富田元治のブログ

メール:ganto1950@yahoo.co.jp

袴田事件

2020年12月24日 | #袴田巌・冤罪事件

2014年4月3日にアップした記事を再度アップします。

袴田巌さんの罪をデッチあげた刑事、検事、裁判官。

 

袴田事件・・週刊現代に実名が載っているそうです。

袴田巌さんの罪をデッチあげた刑事・検事・裁判官。

 

週刊現代 最新号

袴田巌さんの罪をでっちあげた刑事・検察・裁判官。

袴田事件・・山本徹美(著)

この本を読む限り、

袴田巌さんは刑事・検察・裁判官によって、犯人にされていますね。

第9章・自白 

『昼から、あんた方のいうように認めるから、午前中、休ましてくれ。』

しばらく眠ったようになりました。

『袴田、ここへ名前を書け。』 

眠たいからボールペンで名前を書きました。

そして、刑事が私の手を持って指印を押しました。

 

美談の男 尾形誠規 著

袴田さんを無罪と確信しながらも、

死刑判決文を作成した 熊本典道主任裁判官を取材した本です。

 

袴田事件・弁護団による本です。

 

裁判中に、味噌タンクの中から、5点の証拠品が見つかりました。

パンツ、ステテコ、半袖シャツ(下着)、スポーツシャツ、ズボンの5点です。

小さくてはけないズボンの切れ端(残り布)が、袴田巌さんの実家から発見されました。

この切れ端(残り布)が、証拠品のズボンと一致したのです。

発見したのは、刑事でした。

 元捜査員(刑事)のコメント ←クリック

 

 

 

コメント

『犯人はそこにいる』清水 潔・著 新潮文庫。

2020年11月22日 | #袴田巌・冤罪事件

清水潔・著 『殺人犯はそこにいる』新潮文庫。

 ―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件― 新潮社

冤罪事件の【足利事件】です。ノンフィクションです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 

教団X  (集英社文庫) 中村文則・著 を買おうと本屋さんに立寄りました。

目に付いたのは、教団Xではなく、文庫Xでした。

教団Xのことは、脳裏から消え去りました。(笑い)

画像は、サイトから無断借用です。

 

 

文庫X。(画像はサイトから無断借用です)

文庫Xは、話題になったそうです。知りませんでした。

遅ればせながら、読んでみました。

 

 

 どうしても読んで欲しい810円(税込)がここにある。

これまでのあなたの人生には存在しなかった”衝撃” と ”感動”をお届けします。

これが文庫Xです。(画像はサイトから無断拝借です)。

 

 

この本はタイトルも著者名も隠して販売しています。

文庫X。(画像はサイトから無断借用です)

 

文庫Xのカバー表紙。(画像はサイトから無断借用です)。

文庫Xは、【殺人犯はそこにいる】 清水 潔・著 (新潮文庫)でした。

 

 

栃木県警・管内の幼児殺害事件。

1979年8月3日     栃木県足利市 福島万弥ちゃん(5才) 殺害事件

1984年11月17日   栃木県足利市(パチンコ店から誘拐)  長谷部有美ちゃん(5才) 殺害事件

1990年5月12日    栃木県足利市(パチンコ店から誘拐)  松田朋美ちゃん(4才) 殺害事件

 

1991年12月1日 栃木県警が、菅家利和(すがや としかず)さんを松田朋美ちゃん殺害容疑で逮捕しました。 

(菅家さんの自供と科警研のDNA型鑑定が証拠でした)

1991年12月22日 菅家さんが、福島万弥ちゃん、長谷部有ちゃん殺害も自供しました。

 

足利市の3件の幼児殺害事件を、菅家さんが自供したのです。

3件の幼児殺害事件は解決した、と栃木県民も被害者家族も思いました。

全国民も、足利幼児殺害事件は3件とも解決したと思い込みました。

 

ところが、真相は、

松田朋美ちゃん事件は起訴されましたが、他の2事件は証拠不十分で不起訴でした。

そして、松田朋美ちゃん事件も17年半後に冤罪と分かりました。

強要された自供と、あやふやな初期のDNA型鑑定で無期懲役が言い渡されたのです。

 

殺人犯はそこにいる。

冤罪事件の【足利事件】です。ノンフィクションです。

強要された自供と、1990年当時の初期のDNA型鑑定で、

無期懲役刑になった菅家利和さんの冤罪事件のノンフィクションです。

 

