「シ」に登場した東インド会社で功績をあげたシャルダンが追跡されている。
「ナントの勅令」を名前だけ知っていたが、当時フランスでのプロテスタント迫害が、これほどまであったのかと、初めて知った。
フランス革命の原因にもなったそうなナント勅令の影響を考えての対策だろうか、シャルダンはペルシャ・インドで宝石や商会で功績を納めた後、フランスに戻らずにイギリスに入った。
東インド会社にでかけたフランス人の多くが、遠い理由にもなっていただろうか、とまで勝手に推察した。
本当はタベルニエとの比較をしたかったけれど、少しばかり説明がなされていた。シャルダンの方がペルシャ語をよく理解し、話したそうだ。
本書に著者 羽田 正さんがイスラム・非ヨーロッパ圏文化社会の世界における問題点を最後に記していた。
シャルダンがペルシャに渡った頃は、イスラム文化圏はフランスよりも自由だったようだ。
イランにしても、ペルシャ帝国という長い歴史がある。
変革につれ、西欧社会の基準で比較される軸からみれば、オリエント・イスラム圏の変化の度合いは、西欧社会とは異なる。気候が大きくしているだろう。
不思議だと思う・・・その過酷な気候の地下にオイルが多くあるのだろうから。 ああ、これは地球の生成と関連がある恩恵なのだろうか?
ジレンマがどこかで民族を意識した時に緩衝を起こしているのではないだろうか。 著者が記したように、感じた。 著者の’ジレンマ’は、目にした時、的を得たことばだと知った。
けれど、どこもが同じで均一になってしまうと、魅力にかけるのではないだろうか。 外交も文化交流も補い合っていくかもしれない。
ざっと読み。