私の中では最近「下北沢へ行きたい」願望が日に日につよくなっている。
今まで一度も行ったことがないってわけではないけれど
町というよりピンポイントのお家へ親に連れられて行った記憶しかないから
下北沢のリアルな雰囲気を今だから味わいたいんだよね。
好きなバンドやアーティストはよく下北沢界隈のライブハウスで
ライブしているし、スペースシャワーTVとかでアーティストの
好きな町案内みたいなのに必ず登場するのも下北沢。
たとえば、橋本累さんとマキシマムザホルモンのダイスケはんの
町巡っての写真撮影も下北沢だったし、毛皮のマリーズの志磨さんの
案内したのも下北沢だった。(毛皮のマリーズ解散しちゃうんだね。
どうしてなんだろう?理由を知りたいな。)
今は亡き、フジファブリックの志村さんも下北沢を愛していたし、
FoZZtoneの渡會さんも下北沢が好きなのが彼の言葉から感じられる。
そして、9月9日にメジャーでは最初となるアルバム「2」を
リリースした99 radio serviceも下北沢人。
彼らの場合、生まれも育ちも下北沢という根っからの下北沢人。
だけど、サウンドはイギリスというそのワールド感。
もしかして、下北沢はUnder northern swampって
いうイギリスの町とどこかで繋がっているのかもしれない。
(注/そんなイギリスの町はないと思いますが)
なんてことを思わせるぐらい、彼らの歌を聞いていると
イギリスへふわ~っと行っちゃってる自分がいる。
(いい意味でのまともなトランス状態になる。)
私はイギリスに住んでいたから想像ではなくて
ほんとうに彼らにはイギリスの香りが漂っているのが
わかるんだ。って実際、ボーカルのKoheyさんは
ウインブルドンに行ってたことがあるって言ってたから
彼自身も本物のイギリスの香りを知ってるんだよね。
9月9日にしっかりゲットしたアルバム「2」
このアルバムをどれだけ待ち望んでいたことか。
彼らと出会ったのはまだ今年になってから。
それも2のつく2月だ。
今年はどうやら私にとってラッキーナンバーは「2」
なのかもしれない。
bye bye circusのライブのチケットのナンバーは22だったし
私のある記念日が「22」だったし
大好きな細美武士さんの誕生日は「2月22日」(これは毎年変わらないけど)
FoZZtoneの渡會さんはどうやら「2」にはまったようだし
来月の2日はFoZZtoneのライブだし、22日はBorofestaでthe HIATUS見るし。
ほら、2がいっぱいでしょ!
さて、話が脱線しすぎてしまったけれど
その2月に彼らと出会ってその時に「今レコーディング中です。」って
言われていて、もっと早く出る予定だったような気もするんだけれど
3月11日の震災は何もかも止めてしまったものね。そしてそこから
日本人は多くを失い、何かを得たんだ。
あの震災から半年。いろんなことがまだ一歩進んだか進んでないかの
状況だと思う。それは東北地方の人たちにとって。
私たちが想像する以上に心も身体も大変だと思うから
これからも自分なら何ができるか考えて行かないといけないなと
思っている。長期戦になるだろうからこそ、出来る何か。
「2」っていう数字をふたつ並べて、左側の方を反対向けたら(鏡のように)
どこか力こぶを作っている人のように見える。
「2」ってひとりじゃできないことも2人ならできる気にさせる数字だよね。
このアルバムってでる時期は必然だったような気もする。
このアルバムを東北の人たちにも聞いて欲しいと思う。
自然に心に届いてくるから。自然に光をくれるから。
「1」も素晴らしかったけれど
「2」は多くの人に届くだろう気持ちがこれまで以上に半端なく詰まっている。
今まで、彼らは英語詩しか歌わないんだろうって思っていたら
今回は3曲も日本語詩の歌が入っていた。
すごいな~って思ったのは日本語でも英語詩の時の空気感はそのままで
単に言葉が変わっただけで、違和感がないってこと。
このアルバムを聞いていたら、日常のふつうのことが
すごく楽しいって思えてくるから不思議だ。
日曜の午前中のような
光があふれるキラキラした一日のような
そんな世界を感じさせてくれる音楽。
洗濯ものをベランダに干しながら
このアルバムを聞いていたら
「あ~生きているってしあわせだな~。」って感じるし
食器を洗っていたら
「楽しいな~。」って思えるし
そうじしてたら
「こういうことができるって素敵なんだな~。」って
思わず微笑んじゃう。
外に出たら、道を歩く人たちがみんな笑っているようにみえるし
空に飛ぶ鳥たちはどこかへしあわせを運んで行くような気がする。
通勤電車から見える景色も映画のシーンのように見える。
ひとつひとつの歌について書いていたら
ほんときりがないほど、
すべての歌が心にそよ風を吹かせてくれる。
きらいになる曲なんて一切無い!
