いつ笑うのだろうか
私は笑いたい
ことばで涙がつたうのは
どれだけ痛めつけられれば
乾くのか いったいどれほど
私が生きてきたことを
認められるのか
私は笑いたい
商売にするな
何処に行っても新しい場所で「か」談義だけを講師が始めだすのは?
荒城の月がどうしたって? 私の心は慰めにもなれず涙に代わる
河合先生は嵐山の集まりでフルートで吹いたけれど
春雨・春雨と声かけて ♬imagine all of the people ! ♪
憧れの先生で、おこがましくも当日まだ出来立ての「ち」をお見せできればと持参したけれど、
できませんでした。それほどの勇気はありませんでした。「散歩道」とか他の本でも慰められていたのは彼の著作物でしたから。
執筆直後でまだ鬱顔だったのでしょう。近くの女性が「何かしたらいいわ」と声をかけたわ。
自分で自分の顔の表情は分かりえません。当日の宿泊で、トラブルを避けたくて相部屋宿泊も個室を希望したくらい。
(3度目に足を運んで介護ヘルパーの受講を決めたけれど、当時から不愉快なことは生じていた。家族は皆が学業についていた。
理解できなかったのよ、説明なしには。)
だから、喪鬱にあった作業の結果を誰が非難できようか。
今もって、昨日のクラスの人の行動を見るにつけ、放送の影響は多大だと実感している。
「汚くてごめんなさい」となだれ寄せられるようにして習い事に投資をし、その速さドン。
音の遊び 楽しく身に浴びてこそ 楽なるべき と願う
https://blogs.yahoo.co.jp/g7152g55s/3570787.html