HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

ロックンロールは鳴り止まない

2011年05月08日 | 邦楽
「俺ってコミュニケーション障害なんだ」

そんなことを言う子がいた。

どうしてそんなこと思うのかわかんなかった。

だって、ふつうに話しているじゃない。

「みんなが俺の言うことわかんないんだ。
話すとみんな引いてしまうんだよ。」

きっと今の世の中、
日本に限らず、そういう風に感じている人が
いっぱいいるんだと思う。
本当はそんなことないのにね。

ゲームばっかりやっている人たちは
ゲームの話で盛り上がる。

カードゲームの小学生は
カードゲームの交換で盛り上がる。

でも、そういうのに興味のない人間もいるわけで

たとえば

「サカナクションの曲が好きだ。」というと

は~?誰それ?

ファンキーモンキーベイビーズの方がいいぜ。
とか
嵐だよ、やっぱり。
とか
Greeeenはいいよね。
とか

多数決で
多い方が勝ちなんだよね。


少数派はまるで言葉の通じない人のように
扱われる。

ファイナルファンタジーがどうした!

巨人対阪神がどうした!

そんなもの興味ないっていう子がいても
いいと思うんだけれど

世間はなんかよそよそしい。


いっしょじゃないといやな人たちが
多過ぎる。


自分の知らない世界に臆病な人が
多過ぎる。

私は自分の知らない世界を知っている人が
眩しいのに。

知らない世界を教えてくれる人は
すばらしいと思っているのに。


だから
もしかすると
私はたくさん友達がいますっていう人に対しては
あまり信用してないのかもしれない。
すばらしいと思っていないのかもしれない。

なんか嘘っぽく思っているのかもしれない。

ほんとうの友達なんて
結局のところ
究極1人いればいいんだし。


ただ、友達じゃなくても
自分が心を注ぎたいって思う人が
たくさんいるのはいいなぁ~って思うんだ。

これを言うと嘘くさいけれど

「愛」を注げる存在がたくさんあるのは
幸せなんじゃないかと思うんだ。


別にこっちを向いてくれてなくても
私を愛してくれてなくても

なんかしてあげたい。
なんか幸せになってほしい。
がんばって生きて行ってほしい。

そんなことを思える存在は
いっぱいあるほど自分は幸せに思える気がする。

で、

そんな人たちのことを思って
泣く事は悪い事じゃないんじゃないかって
思えるんだ。


今日見た「神聖かまってちゃん」のドキュメンタリー見て
の子を応援したくなって
泣きたくなっても
悪い事じゃないやって
自分勝手に思ってる。


きっと余計なお世話だぜって
言われるだろうけれど

別に人の心なんて
見えないし、
手で掴めないし、
たたき壊すことだってできないんだから

思う事で負ける気はしない。


人を大事に思えるってことは
最高の武器だって
なんか改めて思えた。





コメント (2)
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いろいろ考えちゃうんだ

2011年05月08日 | 細美武士/the HIATUS
いろいろ考えることが多くて
家族のことや
仕事のことや
音楽のことや
自分のこれからのことなんか

人生は簡単じゃないな~って
こんな年でまだまだ手強さを感じてる。

細美さんがブログで「考える」ってことを書かれていた。
彼もいろいろ考える人であるのはわかっていたけれど
民放テレビに対する感じ方は共感できる。

私の父はいつも新聞は少なくても3社以上は読まなくてはいけないと
子どものころよく私に言っていた。

でも、今家でとっているのは一社だけで、
しかも忙し過ぎて、ろくに新聞も読めていない。
さささっとメインなところを読むかんじだ。

3社以上っていうのは新聞社によって考え方が
違ったり、ニュースの切り取り方が違うからだ。

だからテレビだって、すべてのニュースの報道を
真底信じることはなくて、どこか実際に自分が
行ってこの目で見なきゃわかんないって思っている。

それは昔読んだ石川文洋氏の「戦場カメラマン」という
本による所が多い。これを読むまで、ベトナム戦争において
ベトコンは悪で、北ベトナムは悪でみたいな感覚があったが、
それはアメリカ側からの見方であって、日本はアメリカ側
だったから、教科書でもそんな感じで書かれていたんだ。
本当は北も南も当時のソ連とアメリカの犠牲となった
国であって、どちらも悲惨な戦いを強いられていた
人たちばかりだったんだよね。