どれもどんどん好きになっていく。
演奏も歌も肩に力が入ってないのに
すごいから、バンドの器の大きさを感じる。
「僕は僕のやり方で」って感じで。
Kotaさんが言ってた言葉にこういうのがあった。
「音楽は何百年という歴史があって…新しい音楽はないと思っているんですよね。
新しいものを求めると、音楽じゃないものにどんどんなっていく気がして。
正しく、ちゃんと古いものをやるという。」
これが「RADIO」の中の
♪正しき古い音 新しい僕の声~♪
というフレーズに凝縮されているそうだけれど
この考えって、FoZZtoneのメンバーと同じだなって。
もしかして、下北沢っていう町の空気感が
そういう思いを感じさせるのかなって思った。
あの町の遠い日に感じたイメージは
古きよき時代が残る場所だもの。
「昔からある音楽に、新しい声、新しい演奏を乗せることで新しさを見い出したいんですよ。
オールドロックとポップスが混在した、スタンダードな音楽を正しくやりたいなと。」
というKotaさんの言うそれこそ、下北沢なんじゃないかと思うし、
はるか遠くの島イギリス人の考え方でもある気がする。
古いものを新しく新しく再生させてそこで今をつくる民族性。
私はそういうのが好きなんだな~って改めて思う。
この「RADIO」っていう曲はどこか不協和音が混じるんだ。
どこかわざと歪んだような音がはまってくる。
それがすっごくラジオっぽくって好き。
ラジオってノイズが入ったりするでしょ。
特に田舎に住む私なんかいろんなところで
電波が遮られて(山とか)家じゅうを
電波を求めて歩き回らないと行けない時も
あるわけで、やっと受信したと思っても
ノイズがビビビって入ったりして。
私は想像力っていうのを育てるのはラジオだと思っている。
音だけで何かを感じるわけだから。
だから、自分が子どもの頃、テレビよりラジオをよく
聴く子でよかったって今思う。ロックに目覚めたのが
早かったから、今みたいにCSとか無かった時代なので
テレビで洋楽とかやってないし、
ラジオで音楽聴くしかなかったんだよね。
それで、いろいろ想像して、
イギリスやアメリカの町や空や風なんかを
想像していた。
ラジオから聴こえる歌を歌っているアーティストを
想像して、実際写真見て「え?」って思ったことも
あったけれど、音楽の方が力があるから、見た目とか
そんなのどうでもよくて、とにかく純粋に音楽を
好きになれたしね。
でも、この99 radio serviceは
ヴィジュアル的にも素敵な人たちばかりだから
両方そろっているんだよね。
5人とも爽やかな人たちで。
あれほど爽やかな人が集まってたら
ライブハウスもファブリーズされちゃう感じ。
トラヴィス好きは絶対に好きになると思うし、
グラスゴー系サウンド好きな人ははまると思うし、
UK系音楽が好きな人は自然に馴染むと思う。
そういえば、Koheyさんは家でご両親が
ビートルズとかサイモン&ガーファンクルとか
聞かれていて、それでそういう音楽に親しんだという
ような事を書かれていたけれど、
フォズの渡會さんも家でサイモン&ガーファンクルが
流れていたって言ってて、その影響があるって言われてたよね。
もしかして、下北沢とサイモン&ガーファンクルって
なんか関係あるのかな~。
サイモン&ガーファンクルの歌で有名な
スカボロー・フェア(Scarborough Fair)は英国の伝統的バラード
を彼らが新しくアレンジして歌ったものなんだけれど、
これって、まさに99 radio serviceが歌う
「正しき古い音 新しい僕の声」を実践したものだよね。
サイモン&ガーファンクルはそれの先駆者だったんだね。
また折を見て、ひとつひとつ曲についても感想を
書くかもしれない。
それぐらいどの曲も素晴らし過ぎて
なんか言いたいこといっぱいなんだ。
今まで一度も行ったことがないってわけではないけれど
町というよりピンポイントのお家へ親に連れられて行った記憶しかないから
下北沢のリアルな雰囲気を今だから味わいたいんだよね。
好きなバンドやアーティストはよく下北沢界隈のライブハウスで
ライブしているし、スペースシャワーTVとかでアーティストの
好きな町案内みたいなのに必ず登場するのも下北沢。
たとえば、橋本累さんとマキシマムザホルモンのダイスケはんの
