寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

隣接市の囲碁愛好会との親善囲碁会  

2016年02月08日 21時33分04秒 | こんな出来事がありましたよ

 昨日7日日曜日に隣の市の囲碁愛好会との親善囲碁

会が行われました。わが町の囲碁愛好会は会員数60人

ほどいるのですがこの囲碁会に出場したいという方は

案外少ないのに驚いてしまいます。相手方の囲碁会も

会員数は少し少ない程度だそうですが、出場希望者が

やはり少なく16名揃えるのが大変だと言っていました。

 今回の対抗戦ではいくつかのトピックスがありまし

たので紹介します。

 第1は両チームとも高齢化が進んでいることが否め

ません。両チームともに平均年齢は70歳代というこ

とでした。そのために1日に4回碁を打つのは体力が

大変だという人がかなりいました。

 第2は神奈川新聞の記者が来て一つの対戦を記録し

て棋譜を掲載するということでした。この組み合わせ

は新聞掲載のために棋譜を取っていたことが過去2回

ありましたが、いずれもわが町の方が勝利しました。

しかし新聞社の都合で掲載されませんでした。しかし

今回は掲載されることが決まっていたのに残念ながら

負けてしまいました。

 第3は昼食のお弁当です。何しろ今までに弁当と比

べても盛り沢山の内容でした。飯を別にして、17種類

の惣菜が大きいパックに詰まっていました。しかし参

加者は皆さん高齢のためにかなりの量の食べ残しが出

てしまいました。食べ物を残すのは恥と教え込まれて

いた年代の人間にとっても多すぎたと贅沢なことを言

っていました。

 第4は、この対抗戦では4戦全勝すると当町の棋士の

記号の扇子をもらえるのですが、全勝者が4人も出たこ

とです。うち3人はわがチームでした。私も過去2回全

勝して2本の扇子をいただきました。ちなみに対戦成績

はわが町の36勝28敗となりました。

蛇足、私事なのですがこの対抗戦で前回は全敗に終わり、

今回も全敗したら次回からは出場を辞退しようと思って

いたのですが、何とか2勝2敗の五分になりましたので機

会があれば続けたいと思います。

 

 

 


