報道写真家という人たちは、個人差があるもののどれほど
その現場の状況を正確に伝えることが出来るかに生命を書け
ているか分かりました。
福島菊次郎氏は、1944年から1945年の敗戦の日までに兵
役を経験したいました。途中一度怪我により除隊しましたが、
本土決戦の日が近いということで、1945年春の招集され死を
もって敵に当たるようにと命令され爆雷を背負って海岸に掘
ったたこつぼで待機しているとき終戦を迎えました。
復員して前職の時計店を開業し、同時に写真現像の仕事も
始めたと言うことです。民生委員をしているとき広島の原爆
被災者の困窮状態を写真にして写真集「ピカドン ある原爆
被災者の記録」が、日本写真評論家協会賞特別賞」を受賞しま
した。これをきっかけに報道写真家として活躍しました。
生涯17回の個展を開き12冊の写真集を出しました。私はそ
のどれかに写真展を見に行ったことがあります。被写体の輝く
ような映像に体が震えました。
福島氏の「戦争責任展」の会場では妨害があったり、自宅が
放火されたこともあった。膨大なネガは家族が持ち出し難を逃
れ他という事件もあったそうです。
1987年に胃がん、1999年には多数の高齢者特有の病気に見
舞われ、2015年9月に脳梗塞で死去(94歳)するまで、年金を
受け取らずに壮絶な生涯を送ったと言うことです。
私はプロ写真家として自分の意思を明確に表現した一人の写
真家に対して敬意をを持ちました。
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