轡田 隆史 著 三笠書房知的生き方文庫 2014年6月10日 初版
帯に≪これから先、本当に大切な事だけに 時間とエネルギーを使うために!≫という文字がある。
ここ数年、私もそういう思いを抱いていたので、手にとってしまった。
例えば、小学校ぐらいの学童期だと、人の好き嫌いはしないで誰とでも仲良くしましょう。。。的な事はよく言われる。
子供のころから、そんなことできるかい!って思ってたような子だった(笑)
でも、転校を繰り返すような境遇では、よくも悪くも目立ってはいけない。
だから、諾々と従っているふりをしていた。
高校ぐらいから、嫌なものは嫌だ、と思いつつも表面上は隠していたけれど、バレバレだったのか(笑) 担任に呼び出されたこともある。
大学生では割に好き勝手してたけど、就職したら逆戻り。
結婚してからはそれこそ、地域の中で目立たぬように、目立たぬように生きてきた。
ご近所とは愛想よく(笑) つかずつかずつかず離れずで。
そういうのもなんだか嫌になってきたわけよ。
もうね、そろそろ勝手なことしてもいいんじゃないかって。
イヤなものはイヤ、嫌いな人は嫌い。
自分がなにかやりたい!と思ったことには熱心になるけれど、義務とか義理とか、善い人とか、そういうの止めちゃおうって。
どう考えても残り時間の方が少ないんだから、もうあんまり自分を誤魔化して生きるの止めようって。
ひょっとしたらこういうのを著者のいう≪不良≫になる、ってことかもしれないけれど(笑) だとしたら私も不良になろうって。
とても平易な文体で、私はうんうん、そうだよね~と、かなり共感できるところが多かったんだけど、ある章のところで、これはどう見ても誤植じゃないか?と思わせる個所が出てきた。
『屁理屈』が『屈理屈』になってる個所がある。
誤植じゃないですか?って出版社に訊きたいような気もするけれど、単に私の読解力のなさのせいかも知れないと思って放置中。
帯に≪これから先、本当に大切な事だけに 時間とエネルギーを使うために!≫という文字がある。
ここ数年、私もそういう思いを抱いていたので、手にとってしまった。
例えば、小学校ぐらいの学童期だと、人の好き嫌いはしないで誰とでも仲良くしましょう。。。的な事はよく言われる。
子供のころから、そんなことできるかい!って思ってたような子だった(笑)
でも、転校を繰り返すような境遇では、よくも悪くも目立ってはいけない。
だから、諾々と従っているふりをしていた。
高校ぐらいから、嫌なものは嫌だ、と思いつつも表面上は隠していたけれど、バレバレだったのか(笑) 担任に呼び出されたこともある。
大学生では割に好き勝手してたけど、就職したら逆戻り。
結婚してからはそれこそ、地域の中で目立たぬように、目立たぬように生きてきた。
ご近所とは愛想よく(笑) つかずつかずつかず離れずで。
そういうのもなんだか嫌になってきたわけよ。
もうね、そろそろ勝手なことしてもいいんじゃないかって。
イヤなものはイヤ、嫌いな人は嫌い。
自分がなにかやりたい!と思ったことには熱心になるけれど、義務とか義理とか、善い人とか、そういうの止めちゃおうって。
どう考えても残り時間の方が少ないんだから、もうあんまり自分を誤魔化して生きるの止めようって。
ひょっとしたらこういうのを著者のいう≪不良≫になる、ってことかもしれないけれど(笑) だとしたら私も不良になろうって。
とても平易な文体で、私はうんうん、そうだよね~と、かなり共感できるところが多かったんだけど、ある章のところで、これはどう見ても誤植じゃないか?と思わせる個所が出てきた。
『屁理屈』が『屈理屈』になってる個所がある。
誤植じゃないですか?って出版社に訊きたいような気もするけれど、単に私の読解力のなさのせいかも知れないと思って放置中。
「嫌いだけど、どっか良いとこないか?」って探すようにしてます(笑)
そして、私も楽母さんのように、家の中の整理や掃除が好きになりたい・・・切に思います。
