私の家族がこの町に居住するようになって46年になります。
当時は近所に子どもたちがたくさんいました。何しろ小学校が
2校増えたほどでしたから。数年後中学校も一校増えました。
人口は最大時に3万人に達しました。
初めて間近に見える富士山、我が家の窓から少しだけ見え
る相模湾、我が家の西側の丘陵地にはミカンの木が沢山植
わっていました。
秋になると緑の実がなりました。それが12月に入ると黄色
に変わってきます。小学校や町の自治会ではミカン狩りを計
画してミカンをもらってきたものでした。しかし当時のミカンは
皮が固く酸味の強いものでした。そのためにそのまま食べる
のには向いていない感じがしました。当地で収穫されるミカ
ンはジュースの原料として使用されてきました。それが10年
ほど前から農家が改良に努力して酸味が少なくなり甘味が
増えて美味しいミカンになりました。
ミカンの北限は当町だと主張してきましたが、最近の情報を
調べると筑波山の近くでも栽培していたり、秩父でも栽培する
ようになっていました。お茶の水女子大の修士論文にミカンの
生育限界の研究が報告されています。
もしかすると温暖化の影響で栽培限界が北上しているのか
も知れませんね。というのはうがった考えですが、栽培方法の
進歩や品種改良が栽培限界に変化を与えているのでしょう
かね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます