はシェムリアップにあって、観光しやすい時期が年末から冬場にかけていて、どういうわけか、なかなか出かける機会がなかった。
が、香港から直通で空港に到着するのを知り、延長プランの中に組み入れてみた。写真を用意しておけば、機内で用紙に記入し、
ビザがシェムリアップ空港で入手できました。
人気があるらしいけれど、「いったいどんなところ?」というのがそのきっかけであった。
ホテルのマネージャーがこちらの希望を考慮したプランナーで、遺跡ばかりの訪問よりも大自然をバランスよく飽きないように
組み入れ、ホテルの同行者との相乗りも入り、思わぬ場所にも出かけられた。
ツアーよりも歩く時間は十分にあり、30度はある暑いさなか、高い位置まで登れた自分の記録を確かめてみようと思いたった。
アンコール遺跡の歴史については、ほどんど知識がなくて、よく見かける観光写真が浮かび、「多くの人が群がるのは、何故?」という問いもあった。
何が私をときめかしたかといえば、現在観光で見られる遺跡が土砂によって埋もれていた事実であった。
かつての映画「サルの惑星」のシーン?ー ニューヨークの自由の女神が砂に埋もれて、新しい支配者にとってかわったショッキング設定のドラマを思い出した。
そういえば、中東ボスラのローマ遺跡も埋もれていたそうな記憶もある。
シェムリアップもそうだったのか。
この遺跡は、2万平方メートルの土砂を取り除いたそうです。この数値がどれくらいか想像できず、土砂を取り除いたからこそ、水利事業とも加味し、「洪水で埋もれていた」と、勝手に想像してしまいました。
(食生産のために統治者が当時水路を作っていたからこそ、地の利にも恵まれ、これだけの遺産を残せたということを本より知りました。)
周囲の小さな遺跡見学の後、中心地に通りかかると、「ルイ13世もびっくりね!」と漏れ、アジアの巨大遺跡の大きさに驚きました。
アンコールワットの遺跡は時代時代によって場所によっても水利の状態が変化していたようです。
いつ頃、どの辺りでどれくらい遺跡が埋もれていたかは、私にはわかりません。王朝の盛衰と水利事業が関係しているのでしょうか。
一度の読書だけでは理解しきれません。度々参考資料にあがるのが、真臘風土記です。
調査と資料の展示が進めば、どのように使われたか想像もでき、もっと楽しいでしょう。とは、あの暑さから解放されたからこそ、
興味が持てる次第です。
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