菅家さんは、DNA型鑑定で有罪となり、DNA再鑑定で無実となりました。

事件当時、DNA鑑定は正しい、絶対である。これが日本人の神話でした。

 

日本人のDNA鑑定神話で、菅谷さんは無期懲役刑を受けました。

菅家さんが、DNAの再鑑定を申請しても、裁判所は認めませんでした。

菅家さんはDNAの再鑑定が認められず、17年半も獄中生活でした。

 

同じ頃、アメリカではDNA鑑定で無罪があきらかになり、釈放されているのです。

アメリカでは、受刑者が望めばDNA鑑定の再鑑定をしなければならないとの法律もあります。

 

そんな中、申請したDNA再鑑定がやっと認められました。

事件当時(1990年)の初期のDNA鑑定に疑問を感じていた裁判官の判断でした。

 

勇気ある裁判官の判断で、2009年1月に、DNA型再鑑定が開始されました。

2009年5月8日、DNA型再鑑定の結果が、裁判所から発表されました。

【殺害犯と菅家さんのDNAは一致せず】 の発表でした。

 

菅家さんは、1991年12月1日に逮捕され、2009年5月8日にDNA再鑑定で無実となりました。

2009年6月4日に、菅家さんは釈放されました。

17年半後の釈放でした。 見に覚えの無い罪で17年半も自由が奪われたのです。

 

※ 同事件における初期のDNA型鑑定は、現段階において証拠能力を認めることができない。

(菅家さん釈放の理由です)

 

当時の科学警察研究所(科警研)の初期のDNA鑑定がいかにお粗末だったかです。

菅家さんは、2009年6月4日に釈放されました。17年半の獄中生活でした。

この本は、DNA再鑑定までのドキュメントです。

そして、真犯人にまでたどり着きます。超おすすめです。

 

【殺人犯は そこにいる】 清水 潔・著 (新潮文庫)です。

 

 

単行本についているカバーをスキャン。(下の画像2枚)

 

 

 

【殺人犯はそこにいる】 清水 潔・著 (新潮社) 単行本のカバーをスキャン。

 

 

足利事件の真犯人は・・・・・・。

徹底した取材によって、ついに【足利事件の真犯人】を炙(あぶ)り出したのです。

真犯人のDNAが、ルパンと一致したのです。

 

ルパンとは、松田真美ちゃん(4才)をパチンコ店から誘拐した真犯人です。

誘拐犯を目撃した人が、【誘拐犯は漫画のルパンに似ていた】と、証言したそうです。

しかし、真犯人・ルパンの逮捕には 繋がりません。

DNAが一致した真犯人・ルパンを、なぜ逮捕できないのでしょうか~?

 

栃木県の足利事件と同じ頃、群馬県警でも同じような幼児殺害事件が起こっています。

半径10キロ圏内で、同じような幼児殺害事件が起こっているのです。

1987年9月   群馬県尾島町 大沢朋子ちゃん(8才) 殺害事件、

1996年7月7日  群馬県太田市 横山ゆかりちゃん(4才) 行方不明事件、

の2件です。

 

菅家さんが逮捕(1991年逮捕)された後の1996年7月7日に、

同じような幼児誘拐事件が群馬県のパチンコ店で起こっています。

栃木県、群馬県の両県警が協力していれば、

1996年7月の横山ゆかりちゃん誘拐事件は起こらなかったかも知れません。

 

栃木県警と群馬県警。

県警同士の縄張り問題で、協力体制が組めないのです。

警察小説を読むとよく分かります。各県警の縄張り問題が。

 

足利事件は、菅家さん釈放(2009年6月4日)後の2011年に国会でも取り上げられました。

そして、

足利市の幼児殺害事件(3件)と、群馬県の幼児事件(2件)は、同一犯による犯行と否定できない。

と、国家公安委員長と菅総理が、2011年3月10日に国会で答弁しています。

5件の幼児殺害事件の再捜査が、菅総理の指示で、やっと始まると思われました。

ところが・・・・・・。

 

2011年3月11日の東北大地震の発生でした。

その後、政権も代わり、2県にまたがる5件の幼児殺害事件は、蚊帳の外になったようです。

 

著者(清水 潔氏)は、取材を続け、足利事件の真犯人に迫っていきます。

容疑者を取材します。そして、容疑者のDNAが一致したのです。

真犯人・ルパンがいたのです。

が、・・・真犯人・ルパンを逮捕できません。

 

著者・清水潔氏が依頼したDNA鑑定はルパンと一致したのです。

しかし、警察から被害者家族への報告は、

「鑑定の結果、DNAが一致しません。ルパンは犯人ではありません」 との電話連絡でした。

 

DNA鑑定を科警研が行っています。科警研のDNA鑑定です。

なぜだろう~??  なぜ、ルパンを逮捕できないのだろう~?

