
私が大学を卒業した年の4月から勤め始めた店がこの22日に閉店する。
大阪の本店はあの界隈でも1~2を争う店だが、この河原町店は規模も小さく、隣の高島屋に比べると、百貨店?と言われるような店。
それでも、あの就職難の年、新卒生をたくさん採用してくれるありがたい存在だった。
既存の同種の店と同じようにしていたのでは、いくらなんでも分が悪い。
というので、小さい店なりの特色を出そうと頑張っていたが、やっぱり何度リニューアルしてもこの不況には持ちこたえられなかったようだ。
一言で言えば中途半端(苦笑)
ほぼ若い子世代をターゲットにしたような品ぞろえながら、そこは老舗百貨店。 若い子がおいそれと買えるような価格設定ではない。 同じようなものなら私でも、隣の高島屋に行く(笑)
就職した年は、開店2年目。 まだ新しく綺麗な店舗だった。
2年目入社の我々は、4大卒以上、という条件で、デパート・・・いや、会社にありがちな制服はなかった。
胸に小さな名札(スミレの花つきの=笑)をつける以外は、私服。
なので、後ろを向いていたら、誰が従業員で誰が客なのかわからないような次第。
給料も、初年度は一律だったものの、次年度からは年棒制。 当時、初任給はびっくりされるほど高かった。
まぁ、その分、ボーナスがあるわけじゃなし、12月に『寸志』程度のお小遣い?があるぐらいで、トータルすれば高給取りだったのかどうかは不明。
給料の大半が毎日の洋服代に出て行く。
勿論、それだけじゃなくて靴だのバッグだの買っているので、いかに従業員価格であろうと、自宅通勤以外の者には、結構厳しかった。 そのうえ同じ系列の球団が強かった時期で、優勝セールの度にとんでもなく忙しい思いをした。
それでも若いということは今から思えば眩しいくらいで、残業で遅くなってもすぐそばの木屋町でなじみになっているスナックにたむろしてよく飲んだ。
若くて元気で活動的で、そして多分、人生で一番綺麗と言われた頃。
そんな時期を過ごした店が閉店する。
もうそんなに利用している店でもなかったが、少々寂しい思いにかられて・・・昨日は店を地階から最上階まで巡ってきた。
私にとっての一つの時代の終わりなり。
がんばれ。
私も勉強嫌いだったからなぁ。 でも、社会に出て働く方がもっと嫌だった。
せめてあと4年、猶予期間が欲しい、なんてね、典型的なモラトリアム人間だった(苦笑)
ひとつ・・・偉そうに言うならば、就職してからも、勉強とは縁が切れないよ、それは覚悟しておいた方がいいわ。 勿論、学校の学科のような勉強じゃないけれど、やっぱり管理職登用なんかの社内試験もあるし、会社から資格を取りに行けって命じられるものもあるし、そうそう、デパートだってね、ただ物を売ればいいってもんじゃなくて、買い付け仕入れだの、いろいろ交渉事もあるし販売士の試験だってあるんだよ。 うちの息子もスーパーの店長になった時には防火管理者だの酒類販売のなんとかだのって、講習やら試験やらあったし、息子の友人で商社に就職した子は、入社してからも英語と中国語の為に学校に通ったりしてたの。 最低限その2ヶ国語が話せないとクビにもなるしっていうんで。
だから、就職すれば試験だの勉強だのから逃れられると思ったらちょっと違う・・・ってこと、たくさんあるよ。
それは覚えておいてね♪
いいお話聞かせてくれてありがとうございました
行きたくない理由は特にあるわけじゃないんですけど、なんとなくもう勉強はいいかな~って感じです^^
ほんと、私たちの頃ってまだ、4大に行くのに偏見があったよね。 私なんか短大の付属高校だったから、隣(短大)にしときゃいいのに、ってどれだけ言われたか。
こっちは親元離れたさに、短大は絶対イヤだって京都の大学選んだんだけど、大学に入った途端、親が転勤した(笑)
だったらそのまま短大に行って、下宿しても良かったかも。
そうですね。 いつもデパートが閉店するって言うと押すな、押すなの大盛況で、これが普段に入っていたら潰れる事なんてなかったのに、って思いますよ。
四条店はもともと本店の黒字があるから
保ってたような店だったんだと思うの。
ところが、阪急だけじゃなく、全般に百貨店が業績悪いしね。