両方から見ないと物事の真髄はわからないんだってことを
この本から学んだ。

だから、いろんな出来事について考える時
片手落ちにならないように意識する。

今回の原発問題もそうだ。

ロッキンオンジャパンの対談で
細美さんはやっぱり頭がいい人だなと
感じた。彼は簡単に「反対」とか「停止」とか
そんなことは言わない。それは彼が考えの途中であるのと
彼が両面から物事を見れる人だからだ。

昨日渋谷で「原発反対」のデモがあったんだよね。
正直、私が東京にいたとしても参加しないと思う。
だって、私はまだ「反対」も「賛成」も自分の中で
考えがまとまっていないから。

自分の好きなアーティストがデモに参加してても
それだけは譲れない。考えがまとまってないのに
参加はできないし、私は細美さんがそういうのに
参加する人でなくてよかったって思う。

このデモには本当に「反対」って思って参加した人もいれば
とにかく「原発」ってものへの関心をもってもらいたいという
気持ちで参加した人もいただろう。
あるいは、そんなデモに参加する自分が好きな人も
混じっていたかもしれない。
それぞれの価値観で参加したらいいので
私はそれに対して、いいとか悪いとか言うつもりもない。

ただ、もし本当に日本中からすべて原発を廃止したら
みんなやっていけるんだろうか?って
それがリアルじゃないんだ。

テレビでたけしが「かつて車は人を殺すから危険だ。って
言ってたのに誰も車乗るのやめてないじゃないか。」って
言ってたけれど、それと似てるような気がする。

便利なものを知った進化した猿たちは
もうその昔には戻れないんじゃないかって。

昭和の途中から原発は出来始めたのであって
それまで無い時代があった。
そこにはエアコンなんてなくて
みんなは扇風機のわずかな風で夏を過ごした。
むしろ、風鈴なんかの音で涼しさを想像した。
車にもエアコンなんてなくて、窓全開で
走っていた。
コンビニなんてないし、スーパーも早く閉まるし
お正月なんてお店はどこも閉まっていた。
ライブ会場なんてあまりなくて
コンサートホールの照明もそんなにたくさんなくて
パソコンなんて家にはなくて
テレビもブラウン管で
ハードディスクなんてついてないし
DVDデッキとかブルーレイとか3Dなんてなかったし
そんな感じの世界にみんな戻れるんだろうか?

きっとそれぐらいしないと今の時代原発無しでは
無理だろうね。すでに何か別の手段が開発されていたら
いいけれど、今この段階で「こういうので代用しましょう!」って
いうのはまったく出て来てないよね。構想はあっても。
すぐじゃないわけで。

安全っていうのはどんな場合も絶対じゃない。
でも、安全性を追求していくことは大事だと思う。
だから、原発を減らすことを考えるのと同時に
原発を維持するための安全性の向上を考えるべきかと
思うんだ。

福島で原発事故の放射能の恐怖の中にいらっしゃる方の
思いは遠く離れている関西の人間にはとうてい
想像もできないものだろうし、知ったかぶりなんて
できやしない。

でも、今回起きた焼肉店での食中毒事件。
あれもみんなが「安全」と思って口にしていたものから起きた。

この地球上には「安全」と信じて裏切られることが多々ある。
でも、次はもう裏切らないだろうと人はまた「安全」を信じる。

だからまた生の肉を食べるんだ。今も食べたいと思っている人もいるはずだ。

それってなんなんだろうね。

だから私はいっぱい考えたいと思う。
これが間違いでこれが正しいとか
そんなに簡単に結論なんてでやしないから。


なんだか今日はくるりの曲聞いている。

(It's only)R'n R Workshop!

っていう歌の中に
いっぱいギターがでてくる。

テレキャスター
フライングV
SG
レスポール
ダン・エレクトロ
ジャズマスター
グレッチ
ストラトキャスター
リッケン・バッカー

これらはみんな電気食べて生きている。
電気がないと飾り物になっちゃうんだ。
あるいはクラシックギターに
負けちゃう小ちゃな声しかでないギターに。

各家に自家発電機があればいいのかな?
そうしたら、電気の使用量を自分で管理できるから。
自給自足と同じ感じで。

あ~わかんないな~。






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