答えは・・・・・・・・・。

著書によれば、【飯塚事件】が絡んでいるからだそうです。

 

菅家さんを逮捕した初期のDNA鑑定は間違っていました。

科警研は、いろいろと言い訳をしているようですが・・・・・。

事件当時の科警研の初期DNA鑑定は、間違っていたのです。

当時の科学の限界を潔く認めるべきです。しかし、科警研は認めません。

認めたら、大変な事になるのです。 

 

初期のDNA鑑定を証拠にした事件が他にもあるのですから。

 福岡県の【飯塚事件】です。 ←クリック。

飯塚事件の犯人逮捕も科警研の初期のDNA鑑定でした。

菅家さん逮捕の初期DNA鑑定と全く同じ方法で、同じ人が行っています。

事件当時、DNA鑑定は正しい、絶対である。日本人のDNA神話でした。

 

菅家さんが逮捕された初期のDNA鑑定は間違いでした。

【飯塚事件】の初期のDNA鑑定も再鑑定をするべきです。

 

しかし、【飯塚事件】の犯人とされた久間(くま)死刑囚は、処刑(死刑)されています。

足利事件のDNA再鑑定が動き出す数ヶ月前に処刑されました。

足利事件は2009年1月にDNA型再鑑定が開始されました。

飯塚事件の久間(くま)死刑囚は、2008年10月に処刑されました。

 

 

著書の中では、DNA鑑定以外の目撃情報なども再審査の必要があると書いてあります。

飯塚事件は、DNAの他にも証拠が数点あります。

DNA鑑定はあやふやだったかも知れませんが、他の証拠は犯人を特定しているようです。

それより、被害者の膣内に残っていた真犯人の血液が微量すぎて残っていないようです。??

これでは、DNAの再鑑定が出来ないのかも~??

 

 

【下は新聞記事から】

久間元死刑囚は1994年の逮捕時から一貫して否認していたが、2006年9月に死刑判決が確定。

再審請求を準備していた2008年10月に死刑執行された。

2009年10月に妻が再審請求したが、福岡地裁は2014年3月に請求を棄却し、

弁護団が即時抗告した。

 

飯塚事件再審抗告審 (毎日新聞・2017年5月18日 21時34分)。

福岡県飯塚市で1992年、女児2人が殺害された「飯塚事件」で死刑を執行された

久間三千年(くまみちとし)・元死刑囚(当時70歳)の再審請求即時抗告審の3者協議が18日、

福岡高裁(岡田信裁判長)であり、実質的な審理を終えた。

 

協議後に記者会見した弁護団によると、

高裁は再審の可否を決定する時期については示さなかった。 

即時抗告審で、弁護側は被害女児の体内などから見つかった血液のDNA型鑑定で

久間元死刑囚のDNA型は検出されておらず、

この血液の血液型鑑定の手法も誤っているなどと主張しました。

飯塚事件再審抗告審 (毎日新聞 2017年5月18日 21時34分)。

 

【殺人犯は そこにいる】 清水 潔・著 (新潮文庫)。

超お勧めの本です。

飯塚事件・判決文 ←クリック。

 福岡県の【飯塚事件】です。 ←クリック。

 

 

 

 

 

コメント

熊本典道さん(83歳)死去

2020年11月14日 | #袴田巌・冤罪事件

熊本典道さん(83歳)2020年11月11日 死去。

袴田巌事件の死刑判決を書いた熊本典道さん(83歳)が死去されました。

 

熊日新聞の片隅に熊本典道さんの死亡記事が小さく載っています。

2020年11月14日の熊日新聞を無断でスキャンしました。すみません。

 

 

 

 

昔々ブログにアップしていました。再アップします。

 

袴田事件・・週刊現代に実名が載っていたそうです。

袴田巌さんの罪をデッチあげた刑事・検事・裁判官。

 

 

週刊現代 2014年4月12日・19日号。

袴田巌さんの罪をでっちあげた刑事・検察・裁判官。

 

