富田元治のブログ

メール:ganto1950@yahoo.co.jp

山頭火

2017年08月31日 | 面白かった本

きょうも隣に ”山頭火” (井上智重)

熊日新聞に、毎日連載されています。

今日の句は、『お経をあげてお墓をめぐる』でした。

 

熊日新聞をスキャン。

 

毎回、句の説明がされています。

その説明の中に、木村 緑平、荻原井泉水、の名が出てきます。

木村緑平?、 荻原井泉水?、知りません。だれ~?でした。 

調べてみました。

 

木村 緑平(きむら りょくへい)。

無銭飲食をして捕まった山頭火の身元引き受け人になったことから縁が深まった。

行乞流転(ぎょうこつるてん)の山頭火を経済的に支援した人でした。

 

荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)。

東京帝国大学卒業後、新傾向俳句機関誌である「層雲」を主宰する。

自由律俳句の提唱者として【層雲】を拠点にして、

尾崎放哉や種田山頭火など多くの門人を育てる。

山頭火が投稿していた【層雲】の主宰者でした。

代表句

空をあゆむ朗朗と月ひとり

落葉の、これでも路であることは橋があって

 

尾崎 放哉(おざき ほうさい)。

自由律俳句の俳人としては、種田山頭火と並んで著名な俳人である。

山頭火の動に対して、放哉は静と言われる句風を持つ。

荻原井泉水の下で、層雲紙上で活躍した。

代表句

咳をしても一人

いれものがない両手でうける

春の山のうしろから烟が出だした(辞世)

 

数年前に、熊日新聞に ”山で出会った花” が連載されていました。

これにもハマリました。(笑い)

 

「山で出会った花」 自慢のスクラップ。1~9。

 

10~最後まで。

 

コメント (4)

分け入っても分け入っても

2017年08月29日 | 面白かった本

「私はたゞ歩いてをります、歩く たゞ歩く、歩くことが一切を解決してくれるやうな気がします」。

(山頭火のはがき) 

今日(8月29日)の熊日新聞に載っています。この葉書にドキリでした。

 

大正15年4月14日、坪井(熊本市)の報恩寺から山頭火は

木村緑平にはがきを出している。

「あわたゞしい春、それよりもあわたゞしく私は味取をひきあげました。

本山で本式の修行をするつもりであります。(略)

それまでは熊本近在に居ります。本日から天草を行乞(ぎょうこつ)します」。

 

味取観音の堂守をやめて最初に向かったのは天草だが、

当時の日記は残っておらず、何の記録もない。

画用紙のように真っ白だ。そこを旅する山頭火を思い画いたとき、

浮かんでくる句がある。

分け入っても分け入っても青い山 (山頭火) 

「天草は島でしょう」

「この句は高千穂で作られたのでは」

という声も聞こえそうだが・・・・・・・・・・つづく。(井上智重)

 

天草の山々。  里道から天草の山々を展望します。 天草観海アルプスです。

分け入っても分け入っても青い山 (山頭火)

 

(つづき)。  高千穂神社に昭和47年、地元高校教師らによって、

「分け入っても分け入っても青い山」 の句碑が建立される。

本当にこの地で作られたのか、大山澄太に一人が問い合わせたら、

「熊本から浜町に入り、そこから三田尻(高千穂)への途中の作ということが、

緑平さんのはがきではっきりしています」。

その肝心のはがきが残っていない。

 

第一句集 『鉢の子』 に

「大正15年4月、解くすべもない惑いを背負うて行乞流転ぎょうこつるてん)の旅に出た」

と前書きし、「青い山」の句が出てくる。

最初に向かった天草は島だが、深い山からなっている。

分け入っても分け入っても青い山だ。

 

炎天をいただいて乞ひ歩く (山頭火)

「炎天―」はそれに続く句で、これも天草らしい。(井上智重)

 

浜町から高千穂への里道からの展望。

 

浜町(矢部町)→浜町(山都町)。(蘇陽町、清和村、矢部町が合併 → 山都町)。

 

分け入っても分け入っても青い山 (山頭火)

画像を見る限り、浜町から高千穂への途中の作に軍配ですね。

天草の観海アルプスの登山道もいいです。

 

下の画像は、島原の山

分け入っても分け入っても青い山。この時期、遠くの山が青く見えます。

 

新緑の登山道。

コメント

北朝鮮・ミサイル3発

2017年08月27日 | #あ~人生

映画 ”関が原” 9時20分・封切りを観て来ました。

最も驚いたのは、観客が多かったことです。

9時20分上映開始なのに、ほぼ満席でしたね。

これには、びっくり仰天でした。(笑い)

 

やはり、原作ですね。原作が面白いです。

さすがに、戦闘シーンはスクリーンですが。

約30分間の戦闘シーンだけの映画だなぁ~と思いました。

やはり、内容は原作です。原作を読みましょう~!!