冤罪 というほどのことでもないのですが

2016年02月06日 20時39分03秒 | 寓居人の思い出話

 自分がやったのではなく仲裁に入っただけなのにそ

れを見ていた周囲の人があいまいな証言をしたために

罪に問われてしまうということはよくありますね。映

画やドラマでは計画的にある人を現場に呼び出して罪

を押し付けるなどという設定が良くあります。裁判で

も現場に残っていた指紋や毛髪などが決定的な証拠と

なって有罪となってしまう。

 こんな大きな事件にはならなくても冤罪?というの

は日常でよくおきることのようですね。私はある日、

囲碁仲間と食事をしようと3人で出かけることにしま

した。もう一人最近(当時)不幸があって落ち込んで

いると噂の人(A氏)がいましたのでその人も誘うこと

になりました。しかし当日風雨が激しくやむなく中止

にしました。最後に誘った人に人には他の人に連絡を

頼みました。しかし何かの都合ができて、連絡できな

かったようでした。

 その後A氏は私に対して何かおかしい態度を取るう

ようになりました。どうも私がA氏を外して食事に行

ったと思ったようです。しかし私は全く原因がわから

ず変な人だなあと思っていました。これもある意味で

は冤罪ということになるのでしょうか。

 もう一つの例は、もうずいぶん古い話ですが今でも

あるかもしれない出来事なので書きました。それは高

校1年の時のことです。英語の時間に私の席の後ろの

人が隣の人と授業中ずーっと喋っていてうるさかった

ので私が後ろを向いて静かにしろよ、と注意した時に

先生がこちらを見たのですね。おそらく前からうるさ

いと感じていたのでしょう。つかつかと私のところへ

来て静かにしなさいと注意しました。私が後ろを向い

ていたので私がおしゃべりしていたと思ったのでしょ

う。そのとき先生に事情を説明すればよかったのかも

しれませんが黙っていたために私が責任を取ることに

なってしまったのですね。先生は私の説明を素直に聞

いてくれたかどうか分かりませんが、これも些細なこ

とではありますが冤罪?と言えるのかもしれません。

 小さなことでも事情を調べて判断しなければこんな

ことが原因になって人付き合いがうまくいかなくなる

ことがあるようです。


記憶に残っている映画(9)「河童大将」

2016年02月05日 21時31分18秒 | 寓居人の思い出話

 机上の空論とか畳水練とかいう言葉がありますね。

役に立たないとか無駄な努力をするといった意味で

しょうか。

 1944年8月31日に公開(?)された「河童大将」

という映画の中で畳水練を巡って議論が行われました。

それは隣国との戦いに勝利するためには、敵にきずか

れずに境界の川をいかにして渡るかという目的で水練

の方法を決めるためでした。

 私が国民学校2年生の時に、父と行った人形町にあ

った映画館で見た映画ですから記憶も明確ではありま

せん。全員が一斉に対岸に渡河できた畳水練側が全員

で敵を攻撃することができ勝利を手にしたというスト

ーリーだったと思います。

 今思うと、遠回しに戦争を遂行する軍部を揶揄した

映画だったのかもしれません。つまり相手方の情報を

ほとんど知らずにやみくもに戦争を仕掛けたことを皮

肉ったのでしょうかね。よく上映を許可されたと思い

ます。時代劇ということで胡麻化すことができたのか

もしれませんね。


今日眼科の定期健診を受けてきました

2016年02月05日 18時14分47秒 | 日記・エッセイ・コラム

 一年ぶりに眼科の定期検診を受けてきました。視力

などの基礎検査をしてから散瞳剤の点眼後しばらく待

合室で待つこと数十分、診察室に呼ばれて検診を受け

ました。いつものように眼球を右左上下と動かしなが

ら顕微鏡で内部を診察してくれました。

 診察の後で、片方の眼底にごく小さな出血が認めら

れた以外は異常は見つかりませんでした。念のために

次回は半年後にお出でください。ということで検診が

終了しました。

 目が見にくいことがあるのでという私の質問には、

かすかに白内障が出ていますが、いっまのところ手術

をする必要はありませんということでした。視力は両

眼で1.0あるということでした。自動車運転には問題

ないと安心しました(技術は別にしてですがね)。

 散瞳剤の影響は数時間継続していて通院の運転は眩

しくなくなるまで待ってからゆっくり帰宅しました。

 これで心配の種の一つが消えました。まずは良い日

になりました。


人のカケラ

2016年02月04日 14時07分38秒 | こんな出来事がありましたよ

 残虐な行為によって裁判が行われている矢先に別の

残虐な行為が発覚しました。一方では公判の席で反省

の色を示し遺族に謝罪する言葉を発しました。もう一

方は新聞やTVニュースによると言葉で言い表せないよ

うな行為によって幼子を死に追いやってしまいました。

 何故自分の力を弱い者に向けてしまうのでしょうか。

私がまだ仕事をしていたころの話ですが、やせ細った

小児が虐待死に追いやられたということがありました。

子どもがいた女性が結婚しました。しばらくするとそ

の子にとっては義父の男が子供に残虐な行為をしだし

ました。信じられないのは母親も一緒になって子供を

虐待していたというのです。なぜ自分の子供を夫と一

緒になって虐待してしまったのでしょうか。当時の新

聞によると母親は夫に別れを告げられるのが怖くて夫

と一緒になって虐待したということです。女性はそれ

ほど弱いとは思ってもいませんでしたので私は驚いて

しまいました。

 今新聞で報道されている虐待死した幼児の母親は、

男の行為が恐ろしくて止めることも警察や友人に知ら

せることができなかったといっているようですね。

 このような場合近所の人が気が付いたら速やかに警

察等へ通報することはできたと思います。戦争中の隣

組というのはその意味ではうまく機能していましたね。

今は、”隣は何をする人ぞ”という無関心が過剰にいき

わたっています。プライバシーを重要だと思う欠点が

出ているのでしょうか。無関心と噂話の種にしない程

度、深入りしない程度に関心を持つことは必要かもし

れませんね。


元プロ野球選手K氏のブレ

2016年02月03日 12時17分47秒 | 日記・エッセイ・コラム

 人生にはいろんなことが起きますね。元プロ野球選

手のK氏は高校卒業してドラフト会議で熱望していた

チームに指名されなかった。そのことが第一の躓きと

いうか予定が狂ったのでしょうね。しかも同じ高校の

チームメイトが一位指名されたことがショックの上塗

りになってしまったのかもしれませんね。

 しかしプロ野球選手としては野球殿堂に入るのは時

間の問題とされていたほどの実績を残していたのに残

念ですね。

 ちょっとしたキッカケで人生がぶれてしまうことが

あります。そうした時に踏みとどまれるかどうかは、

その後の人生をどう生きていくか考えて判断しなけれ

ばなりません。若い人たちには判断するのが困難なこ

ともあるでしょう。考えることは大事なことです。

 

 


学生紛争の思い出(6)余聞

2016年02月03日 10時47分21秒 | 寓居人の思い出話

 学生紛争が真っ最中の話です。事務職員の方々は仕

事をする事務室はなく、したがって仕事もなく気の毒

な状態でした。日がな一日新聞を読んだり付近を歩い

たりして過ごしていました。読書をしている方もいま

した。

 そうした人の中に当時私と棋力が同じくらいの人が

いました。学生による校舎占拠期間中彼は囲碁の本を

たくさん読んでいたようでした。それで校舎が解放さ

れてしばらくしてから碁を打ったところ全く歯が立た

なくなっていました。

   ふとこんなことを思い出しました。

 

 


