もそれでいい。
ちなみに私は彼らがガチャピンとかムックとか
バルタン星人とかショッカーとか、どんな着ぐるみ着て
その正体を表さなくても、その音楽を聴きに行く。
だって、その音楽を生み出す4人の魂が好きなんだもの。
目に見えないものが好きなんだもの。
それと、あのような空間においても
全力で、まるで武道館にでもいるかのように
歌ってくれているっていうのがすごくうれしかった。
そして、すっごくまぶしい笑顔で会場を見てくれてたこと。
「こんなもんかい。」みたいなことはいっさいなくて
ひとりひとりに挨拶してくれているみたいに
歌ってくれていたし、演奏してくれていた。
彼らは会場を差別化しないし、どんな場所でも
どんな人数でも、同じように宇宙に届くぐらいの勢いで
ライブを繰り広げてくれるって昨日確信した。
「ブランケット」の時は(ごめんね、これだけ書かせてね。)
涙が出そうだった。こんなにも素敵なバラードってそんなにない。
言葉で表現するのは難しいんだけれど、歌の歌詞のひとつひとつに
血が通っているというか、何かが宿っていて、それが聴き手の心に
飛び込んでくるんだ。小さな妖精達が目に見えないブランケットを
ひとりひとりに掛けてくれるような感覚というのか。
今までライブのたびに髪型変わっているって思ったけれど
今回の渡會さんの髪型はそんなに変わった感じはしなかった。
彼は変わるのをやめたのかな?
それはいい意味で。
彼が思い描く音楽を貫いて、そこで多くの人の心をつかまないと
意味がないって思えたのかな?
私はそうあってほしいと思っている。
こんなに良質なロックって、そうないよ。
少しだけ菅野さんと話したときに
「ロックが好きなメンバーだけど
バラバラなのをみんな聴いてる。
たとえば、UKよりだったり、アメリカよりだったり
70年代だったり、80年、90年代だったり
それが融合していろんな曲になってるし
これからもそういう風にいきたい。」って
いう言葉をもらった。
それってすっごくかっこいいよね。
もう世間の流れに流されないぞ!っていう感じで。
だからちゃんと羅針盤(ロードストーン)があるんだね。
きっと、その4人の思いがロードストーンなんだと思う。
その思いが向く方向へ舵をとっていけば、
やがて思い描いた場所に到着するはず。
私はちっぽけな船でその後をついて行くので
溺れそうになったら、浮き輪投げてください。
ト音記号型のでもオーケーです。
京都にはこれからも来ますと言ってくれたけれど
本当にそれを信じて待っています。
あと、アンコールのときに携帯が鳴って
それに対して竹尾さんが
「携帯なってるし」って結構ストレートに言ったら
すぐに渡會さんの「大丈夫、傷つかないでね。気にしなくていいよ。」
っていうフォローが入って、それが2人の性格出ている感じがして
いいなぁ~って思った。
竹尾さんはストレートで自分を隠さない人で、きっと根に持たない人なんだろうね。
いつも淡々としてるし、心ここにあらずみたいな感じもステージを降りたときに思うことも
あるけれど、そういうスナフキンみたいなところが好きだ。
渡會さんは気を回す方で、繊細な心の持ち主だと思う。じゃないと
あんな詩は書けないよね。
菅野さんとは今回物販にて初めて話をさせてもらったけれど、
ステージの激しさとは裏腹に落ち着いた感じの方でした。
コッシーさんとはお話できなくて残念。
これからもそんな4人組が
良い旅できるように多くの人たちと
彼らの音楽を大事にしていけたらと思います。