期待した人事権は全く画かれていませんでした。(笑い)

 

映画 関が原のポスター。

 

さてさて、”関が原”の映画を観て、大砲の威力にびっくりです。

26日朝、北朝鮮がまたまたミサイル3発を発射しましたね。

北朝鮮のミサイルは、あの大砲の数万倍の威力があります。

 

朝鮮国も大国に翻弄されていますね。

日本の植民地だった朝鮮国です。

1945年8月15日、日本の敗戦後、植民地・朝鮮国は、

1945年12月、米、英、ソの三国外相によるモスクワ会議で、

北緯38度線での分断統治が決定しました。

現地を見ない(考慮しない)単なる地図上の分断です。

 

北朝鮮をソ連、中国が統治します。

南朝鮮を米国、英国が統治します。

 

1948年2月に、金日成が共産党・委員長に就任しました。(ソ連、中国の支配下)

1948年8月に、李承晩が大統領に就任しました。(アメリカの支配下)

1950年6月25日・・・朝鮮戦争の勃発です。

 

先に38度線を越え、侵略してきたのは、北か南か、明確になっていません。

北は南が侵略してきたと言っています。南は北が侵略してきたと言っています。

(日本国民は、北が攻め込んで来たと思い込んでいますが。)

朝鮮戦争は、米国中心の国連軍とソ連、中国連合軍の代理戦争です。

 

同じ民族同士が数十万人の命を奪い合い、そして休戦協定です。

 

1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍が、”朝鮮戦争休戦協定” を締結しましたが、

終戦ではなく、休戦協定です。今日現在、まだ戦争中なのです。

 

1945年12月の米、英、ソ、のモスクワ会議から72年、朝鮮は分断されたままです。

分断の元々の原因は、日本の植民地政策です。

やり場の無い怒りに、朝鮮国が反日教育をするのもなんとなく分かります。

朝鮮国を植民地にした日本に対する怒りです。

今でも、同じ民族が分断されています。

ロシア、中国連合軍 対 米国、国連軍の思惑で分断されたままです。

日本国の植民地政策のせいだ、と思っています。

 

秋の気配・ヒメノボタン。(下の画像)

ヒメノボタン。

ヒメノボタン。

コメント

人事権

2017年08月26日 | 面白かった本

映画・関が原(司馬遼太郎・原作)の封切りです。

今から観に行ってきます。

徳川家康の人事の力、石田三成の人事の力を観て来ます。

 

関が原。この場面は?? 今から観て来ます。

 

現在の内閣人事局(安倍内閣・創設)=徳川家康の人事権と同等かも?

徳川家康の人事力と安倍内閣の人事力を比べてきます。(笑い)

徳川家康と安倍内閣の論功行賞を念頭に”関が原”見てきます。

 

今日の熊日新聞に載っていました。

内閣人事局(安倍内閣創設)の人事の力です。

森友学園への国有地格安払い下げ問題で、

国会で、答弁を行った佐川宣寿氏が国税庁長官に栄転しました。

「記録を破棄し、面会記録は残っていない。又、担当職員に確認する必要は無い。」

国会で、国民を馬鹿にした発言をした佐川氏の国税庁長官への栄転人事です。

 

また、安倍総理夫人付きの政府職員だった谷査恵子氏がイタリア大使館に栄転です。

佐川宣氏、谷査恵子氏、栄転人事です。論功行賞です。

職場の人事も全く同じ。・・・・何が~! 貴方も身にしみて分かるでしょう~!

 

8月の野の花 シモツケソウ。

 

 

8月の野の花 シモツケソウの群生。

8月の暑い太陽によく似合います。 真っ赤な野の花です。

コメント (2)

天然 鮎

2017年08月26日 | 熊本のグルメ

あゆ捕り名人の光ちゃんから、鮎が捕れたよ!の電話でした。

即、もらいに行ってきました。

「鮎の煮付けもうまかばい」のアドバイスで、

”煮付け”  ”塩焼き”  ”背ごし(刺身)”  ”味噌焼き” で、食しました。

 

天然 鮎 

鮎の ”味噌焼き” もなかなか美味でした。

私は調理師の免許を持っているのです。(笑い)

女房が「うそでしょう~?」と言いますから、

調理師試験の合格証書を探し出しました。(下の画像)

 

調理師試験・合格証書。  第1233号

(まだ 調理師は熊本県下に1233名でした)

 

中華料理店経営で、一財産築いた丸山君が言っていました。

「今、数億円の投資をしている。失敗しても、俺は料理が出来るから飯は食えるばい」 と。

私も料理人になれば、一財産築けたかも~!!

 

焼き鳥屋を始めようかぁ~?と知人に話したら、知人が言いましたね。

ganちゃん、腕のいい料理人を引き抜きなっせ。

そして、焼き鳥屋を任せなっせ。

自分でするより、腕のいい料理人を雇った方がよかばい、と。

あれから数年、腕のいい調理人をまだ探しています。(大笑い)

 

金ちゃんのおごりで。洋風ランチ。

ご馳走様でした。

コメント