町巡っての写真撮影も下北沢だったし、毛皮のマリーズの志磨さんの
案内したのも下北沢だった。(毛皮のマリーズ解散しちゃうんだね。
どうしてなんだろう?理由を知りたいな。)
今は亡き、フジファブリックの志村さんも下北沢を愛していたし、
FoZZtoneの渡會さんも下北沢が好きなのが彼の言葉から感じられる。
そして、9月9日にメジャーでは最初となるアルバム「2」を
リリースした99 radio serviceも下北沢人。
彼らの場合、生まれも育ちも下北沢という根っからの下北沢人。
だけど、サウンドはイギリスというそのワールド感。
もしかして、下北沢はUnder northern swampって
いうイギリスの町とどこかで繋がっているのかもしれない。
(注/そんなイギリスの町はないと思いますが)
なんてことを思わせるぐらい、彼らの歌を聞いていると
イギリスへふわ~っと行っちゃってる自分がいる。
(いい意味でのまともなトランス状態になる。)
私はイギリスに住んでいたから想像ではなくて
ほんとうに彼らにはイギリスの香りが漂っているのが
わかるんだ。って実際、ボーカルのKoheyさんは
ウインブルドンに行ってたことがあるって言ってたから
彼自身も本物のイギリスの香りを知ってるんだよね。
9月9日にしっかりゲットしたアルバム「2」
このアルバムをどれだけ待ち望んでいたことか。
彼らと出会ったのはまだ今年になってから。
それも2のつく2月だ。
今年はどうやら私にとってラッキーナンバーは「2」
なのかもしれない。
bye bye circusのライブのチケットのナンバーは22だったし
私のある記念日が「22」だったし
大好きな細美武士さんの誕生日は「2月22日」(これは毎年変わらないけど)
FoZZtoneの渡會さんはどうやら「2」にはまったようだし
来月の2日はFoZZtoneのライブだし、22日はBorofestaでthe HIATUS見るし。
ほら、2がいっぱいでしょ!
さて、話が脱線しすぎてしまったけれど
その2月に彼らと出会ってその時に「今レコーディング中です。」って
言われていて、もっと早く出る予定だったような気もするんだけれど
3月11日の震災は何もかも止めてしまったものね。そしてそこから
日本人は多くを失い、何かを得たんだ。
あの震災から半年。いろんなことがまだ一歩進んだか進んでないかの
状況だと思う。それは東北地方の人たちにとって。
私たちが想像する以上に心も身体も大変だと思うから
これからも自分なら何ができるか考えて行かないといけないなと
思っている。長期戦になるだろうからこそ、出来る何か。
「2」っていう数字をふたつ並べて、左側の方を反対向けたら(鏡のように)
どこか力こぶを作っている人のように見える。
「2」ってひとりじゃできないことも2人ならできる気にさせる数字だよね。
このアルバムってでる時期は必然だったような気もする。
このアルバムを東北の人たちにも聞いて欲しいと思う。
自然に心に届いてくるから。自然に光をくれるから。
「1」も素晴らしかったけれど
「2」は多くの人に届くだろう気持ちがこれまで以上に半端なく詰まっている。
今まで、彼らは英語詩しか歌わないんだろうって思っていたら
今回は3曲も日本語詩の歌が入っていた。
すごいな~って思ったのは日本語でも英語詩の時の空気感はそのままで
単に言葉が変わっただけで、違和感がないってこと。
このアルバムを聞いていたら、日常のふつうのことが
すごく楽しいって思えてくるから不思議だ。
日曜の午前中のような
光があふれるキラキラした一日のような
そんな世界を感じさせてくれる音楽。
洗濯ものをベランダに干しながら
このアルバムを聞いていたら
「あ~生きているってしあわせだな~。」って感じるし
食器を洗っていたら
「楽しいな~。」って思えるし
そうじしてたら
「こういうことができるって素敵なんだな~。」って
思わず微笑んじゃう。
外に出たら、道を歩く人たちがみんな笑っているようにみえるし
空に飛ぶ鳥たちはどこかへしあわせを運んで行くような気がする。
通勤電車から見える景色も映画のシーンのように見える。
ひとつひとつの歌について書いていたら
ほんときりがないほど、
すべての歌が心にそよ風を吹かせてくれる。
きらいになる曲なんて一切無い!