今回の楽母さんの記事の件、私も少々感じ入ることがあります。
私は以前、中野好次の書いた『美しい老年のために』という本を読みました。
著者は『清貧の思想』を書いたことでも知られています。
本のなかで「私は六十を過ぎてからはあらゆる義理を欠くことにした。冠婚葬祭の義理や祝いのパーティー、盆暮れの贈答、無用な付き合い、すべてやめてしまうと自分も世間から相手にされなくなるが、その代わり大きな気持ちの自由を得た。
世間に調子を合わせる必要はもうないのだから、自分のからだの要求に任せていたら、次第に早寝早起きになった。そんなふうに徹底して自分本位に暮らしていけるのも、大都会に住んでいればこそである。わたしは老年の自由を存分に行使して、嫌いなことは一切せず、好きなことだけをして暮らしているが、どこからも文句はこない」。
私はここまで徹底して、世間の義理は欠くことはできませんが、できうればそうしたいとも思ってきました。
楽母さんに少し前に書きましたが、定年後は一切の団体や組織、○ ○会などの趣味の会合にも属さないことにしようと思いました。
それらに束縛されず、なるべく自由な気持ちでいたいと思ったのです。
本の著者のようにはできませんが、かなり共感したのは事実です。
11月の冒頭から、とりとめのないことを書いてしまいましたね(笑)。
雨が上がったらまた出かけますよ~。
しばらく前から記事を拝見していました。そして、様々なことへの興味と
新しいことへの好奇心などを感じて、楽しく読ませてもらっていました。
今日の記事は、とても共感しました。私も周囲の目を気にして
目立たぬように気を遣いながらここまで生活してきて、
大変疲れました。そして、自分が本当はどうしたいのかすら
分らなくなっていることに最近気づきました。
限りあるいのち、もう好きなように生きることを
自分に許可してあげようと思うこの頃です。
姉さん いつも いきなりの メールスンマヘン 嫁が寂しがってますわ 俺らは大丈夫! ほな 今月も よろしゅうに!
偉いなぁ。
いいとこ探しか。。。
多分、年齢的なひと区切りってあると思うのよ。
60になったから、そろそろ好き嫌いしてもいいんじゃないか? 神様もお許しになるんではないかって(笑)
勿論、気が弱いから? 露骨に表情や態度には出さないけれど、本当に気の合う好きな人だけを大事にして、気の進まないことはやらない、っていうふうにシフトチェンジしていってもいいと思えるわけ、ここ数年で。
きっと、在職中はばりばりお仕事をしていろんなものをすり減らしてきたんじゃないですか?
戦士の休日(笑)
私、それでもいいと思うんですよ。
今までずっと頑張ってたんだから、あとは自分の好きにすればいい、って心から思います。
清貧の思想、読んだような気がします。
似たような・・・別の作品だったかもしれませんが。
勿論、私だって全部に義理を欠くことなんかできないし、人から注目されない程度には、コミュニティーの中で目立たないように、というスタンスは今まで通りですけど、気持ちの自由までは誰にも束縛出来ないと思います。
はじめまして。 ようこそここへ♪
まだ若くて、学齢期の子供もいて、子供の親たちとの付き合いもあるから好き勝手なこともできない、っていう世代、時代ってあると思うんですよ。
でも、もうそれも抜けたし(笑) ほんとにねぇ、あと何年元気に生きられる?って思ったら、しょ~もないしがらみとか常識とか、捨てられる部分はみんな削ぎ落して自分のために生きようって思ったんですよ。
だからと言って、世間に迷惑をかけないっていうのは言うまでもないことですが、自分の為に生きたって誰にも文句を言わせないだけのことを今までにやってきた自信はあります。
こんな調子のブログですが良かったらまたいつでもコメントしてくださいね。
私ね、大人やめるわ(笑)
だんだん子供帰りしてわがままになってやる
メールはいつでもOKよん。
連絡貰えるの大好きだから。