寓居人の独言

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思い出話「ジャガイモ料理」(20140603)

2014年06月03日 14時01分19秒 | 日記・エッセイ・コラム

 太平洋戦争敗戦の翌年、昭和21年4月に宮城県の王城寺原という元陸軍の演習場だったところへ食料生産開拓団の一員として東京から家族全員で入植した。
 そこには宮城刑務所の分室のようなものがあり、戦争中の政治犯が相当数いて初めの開墾をしていた。受刑者が掘り起こしたところをさらに深く掘り返して畑作りをした。
 王城寺原は演習場だったために一面の芝と諸処に灌木が生えている荒れた土地であった。初めに土地を肥やすためには根粒菌という窒素固定菌を根に付ける大豆を植えるといいと言う指導により大豆作が中心となった。それから痩せた土地でも育ち主食になるソバも植えた。
 少し土地が肥えてくるとジャガイモを植えられるようになった。その頃には堆肥作りも順調に出来るようになり、そのためにジャガイモは大きくて美味しいものがたくさん採れた。その結果、ジャガイモが主食に変わった。
 しかし毎日蒸かしたジャガイモばかりを食べていると飽きてくるので,料理法を考えるようになった。その頃一番美味しいと思った料理を紹介しよう。
 初めに皮をむいたジャガイモをおろし金ですり下ろす。すり下ろしたものを適量の水を加える。それを布巾でこしわける。すると液体の方に白いさらさらした粉のようなものが沈んでいるのが見える。これはデンプンである。上水を捨てデンプンを取り出す。このデンプンと布巾に残った絞りかすを混ぜて少量の小麦粉を加えて練って団子状にする。それを蒸篭で蒸かす。そうすると今の中華料理の点心に似た柔らかいふわっとしたものが出来る。
 これは作るのに時間と手間が必要だが、なかなか美味しかった。
 もう一つの料理は、ドイツミュンヘンのレストランで食べたものである。外見は少し黄色がかったソフトボールほどの大きさの丸いものを大きなスープ皿にのせトマトソース(これは店の工夫によるソースである)の中に入れる。ナイフとホークで適当な大きさに切ってソースを付けて食べるものである。初めてテーブルにのせられたときにはどうやって食べるのか見当も付かなかった。食感はモチッとして弾力があり、味はソースを付けるのであるが塩・こしょうを加えて好みの味付けをしておくと美味しく食べられた。
 ドイツは、緯度が高く低温気候のために農作物の種類は少ない。過去には特に主食の麦が不作になることがあり、そのようなときには甚大な食糧難になった経験が何回もあったと言う。そこで寒冷気候に強いジャガイモ栽培が奨励され、当時の貴族も率先してジャガイモ料理を食べて市民にも奨励したと言う。その結果ジャガイモが第二の主食になった。それでいろいろな料理が工夫されたと言うことである。
 ジャガイモ栽培はイギリスでも盛んに行われた。しかし、ジャガイモの病気が発生したために重大な事態になったことがあった。
 私は初めてロンドンで食事をするためにとある店に入り食事を頼んだ。そこで出てきたのが,ジャガイモを1cmほどの千切りにして油で揚げたいわゆるフレンチフライを大きな皿に山盛りにしたものであった。他にはベーコンをかりかりに炒めたものが付いていた。
 旅をするとその地にあった面白いものを食べることが出来る。しかし地元の人たちにとってはそれが普通のことであるのだろう。今の人たちはジャガイモ料理と言えばポテトチップス、フレンチフライとステーキなど肉料理に付いてくる焼きジャガイモそれとたまに肉じゃがを食べることだろう。肉じゃがにしても各家庭で作るものは家風のようなものがあり、いろいろ工夫されている。料理は創作作品とは言わないが自分の味を作ると面白い趣味にもなる。