井上荒野著 新潮社 2008年5月30日 初版
ご存知、先の直木賞受賞作。
ほかに積読のものがたくさんあって、なかなか読めませんでした。
まず、『切羽』というものが分からなかった。
もう・・・ものを知らない私は切羽と言う一風変わった名前、ぐらいにしか思っておらず。
で、調べた結果、いろいろあるんだけど、『トンネル削岩部分の最先端』というのが一番相応しいものだと思った。
つまり、行き止まり。そこから先へは進めない・・・という解釈。
実は『潤一』の後に『しかたのない水』と言うのも読んだ。
なので、この作品がいきなり南の島の方言であることに驚いた。
たった2作品しか読んでないのに、荒野さんは標準語の作家だと思いこんでいたから。
言い古された言葉ながら、「恋はしようと思ってできるものではなく、しないでおこうと思って叶うものでもない」というのが印象。
夫もいる島の小学校の養護教諭である主人公が、本土から?赴任してきた若い男性教師にいつとはなく心を惹かれる物語。
いつとはなく・・・ではないな。 最初に彼の姿を見たときから、既にそれは始まっていたのだ。
恋に落ちたときのじりじりするような焦燥感が静かな文体で流れていく。
そうなのだ、夫がいても、その夫に何の不足もなく寄り添い愛していても、落ちる時は落ちるもの。 それを否定できる人はいないだろう。
ただ、大方の妻は、それほどバカではない。
恋に落ちたところでそれを形にしようなどとは毛ほども思っていない。
若いときの恋愛のように、ひたすら自分のものにしようとはしない。いや、できない。 その恋を心の中で澱のように沈めて沈めて浮き上がらせないように努める。
その沈めた澱は、思いがけない力となって心の奥底で醗酵し、泡立たせるものがあるとしても、その醗酵したものと闘いながら、平穏で平凡な道を選ぶものだ。
いっそ何もかも捨て去って、独り身の時のように恋に溺れられたらどれだけ簡単で楽だろう。 情事と蔑まれても、恋に走れたらどれほどいいだろう。
でも・・・それは出来ない。 掠め取られそうになるわが心とのせめぎあい。
自分の中でふつふつと醗酵する思いをうまくコントロールするのには大変なエネルギーがいる。
こんなしんどい思いをするくらいならあの人を愛さなければ良かった、出会わなければよかった・・・なんてどれほど定めを恨むだろう。
けれど、恋はそれを許さない。恋はいつだって、理性の手前にあるものだから。
結婚していても、夫がどれほど素晴らしい人物であったとしても、心までは縛れない。 そして、どんなに心惹かれても、どんなに恋に溺れていても、それを形にして突き進む発破は・・・ここにはない。
ご存知、先の直木賞受賞作。
ほかに積読のものがたくさんあって、なかなか読めませんでした。
まず、『切羽』というものが分からなかった。
もう・・・ものを知らない私は切羽と言う一風変わった名前、ぐらいにしか思っておらず。
で、調べた結果、いろいろあるんだけど、『トンネル削岩部分の最先端』というのが一番相応しいものだと思った。
つまり、行き止まり。そこから先へは進めない・・・という解釈。
実は『潤一』の後に『しかたのない水』と言うのも読んだ。
なので、この作品がいきなり南の島の方言であることに驚いた。
たった2作品しか読んでないのに、荒野さんは標準語の作家だと思いこんでいたから。
言い古された言葉ながら、「恋はしようと思ってできるものではなく、しないでおこうと思って叶うものでもない」というのが印象。
夫もいる島の小学校の養護教諭である主人公が、本土から?赴任してきた若い男性教師にいつとはなく心を惹かれる物語。
いつとはなく・・・ではないな。 最初に彼の姿を見たときから、既にそれは始まっていたのだ。
恋に落ちたときのじりじりするような焦燥感が静かな文体で流れていく。
そうなのだ、夫がいても、その夫に何の不足もなく寄り添い愛していても、落ちる時は落ちるもの。 それを否定できる人はいないだろう。
ただ、大方の妻は、それほどバカではない。
恋に落ちたところでそれを形にしようなどとは毛ほども思っていない。
若いときの恋愛のように、ひたすら自分のものにしようとはしない。いや、できない。 その恋を心の中で澱のように沈めて沈めて浮き上がらせないように努める。
その沈めた澱は、思いがけない力となって心の奥底で醗酵し、泡立たせるものがあるとしても、その醗酵したものと闘いながら、平穏で平凡な道を選ぶものだ。
いっそ何もかも捨て去って、独り身の時のように恋に溺れられたらどれだけ簡単で楽だろう。 情事と蔑まれても、恋に走れたらどれほどいいだろう。
でも・・・それは出来ない。 掠め取られそうになるわが心とのせめぎあい。
自分の中でふつふつと醗酵する思いをうまくコントロールするのには大変なエネルギーがいる。
こんなしんどい思いをするくらいならあの人を愛さなければ良かった、出会わなければよかった・・・なんてどれほど定めを恨むだろう。
けれど、恋はそれを許さない。恋はいつだって、理性の手前にあるものだから。
結婚していても、夫がどれほど素晴らしい人物であったとしても、心までは縛れない。 そして、どんなに心惹かれても、どんなに恋に溺れていても、それを形にして突き進む発破は・・・ここにはない。
≪大方の妻は、それほどバカではない。恋に落ちたところでそれを形にしようなどとは毛ほども思っていない≫
昔は恋多き女であったであろうと思われる楽母さんから“女の気持ち”を解説されると、納得するばかりです。
昔は恋多き女であったであろう・・は
不正解です。
今も! です(爆)
想うだけでは駄目ですね。
行動に移さなければ・・・
『恋に落ちたら』という映画の中で、
プラトニックと主張する夫に、妻が言います。
「肉体関係のない、純粋な思いだからこそなお悪い」みたいな(笑)
人を思う形は、私は年齢なりに変化していくものだとしみじみ感じています。
今は、そ~っと遠くから見守るような
人知れず微笑まん、みたいな思いも
充分に、私の中では恋心です。
久々に、気持ちの良い朝になりました。
あっという間に、9月も2週目、うかうかしていられませんね。。。
>情事と蔑まれても、恋に走れたらどれほどいいだろう
時として、そのエネルギーを跳ね返して、恋に走る人たちがいますが・・・。
その行動力と言うか、無鉄砲さ(?)には、やっぱりついていけない。。。
理性も環境も、そして計算もある・・
>夫がいても、その夫に何の不足もなく寄り添い愛していても、落ちる時は落ちるもの。 それを否定できる人はいないだろう。
↑
落ちる時は落ちる。でも、地に堕ちない!
読みたいと思いつつ、まだ、前回の直木賞本も
図書館に予約中。旬に読まないと、色褪せるのにね。昔はすぐに買って読んだのに、この頃活字離れで反省です。前回芥川賞本を読んだけど、題材が私の好みじゃなかった。
「恋に落ちて」の一場面が浮かんできます。
書店で二人が出会うのよね♪
初めて恋に落ちたと自覚したのは
一昨年の秋。
片想いは得意です♪
今日のHey×3のラテ欄に、
魔王自宅公開の文字。
放送済みの振り返りだけど
一応録画予約♪これも愛だろ♪