for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

ドイツ    電車で移動

2011年05月02日 20時08分56秒 | 旅行

ケルンのカーニバル見学が楽しみで、それでは、周遊しようと、考えました。 それ以前では、「シ」の著者の国をまったく知らなかったので、出かける気持ちになりました。

大きな町では3泊、それ以外は2泊で日程を組み、新しく着いた駅で、次に移動する町への電車時刻を調べて移動するのがお決まりになりました。駅では、丁寧に印刷を出してくれます。そのうちに

見方がわかるようになります。プラットフォーム・到着時刻・車両・必要な乗り継ぎ等です。停車時間はあまりありません。旅行での急な対応には、印刷物を示した方が正確に伝えられます。

 全て予約はしないで、1等の空いている席にスーツケースで入り込みました。パソコンも携帯も充電して使えます。woman's day に合わせて出かける人たち。車内では、仮装した人たちがすぐにうちとけて、喝采をあげる。

電車の時刻が急に変わることもあったけれど、余裕をもって出かけたので、間に合いました。

ディオスコリデスもガレンも文中にありました。一日ツアーでハイデルベルグに参加した見学場所の展示です。

[シ」で知った薬学の材料。ハイデルベルクの薬物図書館(?)での展示物。ハイデルベルクと近郊の町のウィンドウ

フランクフルトの建築博物館

ドイツの建築の影響が見られました。ロレンツオ ボナンザ

主だった展示は、撮影禁止です。

フランクフルトの川沿いで開かれていた日曜バザー回転式のソーセージ焼き屋

ソーセージを丸いフランスパンに挟んだり、食パンで挟んでそのままソーセージを食べていました。日本では、ソーセージそのままですね。 それにしても、ドイツの食事は味が濃い。塩分と糖分がはっきりして

いて、私の腎臓は受け付けられませんでした。 気候の影響でしょう。 体形にしても、運動をしている人は体が引き締まっているけれど、妊娠中のままの男性の姿で、はっきりしています。果たして、成人病は、どんなでしょう。私が出合った高齢者は、喘息でした。

 ケルンのホテル近くの教会で、マグパイの一行による演奏がありました。一行は、大型バスで、毎年やってくるそうです。

一日中、さまざまな団体が小学生を初め、大人までこの仮装行列に参加しています。お菓子(チョコレート・キャンディ・グミ・小袋菓子)や花束・ティッシュなど、投げたり、手渡ししながら行進。大人も童心に返り、白い袋に戦利品を楽しみに行列を待っています。ブラジルからの観光客もいて、「日本にないの?」と声がかかりました。そこでは、誰もがすぐにカーニバル会場で友達気分になってしまいます。そうそう、

woman’s day には、女性にとても楽しいことがおこりますよ~♪ 行ってからのお楽しみ。(勝手に親善女使)

 

 

大型トラックにでも装飾されたような仕立ての一行。町の関係者でしょうか。私の戦利品は持って行った帽子が吉を生みました。このスウィーツをミュンスターの駅近くから日本に送りました。日本でもこんなのがあれば、楽しいわねえ。被災地の子供向けにできるんじゃありませんか? コスプレパレードをし、お菓子や試供品、電池をまきましょうか!今の子供は、棟挙げのたてまいを知っているかしら。

ケルンからミュンスターへ移動。

 ミュンスターは、「世界で一番住みたい街」に選ばれたそうです。ドイツの街は教会を含んだ旧市街に店が入り、その周囲を新市街が広がっているようです。広島被災の写真を市の博物館で見ました。姉妹都市だった?(ようで、)ミュンスターの町の戦災後の復興が展示されていました。ヒットラー政権中の写真や、ドイツの空爆状況など資料が展示されています。ハンベルグはドイツの中でも、最もイギリスからの空爆を受けた数が示されていました。 ここでもカーニバルで、町の要職の関係者が列に連なるようです。

 

アーケードの中はブティックやショッピングモールが入り、ピカソの美術館も付随していました。バウル・クレーの展示が開催中。ショッピングモールの中では、ベトナム人の女性がマニュキュアショップで働き、中高年・ハイ高年の男性もこの店で爪の手入れを受けていました。 日本でも男性用に顧客を広めればよいのに。

 雨に濡れた旧市街の一角を写した写真があります。通路わきにゴミのボックスが置かれ、ボックス間の間隔は短く、係り員は電動式の設備を使って、ひとりで速やかに作業をしていました。

旧市街の外側は自転車道路になっていて、その外を自動車道が走っています。 樹木や自然を楽しみながら、ペダルをこいだり、散策ができます。

ミュンスターの郊外に記念館があって、出かけました。この建物は貴族が所有し、当時のまま保存されています。女性作家は、結婚することもなく、領地や従者の管理なども行ったそうです。結婚によって所領の争いがないように、独身を守る傾向があったようです。 お父さんはコマンダー(軍の指揮官)で、壁には秘密の祭壇が誂えられています。見学時間は決まっています。

http://www.stadtpanoramen.de/muenster/index.html   

 ミュンスターからベルリンへ移動。車内でコーヒー。翌日、 ポツダムツアーに参加。 ベルリン市内は、乗り放題バスチケットで見学。 

 首相官邸・博物館通り 「建築物は大きい」と隣のパキスタンの男性に話すと、「ロシアは更に大きい」と返ってきました。

ベルリンの市内見学の案内によると、このとき図書館を説明しながら、日本の国会図書館は世界でも3つの内のひとつに入る規模の大きさだと録音が届いた。ベルリンの国会のそばには議員さんの子供を託児する施設もあった。博物館通りで降りて見学。 お城でコンサート(日本の関根マサヒロorマサユキという奏者が紹介された。)

