下村文部科学相は6月に「特に教員養成系や
人文社会科学系学部・大学院は、組織の廃止や
社会的要請の高い分野に転換する」などを求め
る通知を出した。
この通知にはいろんな問題が含まれているよ
うだ。
かって1960年代に同じようなことがあった。
当時、私が在籍していた理学部化学科では有機
化学全盛の時代であった。有機科学系の教授達
は化学イコール有機化学と豪語していた。その
教授と何か(多分予算配分のことだったような気
がする)のことで議論することがあった。
そ教授は、いまは有機化学が化学科の代表の
ようなものだからそれを中心にいろんなことを考
えていくのが当然だと行った。私はそれに反対
した。
大学はもちろんある程度は社会の必要に対応
して研究をし、卒業生を出していくことは認める。
しかし、大学は社会がどう変化しようと大学だか
らこそ多様な分野の学問を真摯に追求す可能な
場でなければならないのではないか。そのときは
無駄と思っていたことが将来必要になるこ
ともあるだろう。必要になってから改めて始め
るのは大変な時間と労力と予算が必要になると
いった。
もちろんこの意見に対しても私自身もある種
の疑問を持っていた。
SF小説でこんな話があった。未来の社会で
は総てのことがコンピュータによって管理さ
れ、人間は快適な生活をしていた。ある日、
筆算で加減乗除を出来るコドモが現れた。社
会は騒然としてこの子供は歴史始まって以来
の天才だということになった。コドモが
”1+1=2”
というのを紙に書いてやってみせるとそのこと
を証明するためにたくさんの学者やコンピュ
ータが動員された。そして長い時間が掛かっ
て間違いがないことを実証した。
私たちはこのような社会を造ってはいけない
と思う。文部科学大臣の通知は大きなリスクを
含んでいることを承知して、国立大学は未来の
社会を見据えた学科・学部・大学院の廃止・転
換をを考えていかなければならないだろう。
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