どれもどんどん好きになっていく。
演奏も歌も肩に力が入ってないのに
すごいから、バンドの器の大きさを感じる。
「僕は僕のやり方で」って感じで。
Kotaさんが言ってた言葉にこういうのがあった。
「音楽は何百年という歴史があって…新しい音楽はないと思っているんですよね。
新しいものを求めると、音楽じゃないものにどんどんなっていく気がして。
正しく、ちゃんと古いものをやるという。」
これが「RADIO」の中の
♪正しき古い音 新しい僕の声~♪
というフレーズに凝縮されているそうだけれど
この考えって、FoZZtoneのメンバーと同じだなって。
もしかして、下北沢っていう町の空気感が
そういう思いを感じさせるのかなって思った。
あの町の遠い日に感じたイメージは
古きよき時代が残る場所だもの。
「昔からある音楽に、新しい声、新しい演奏を乗せることで新しさを見い出したいんですよ。
オールドロックとポップスが混在した、スタンダードな音楽を正しくやりたいなと。」
というKotaさんの言うそれこそ、下北沢なんじゃないかと思うし、
はるか遠くの島イギリス人の考え方でもある気がする。
古いものを新しく新しく再生させてそこで今をつくる民族性。
私はそういうのが好きなんだな~って改めて思う。
この「RADIO」っていう曲はどこか不協和音が混じるんだ。
どこかわざと歪んだような音がはまってくる。
それがすっごくラジオっぽくって好き。
ラジオってノイズが入ったりするでしょ。
特に田舎に住む私なんかいろんなところで
電波が遮られて(山とか)家じゅうを
電波を求めて歩き回らないと行けない時も
あるわけで、やっと受信したと思っても
ノイズがビビビって入ったりして。
私は想像力っていうのを育てるのはラジオだと思っている。
音だけで何かを感じるわけだから。
だから、自分が子どもの頃、テレビよりラジオをよく
聴く子でよかったって今思う。ロックに目覚めたのが
早かったから、今みたいにCSとか無かった時代なので
テレビで洋楽とかやってないし、
ラジオで音楽聴くしかなかったんだよね。
それで、いろいろ想像して、
イギリスやアメリカの町や空や風なんかを
想像していた。
ラジオから聴こえる歌を歌っているアーティストを
想像して、実際写真見て「え?」って思ったことも
あったけれど、音楽の方が力があるから、見た目とか
そんなのどうでもよくて、とにかく純粋に音楽を
好きになれたしね。
でも、この99 radio serviceは
ヴィジュアル的にも素敵な人たちばかりだから
両方そろっているんだよね。
5人とも爽やかな人たちで。
あれほど爽やかな人が集まってたら
ライブハウスもファブリーズされちゃう感じ。
トラヴィス好きは絶対に好きになると思うし、
グラスゴー系サウンド好きな人ははまると思うし、
UK系音楽が好きな人は自然に馴染むと思う。
そういえば、Koheyさんは家でご両親が
ビートルズとかサイモン&ガーファンクルとか
聞かれていて、それでそういう音楽に親しんだという
ような事を書かれていたけれど、
フォズの渡會さんも家でサイモン&ガーファンクルが
流れていたって言ってて、その影響があるって言われてたよね。
もしかして、下北沢とサイモン&ガーファンクルって
なんか関係あるのかな~。
サイモン&ガーファンクルの歌で有名な
スカボロー・フェア(Scarborough Fair)は英国の伝統的バラード
を彼らが新しくアレンジして歌ったものなんだけれど、
これって、まさに99 radio serviceが歌う
「正しき古い音 新しい僕の声」を実践したものだよね。
サイモン&ガーファンクルはそれの先駆者だったんだね。
また折を見て、ひとつひとつ曲についても感想を
書くかもしれない。
それぐらいどの曲も素晴らし過ぎて
なんか言いたいこといっぱいなんだ。
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