自社ビルでもないから閉店する以外なかったんだと思います。 今でもなかなか四条に行かないのに、これでますます足が遠のくわ。
怒らないで読んでね。
ある意味、君は恵まれてるのにどうして就職にそんなにこだわるのかな?とも思うよ。 景気が悪くて学費がだせないから進学は諦めてくれとか、国公立にしてくれとか言う時代に、お金がかかってもいいから進学しなさい、って言ってくれる親御さんがいるのだから。 私は親御さんの気持ちも理解できるけどね。
まぁ、それでも決めるのは寅さん自身だし、部外者の私が口出しできることでもないけれどね。 私は運転もできないし車もないけれど、確かに便利な所に住んでるので車の必要性はそれほど感じませんよ。
親には金のかかる大学でもいいから行け行け言われます。
大学行かない代わりそのお金で、いい車買ってよ!と言ったら怒られました
とりあえず、接客の仕事に就いてあるていど景気が良くなるまで待つことにしようかな。
そうだよ。就職難なうえに、ヘボ大だったから求人もともと少ないし(苦笑)
で、今と違って4大卒の女子採用ってのも少なかったしねぇ。 ほんと苦労したんだよ。 今年・・・というか、ここ最近も厳しいよね。 なんかこう、がらっと景気がよくなって売り手市場がやってくる方法ってないのかねぇ。
あのね、お盆に殺生はいかんぜよ(笑)
ほめ殺しっ! 私は何度死ねばいいんだ?
あ。屍鬼よんでから、蘇りだの起き上がりだのあるんだった(笑)
職場も無くなるけれど、卒業した高校も大学もいつの間にやら共学校になって、学校名が無くなってる~。
この店は新規開店みたいなものだったから、とにかくたくさん採用する必要があったし、まぁ、綺麗な人からそれなりの人まで(苦笑)
私、実はちょいとコネがあったんだよね。使わなかったけど。 使ってたら売り場になんていないで、事務所にいたと思うの。 店長づきあたりで(爆)
でも、やっぱりデパートは売り場が楽しいよね~。 おちゃこさんは例外じゃないでしょ。
一緒ですね^^
まあ高卒と大卒じゃ天と地の差がありますけどね
今日もネットで高卒求人みる予定です~
高島屋は1階に紳士関係・・・ネクタイ売り場が華どした♪
ウチ?もちろんネクタイ売り場♪
同僚だったパラパパが言うには例外もあったぞ~って???
ウチのことかい
楽母さんは普通に綺麗ですよ~。
うちの娘もそう言ってます。
さとぽんくんもそう思うよね~?
楽母さんへ
自分の青春時代が欠けていくような思いになります。
寂しいですね。
はい、それほどでもないというか、全然それほどじゃないというか。
私たちが居た頃は、もう少しデパートぽかったですが、昨日を見てる限りでは、デパートと言うよりはファッションブティックでした。 でもね、6階の催事場はごったがえしてたんですけど、ちょっとしたサービスや目の配り方はデパートのそれを残してましたね。
不老不死伝説に基づく小説なんかじゃ、大概、生き残ってる方が辛いんですよね。だから、老後?の寂しさはなんとなく分かるつもりでいます。
いるよ。同じフロアに配属されて仲良しだった。 今はね、四条店じゃなく本店勤務だけどね。役職ついてるよん。
あ、それから私たちの時代は『容姿端麗』枠ありましたから~(爆)
はいな(笑)おちゃこさんとほぼ同じ時期にお隣同士の店にいたわけで、当然、『容姿端麗』です
ってなことばかり書いては、なかなかログ友さんから、リアル友さんになれないのは、このSKBの嘘つきゆえ(苦笑)
どっから見ても普通のおばちゃんです。
あのね、店はこんなに小さかったっけ?とか、この裏はストックだったなぁ、とか。 ここは従業員食堂に続くとこだ、とか(笑) 商品見るより、店内の作りを見てしまいました。
楽母さんの気持ち解ります。でも最初に勤めた店舗との別れだからまだいいですよ。
あと何年かすると、仲のいい友人や昔の飲み仲間達がどんどん居なくなりますよ。寂しいものです。
私はお目にかかってないので、
さとぼん君の入れ込みようでほぼ推測できます。今までその時の容姿をキープは天晴れです。最期のお店廻って感慨ひとしおだったかな?
デパガってやっぱりある程度顔採用あるのかいな?
さすが美人っすわ。