残虐な行為によって裁判が行われている矢先に別の
残虐な行為が発覚しました。一方では公判の席で反省
の色を示し遺族に謝罪する言葉を発しました。もう一
方は新聞やTVニュースによると言葉で言い表せないよ
うな行為によって幼子を死に追いやってしまいました。
何故自分の力を弱い者に向けてしまうのでしょうか。
私がまだ仕事をしていたころの話ですが、やせ細った
小児が虐待死に追いやられたということがありました。
子どもがいた女性が結婚しました。しばらくするとそ
の子にとっては義父の男が子供に残虐な行為をしだし
ました。信じられないのは母親も一緒になって子供を
虐待していたというのです。なぜ自分の子供を夫と一
緒になって虐待してしまったのでしょうか。当時の新
聞によると母親は夫に別れを告げられるのが怖くて夫
と一緒になって虐待したということです。女性はそれ
ほど弱いとは思ってもいませんでしたので私は驚いて
しまいました。
今新聞で報道されている虐待死した幼児の母親は、
男の行為が恐ろしくて止めることも警察や友人に知ら
せることができなかったといっているようですね。
このような場合近所の人が気が付いたら速やかに警
察等へ通報することはできたと思います。戦争中の隣
組というのはその意味ではうまく機能していましたね。
今は、”隣は何をする人ぞ”という無関心が過剰にいき
わたっています。プライバシーを重要だと思う欠点が
出ているのでしょうか。無関心と噂話の種にしない程
度、深入りしない程度に関心を持つことは必要かもし
れませんね。