冤罪・袴田巌事件を裁いた元主任裁判官「熊本典道」の秘密。

私は無罪を確信すながら死刑判決を言い渡した。

39年前の過ちを自ら告発した元エリート判事の転落と再生。

 

 

袴田事件・・山本徹美(著)

この本を読む限り、

袴田巌さんは刑事・検察・裁判官によって、犯人にされていますね。

第9章・自白 

『昼から、あんた方のいうように認めるから、午前中、休ましてくれ。』

しばらく眠ったようになりました。

『袴田、ここへ名前を書け。』 

眠たいからボールペンで名前を書きました。

そして、刑事が私の手を持って指印を押しました。

 

 

 

美談の男 尾形誠規 著

袴田さんを無罪と確信しながらも、

死刑判決文を作成した 熊本典道主任裁判官を取材した本です。

 

 

袴田事件・弁護団による本です。

 

裁判中に、味噌タンクの中から、5点の証拠品が見つかりました。

パンツ、ステテコ、半袖シャツ(下着)、スポーツシャツ、ズボンの5点です。

小さくてはけないズボンの切れ端(残り布)が、袴田巌さんの実家から発見されました。

この切れ端(残り布)が、証拠品のズボンと一致したのです。

発見したのは、刑事でした。

 

 元捜査員(刑事)のコメント ←クリック

 

 

 

 

コメント

袴田事件で重い十字架を背負った男・元裁判官の熊本典道。

2020年11月14日 | #袴田巌・冤罪事件

袴田事件で重い十字架を背負った男・元裁判官の熊本典道。

 

袴田巌さんの死刑判決を書いた熊本典道氏と長野智子さん。


「再審開始」

半世紀にわたって獄中から無罪を訴え続けてきた袴田巌さん(78)に静岡地裁が下した決定。

地裁前が喝采に湧き、メディアが報道合戦を繰り広げる影で、

元裁判官の熊本典道さん(76)は、

福岡県の自宅で「よかった・・」と声を振りしぼるようにつぶやき、涙を流しました。

 

 

熊本さんは袴田事件の第一審で、死刑判決を書いた裁判官でした。

当時29歳の熊本さんは主任裁判官として袴田事件の公判に望むうちに、無罪の心証を強くしたといいます。

「すぐに検察側の立証に疑問をもちました。証拠能力がもともとないんじゃないかと」

左陪席だった熊本さんは判決文を書く担当です。

 

警察が袴田さんを犯人扱いすることで意思統一が図られ、

自白強要を行ったと確信した熊本さんは無罪判決を書きました。

しかし、判決はあくまで3人の裁判官による多数決の合議制です。

 

有罪の主張を譲らない他2人の裁判官に「あんたが書け!」

と用紙を投げつけたこともあったという熊本さん。

しかし、最終的に左陪席の職務として、自分の意思に反し死刑判決文を書きました。

 

「なんで多数決で負けた奴が書かなければならないんだ」

と今も熊本さんは悔し涙を流します。

 

その悔しさをせめて判決文に反映させたいと、熊本さんは付言を残しました。

判決文の付言。

【被告人が自白するまでの取調べは、

=外部と遮断された密室での取調べ自体の持つ雰囲気の特殊性をもあわせて考慮すると=

被告人の自由な意思決定に対して強制的・威圧的な影響を与える性質のものであるといわざるをえない。

このような本件捜査のあり方は、「実体真実の発見」という見地からはむろん、

「適正手続の保障」という見地からも、厳しく批判され、反省されなければならない。

本件のごとき事態が二度とくり返されないことを希念する余り敢えてここに付言する】

判決文より抜粋(袴田ネット・袴田事件)

死刑判決文としては前代未聞の付言です。

 

「控訴審でおかしさに気づいてもらい、死刑判決を破棄してもらいたかった」

しかし、熊本さんの思いは届かず、控訴審、上告審とも死刑判決は覆りませんでした。

「自分がしたことは殺人ではないか」

自らを責め続けた熊本さんは死刑判決が確定した7ヶ月後に裁判官を辞め、弁護士になります。

 

そして長女が高2になったとき、「お父さんは殺人未遂犯だ」と苦しい胸のうちを明かしますが、

酒に溺れ、過去にもがき苦しむだけの熊本さんの元から、やがて家族も離れていきました。

「もう自分の力ではどうにもできない」

 