 コンサート&ディナーのメニュー  メインディッシュの肉に添えるオレンジソースが粋だった。この時、日本の津波はドイツ国民にも知らされていた。p波s波の違いや、ドイツの地層を学者が調べて説明している映像も流れていた。ショックだのは、関東大震災の映像で、それくらい危機感を伴って東関東の震災が報じられていた。あれほどの危機感は、原発に際して啓発していたのだろうかと、今更ながら日本の津波・地震を冷静に海外で紹介していたのが、どこか今となっては、嘆きのように感じられる。原発反対マークが頻繁に放映されていた。

デザートは、その後、スーパーで見かけ、少々がっかりした。まあ、そんなところでしょう、ディナー&コンサートツアーなんぞは。

このころは、とても時差に悩まされ、疲れも手伝って、眠かった。ボツダムツアーで一緒に回ったパキスタンの男性のお誘いすら気が利かない状態で、気付かなかったのが幸いです、眠かったから。ディナー&コンサートに誘えば良かったと思いました。話題に上がっていました。お互い一人だから、参加するのに都合が良かったのでしょう。ペアー参加の方が無難だとつくづく思います。「おひとり様の席ですが、どちら向きにいたしましょうか?」とお声がかかるからです。海外では、女性のひとりは気負う場も、多々ありますから。

ベルリンの動物園

ドレスデン

ドレスデンは屋外設置の彫刻にしても、建築物にしても楽しめます。ドレスデンの美術館の絵画は、大変な収集です。 窓ガラス4枚ほどの大きさぐらいの圧倒される絵画が、多数あった。中国陶磁器も展示。別の場所で、三宝柑が展示されたいた。この町の宿泊所では、英語放送による中国語番組がかなりクールに経済が放映されていた。この町だけで、他では聞きませんでした。

この町の店でも、旅行客が、日本の原発を話し、「風が吹いているから太平洋の方に流れるわよ」と声をかけてくれた。

 

 工事中を隠すシートの絵   乗り物博物館(建築中) 小学高学年が朝、引率されていた。

エアフルト     教会の前の広場での市。                 肉屋もやってくる。労働者目当ての移動販売もあって、とても便利。 これくらい小さなのがほっとして。

 

エアフルトの要塞(シタデル)まで出かけた。

郵便局とスーパーの間を2度ほど往復し、救援物資を郵送。教会の前の広場ではバザーが開かれ、中国産の日用品も並んでいました。 この日、郵便局のモニター画面から天皇陛下のメッセージが流れた。

エアフルトの自然史博物館で見かけた小さなネズミ君。藁の間に巣を作り、眠っていました。

クレマー橋の辺りの風景。レース編みの手袋を見つけ、店主とおしゃべり。自分のことのように「tsunami」と放ち、日本の子供のことを哀しみ、涙を流して心配してくれた。母親だからです。紙の包装袋に名前とアドレスを書いてくれた。

 

ミュンヘン 

 

家族と連絡を取るのは、9時間の時差では、なかなか難しかった。町を歩きながらしきりに日本時刻を気にかけていた。 

この町でも、ひとりで歩いている日本女性を見かけ、と再び、彼女を美術館で見かけました。

アルピナコクテ美術館(?)で、「バランスを持つ少女」とかいう題のフェルメールの絵画が展示されていた。  http://www.vermeerdelft.nl/195.pp

当時は、まだ室内でも明るさが乏しかったのか、太陽の光に身を寄せるように窓辺に位置する人間を描いているように見えます。その光を浴びて作業する人が静かでひたむきです。 現代の人の目からはエロチシズムに映るのではないでしょうか。宗教絵画に見られる明るさとは違うから、いっそう心に留まるのかもしれません。そう、思うのです。

ミュンヘンではショッピングモールの中にあるクンスタホールの展示が圧巻でした。  http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=0963b08dd43c4c60357aa49327258763

帰りのフランクフルト空港で、日本人旅行客の声が届いた。「みんなに苛められるかも・・・」 「夫が亡くなった時は阪神で、今、ドイツに来ているのだから、三度目はだめかもね」旅行客は、まるで日本の災難を浴びなかったことを罪人扱いされるのではないだろうかと、期待される共有感情に苛まれていたのです。こうした胸のうちは、どれだけ伝わるでしょう。

と、この旅行記を閉じるにあたって、募金お願いの封書が本日届きました。 心に適い、まず自分の心が動き、行動に繋がります。 通信費を無駄にしないように。殊更に、何をし、何を書かないかは、

自分の心の望むまま。意地悪な行為を断固として拒否します。今まで散々浴びているから。 誰が、ああこうと、するでしょうか。 6月18日。


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