成都の杜甫記念館
ここで釣りをしたとかなんとか(?)
で買った唐詩をぼちぼちと
読んだ私自身のまとめです。漢文なんて、高校の時以来で、書き下し文とかはあったかもしれないけれど、今は検索でそれなりに我流の理解の域に納まりそうです。
《 咏柳 》 贺知章
碧玉妆成一树高,
万条垂下绿丝绦。
不知细叶谁裁出,
二月春风似剪刀。
とあり、葉のついた柳の比喩が細長く切った絹布に喩えたのが新鮮でした。枝はいくつもの組み紐に置き換えられている(?)のも、お国柄ならではで、緑葉のついた柳の揺れる様は、今風にはサッシュがあっているかもしれません。誰が切ったのだろう、暖かい春風はどこかハサミのようだ。
いくつもの絹のサッシュに喩えられた柳の映える空が想像できましたか?作者が歌った二月は春を呼び込むにしても、現今は油断をしないで暮らしたいものです。
因みに
柳の枝を折るのは、別れの辛い気持ちを我が身から解き放つ行為のようです。(男性が贈る柳)
旅立つ人に折った柳を手渡す(女性が男性に送る)風俗があったり、歌詞や曲にもなったようです。
《送别》 王之涣
杨柳东风树,
青青夹御河。
近来攀折苦,
应为别离多
《 送元二使安西 》 王維
渭城朝雨浥轻尘,
客舍青青柳色新。
劝君更尽一杯酒,
西出阳关无故人。
柳の文字は時代劇の設定でもおなじみの下に垂れるヤナギで、杨のヤナギはネコヤナギのように垂れない種類に当てるようです。
そういえば、恐竜でもないのに、ギョリュウというタマリスクも柳の字があります。乾燥地帯にあるのは、水場を示しているのでしょうか。そのギョリュウの歴史はギルガメッシュにさかのぼるそうで、ひょっとしたらやはり恐竜が水場として集まっていたかもしれませんねえ。