モグラの活動がはげしくなってきました

2016年02月02日 22時46分03秒 | こんな出来事がありましたよ

 庭のあちらこちらに土を盛り上げているモグラの動

きが活発さを増してきました。繁殖期を迎えたのでし

ょうか。その道の資料を調べるとモグラは体長15-25

cmほどの大きさだと書いてありますが、子供のころ

捕まえたモグラはその大きさの中に入りましたね。当

時はモグラについての知識を探す資料はありませんで

した。

 いまはネットで調べるといろいろなことがわかって

きたようです。下の写真はネットのWikipediaから拝

借しました。

 モグラは動物食性でしかも大変な大食いのようです。

土を掘ってトンネルを作ったり、巣を作ったりする労

働は大変だと思いますね。わが庭にいるモグラを捕ま

えて広い山に移そうかと思いましたが、庭の昆虫の幼

虫を食べてくれるそうなので放っておくことにしまし

た。


記憶に残っている映画(8)「東京物語」

2016年02月02日 22時05分33秒 | 寓居人の思い出話

映画を見ていてジワーッと心の中に暖かいものが湧き

上がってくることがありますね。小津安二郎監督の作

品「東京物語」はそんな映画でしたね。

 この映画に描かれていいた親と子供たちとの関係は

今でも相通じるものがあるようです。親だから許して

もらえるという甘え(あるいは私たちはもうお大人に

なった)といったものが表面に出てきてしまうのです

ね。小津監督は日常生活の中で不通に起きている些細

な出来事を丁寧に描いているようでした。

 晩年を迎えた尾広島県尾道に住んでいた老夫婦が遠

い東京に住んでいる子供たちを訪ねた旅だったのです

が、子供たちはそれぞれ仕事を持っていてゆっくり話

もできない状態でした。ところが戦争で亡くなった次

男の妻(紀子;原節子)が温かく迎えてくれました。

笠智衆の演じる父親の姿は、体調を崩して私の家で療

養していた私の父に通じるものがありました。

 東京から帰って数日後の母親が危篤状態になり、子

供たちは駆けつけた翌朝遠くに旅立っていった。葬儀

が済むとこどもたちはそそくさと東京へ帰ってしまっ

たが、紀子は残って義父や自助をなぐさッメタ。そん

な折に義父が義母の形見として時計を紀子に渡した。

 尾道の素晴らしい風景が心暖かい紀子の姿に重なる

と私には感じられました。前に書いた私の好きな映画

のジャンルには入らないものですが、この映画は数回

見てしまいました。それほど私に強う印象を植え付け

たのですね。

 昨今の映画やドラマは安易に殺人事件を絡ませてい

るような気がします。「東京物語」に様な作品が作ら

れることを希望しています。


食品偽装転売を厳罰に処すというのか如何ですか

2016年02月01日 23時23分57秒 | こんな出来事がありましたよ

 私が学生だった頃大学の近くに冬は饅頭を売り、

夏はアイスクリームを売る店がありました。この店

の饅頭もアイスクリームも当時甘味に餓えていた学

生にとっては干天の慈雨のように感じていました。

粒あんの入った饅頭は初め2個15円くらいでした

が、当時のソバ屋で食べる盛り掛そばが1杯25円

でしたからかなり高価だったと思います。時代が変

わるにしたがって、饅頭の大きさが小さくなり価格

をそのままで売っていましたが、饅頭の大きさが小

さくなったという声が聞こえると価格を上げて元の

大きさにするということを繰り返していました。

 ある朝通学の途中で案を作っていいる場面を見て

しまいました。小豆の粉と思われるモノをセメント

袋のようなものから大きな器に入れていました。そ

のすぐ近くに明らかに小豆の皮と思われる別の袋が

あって、それも器に入れてかき混ぜはじっめました。

青の美味しかった饅頭の餡はこうして出来上がった

ものだったのですね。それ以来食べる気がしなくな

りました。この程度は現今の偽装事件から見れば、

ほんの些細なことだったのでしょうがなぜか裏切ら

れたような感情を持ちました。飲食店は食品の下ご

しらえを客に目にさらすものではありませんね。

 最近見つかった廃棄依頼を受けた不良食品を流通

に乗せてしまったというのは許せませんね。もしか

したら私も廃棄物を口に入れたかもしれません。

 管理者あるいは役人の目が届かないところではあ

のような不正が日常的に行われていたのですね。役

人は、人員不足で手が回らないというし、廃棄依頼

者は信頼して廃棄を頼んだというのでというのです。

しかし数万枚から数十万枚の食品を廃棄するという

のは大変な仕事だと思いますが、依頼者にも責任が

あるのではないでしょうか。もちろん依頼された廃

棄業者はとんでもないことをしでかしたのですから

それなりの処分があるでしょう。

 こういった事件ではどの程度の処分があるのか不

明ですが、もしかしたら重大な人名にもかかわる事

故になったかもしれないのですから、相当の責任を

取らされないと消費者は納得しないでしょう。