自暴自棄の生活を繰り返すだけの熊本さんに転機が訪れたのは2007年のことでした。

弁護団が再審請求をするということを知り、

合議審の内容は秘密にしなければならないという「合議の秘密(裁判所法75条2項)」を破って、

記者会見で「事件は無罪であるとの確証を得ていたが、

裁判長の反対で死刑判決を書かざるを得なかった」とついに暴露したのです。

 

しかし、そのときの再審請求は翌年棄却。

「味噌漬けの衣類についた血液のDNA鑑定」という新証拠による今回の再審請求により、

ついに再審開始の門戸は開かれたのです。

現在、福岡県で生活保護を受けながら暮らす熊本さんは、荒れた生活の結果、

病に何度となく苦しみ、コミュニケーションも難しい状況ですが、

再審開始のニュースに「やった」と笑顔を見せ、

拳を震わせて号泣しました。袴田さんに何と言いたいですかと尋ねると、

「ゴメン・・ゴメンねって。

あの時にもうちょっと言葉をつないで言っておけば・・

(心の引っかかりがとれるのは)そう簡単に終わることではない」

 

袴田さん自身はもちろん、ご家族、熊本さん、

多くの人の人生を狂わせた袴田事件。再審請求の際には、

これまで裁判官だった熊本さんも聞いたことのなかった袴田さんの自白テープの存在も明らかになりました。

そこには、犯行時に着ていたのは「パジャマ」だと自供する袴田さんの声がはっきり録音されています。

 

事件後しばらくたって出てきた「味噌漬けの衣類」を犯行時の着衣とした警察との矛盾には、

裁判所も「捜査機関による証拠の捏造疑惑」と判断しています。

 

自白の強要、証拠の捏造はあったのか。私は当時の捜査員に話を聞きました。

―例えば衣類など、証拠の捏造はあったのか。

「そんなことないよ」

―今回、DNA鑑定で血液は袴田さんでなく別人でしたよ。

「そうかい」

―自白の強要はしたのか。一日10時間以上取り調べをするとか、髪を引っ張るとか。

「僕はそんなことしてないよ」

―袴田さんを犯人にしようと上からきたとか、そういう空気があったのか。

「そういうのはない、そういうことを言えるわけないじゃん。私は組織の人間で、命令で動いてる」

最後に元捜査員にとって袴田事件とはどういう事件だったのかと尋ねると、

「そんなの、他の事件と同じ。いっぱい事件やってるから。もう忘れちゃったよ」

多くの方の人生を狂わせた責任の重みというのは、

残念ながら元捜査員からはまったく感じることができませんでした。

 

足利事件、布川事件ほか冤罪の疑いのある事件の構図は非常に似ています。

その多くは自白の強要、証拠の捏造といった警察による決めつけ捜査によって引き起こされるものです。

 

これを防ぐためには検察だけでなく、警察の取り調べの一部ではない、全面可視化。

そして、弁護側の開示請求によらない、検察の持っている証拠の全面開示です。

2度と同じ過ちを繰り返すことのないよう、一刻も早い改正が必要です。

(長野智子)

 

 

コメント

袴田事件をデッチあげた刑事・検事・裁判官。

2020年09月22日 | #袴田巌・冤罪事件

袴田事件・・週刊現代に実名が載っていたそうです。

袴田巌さんの罪をデッチあげた刑事・検事・裁判官。

 

 

週刊現代 2014年4月12日・19日号。

袴田巌さんの罪をでっちあげた刑事・検察・裁判官。

 

 

袴田事件・・山本徹美(著)

この本を読む限り、

袴田巌さんは刑事・検察・裁判官によって、犯人にされていますね。

第9章・自白 

『昼から、あんた方のいうように認めるから、午前中、休ましてくれ。』

しばらく眠ったようになりました。

『袴田、ここへ名前を書け。』 

眠たいからボールペンで名前を書きました。

そして、刑事が私の手を持って指印を押しました。

 

 

 

美談の男 尾形誠規 著

袴田さんを無罪と確信しながらも、

死刑判決文を作成した 熊本典道主任裁判官を取材した本です。

 

 

袴田事件・弁護団による本です。

 

裁判中に、味噌タンクの中から、5点の証拠品が見つかりました。

パンツ、ステテコ、半袖シャツ(下着)、スポーツシャツ、ズボンの5点です。

小さくてはけないズボンの切れ端(残り布)が、袴田巌さんの実家から発見されました。

この切れ端(残り布)が、証拠品のズボンと一致したのです。

発見したのは、刑事でした。

 

 元捜査員(刑事)のコメント ←クリック

 

 

 

 

 

 

コメント