新・貧乏物語。NO1
「驚くべきは現時の文明国における多数人の貧乏である」。
有名な書き出しです。
河上肇・京都大教授の『貧乏物語』が出版されてから100年です。
100年後の【新・貧乏物語】です。(gangee・著)。
日本国民が、未来に夢と希望を画き、
高揚感に浸ったバブル景気は1980年代後半ごろから始まりました。
まず、東京の土地が高騰しました。
東京に続き、大阪、名古屋、福岡、仙台と土地価格が上昇し、
地方都市・熊本市も凄まじい勢いで土地価格が上昇しました。
高騰した大都市の土地を処分したお金が、熊本市に流れてきたのです。
東京、大阪の戸建て住宅を高値で処分し、
熊本市に土地を購入し、賃貸マンションを現金で建てるのです。
そして、賃貸マンションの家賃収入を返済に充てるローンを組んで、
東京、大阪に高級マンションを購入されていました。
銀行も無尽蔵に融資をしていました。
銀行融資で、土地建物を購入すると、半年もたたない内に、
『購入された土地建物の担保価値が上がったので、融資を追加しますよ』
と、追加融資をしてくれるのです。お金がだぶついていたのです。
『お金を貸しますから、ゴルフ会員権を買いませんか?
購入されたゴルフ会員権を担保にして下さい』
と、銀行の融資担当者から声をかけられます。
(あの時、お金を借りて、会員権を買っていれば・・・・・・・・) 独り言。
1986年に13,000円台だった日経平均株価も一気に高騰し、
1989年12月に史上最高の38,957円を記録しました。
わずか3年間の間に3倍近く株価も地価も急騰したのです。
そして、1990年をピークに土地価格、株価ともに一気に下落しました。
1991年3月バブルの崩壊です。
さて、バブルが崩壊し、貧困層が出現してきます。
まず、バブルの頃、フリーターやニートと呼ばれる人々が出現しました。
これが、非正規社員の始まりです。
フリーター、ニート、まだまだ高給取りで、新しい働き方でした。
ボーナスはありませんが、それ相当の高給取りでした。
1986年に労働者派遣法が施行され、フリーター、ニートが出現したのです。
その後、小泉改革により、1999年、2003年と労働者派遣法が改悪されました。
全産業に非正規社員(派遣社員)が認められたのです。
(※竹中平蔵が派遣会社を創業しました。業界NO1の派遣会社・パソナです)。
同時に、フリーターやニートが、ワーキングプアーと呼ばれるようになります。
1998年に消費税が導入され、同時に所得税減税も行われました。
この所得税減税が、富裕層優遇税制の始まりなのです。
大規模小売店舗法も撤廃され、シャツター通りが出現しました。
庶民の働く場が消えたのです。新・貧乏物語NO2へ続きます。
新・貧乏物語 NO2。
2008年6月8日(日)、秋葉原の歩行者天国にトラックが突っ込みました。
死者7人、重軽傷10人の大惨事です。
犯人は、派遣社員の若者でした。
地元の有名進学校に進み、専門学校卒の派遣社員でした。
低賃金で、正規社員になるのを夢見て頑張っていたのです。
しかし、ある日突然の首切り宣告です。
派遣社員の身分を理解はしていましたが、突然の首切り、あまりにも無常な社会です。
気がついたときは、
ラガーナイフを持って、トラックで歩行者天国に突っ込んでいました。
掲示板サイトに書き込みが残っています。
派遣の首を切り、派遣がやっていた仕事を正社員がやるわけない。
勝ち組はみんな死んじまえ~! などなど。
派遣社員、社員と呼ばれていますが、アルバイト、パートです。
家庭の主婦が家計の手助けにと、働くパートと同じです。
派遣社員の給料では、家庭を持つことは出来ません。
一人がやっと生活できる給料で働いているのです。
いつ、首になるか分からない、収入も身分も不安定な派遣社員です。
心が病むのも時間の問題です。再チャレンジが出来ない状態なのです。
2005年にOECDが発表した日本の貧困率は、15.3%で先進国中、第2位でした。
2001年4月に発足した小泉内閣のデタラメな改革が日本の貧困層を増大させたのです。
しかし、日本政府の考えは、日本に貧困はない。これです。
OECDの発表など認めないし、公表もしません。
小泉改革は、貧困に苦しむ若者に、手を差し伸べようともしませんでした。
手を差し伸べることもせず、自己責任だと言ってのけたのです。
OECDが発表する日本の貧困率はさらに上昇を続けます。
その間、日本のリーダーは、人生いろいろ、自己責任と笑っていました。
自殺者、ホームレスは増え続けました。
それでも、貧困に目を向けようともしません。
そして、ついに6月8日(日)の秋葉原事件が起こったのです。
明らかに、貧困は政治の責任ですが、
日本政府は、今もって日本の貧困を認めようとしません。
新・貧乏物語 NO3へ続きます。
新・貧乏物語 NO3
OECDによる労働市場二極化の解消勧告。
2006年にOECDは、日本経済について、所得分配の不平等改善のために、
労働市場の二極化を削減するように、日本政府に申し入れました。
また、非正規労働者に対して社会保険を適用することが必要だとも指摘しています。
さらに、OFCDは2008年に、
「日本は若年者が安定した職を見つける支援をするために、もっとできることがあるのではないか。
日本の若年層は、労働市場の二極化進行の深刻な影響を受けている」。と指摘し、
「彼らは収入と社会保険は少なく、スキルやキャリア形成のチャンスも少ない。
非正規から正規への移行は困難であり、若年層は不安定な雇用に放置されたままである」。
と述べ、重ねて非正規労働者の雇用保護、社会保障を提言しています。
日本政府は、このOECDの提言に応えたのでしょうか?
何もしていません。対策をなにも採らなかったのです。
それどころか、OECDの提言を公表もせず、
非正規労働者を増加させるばかりでした。
今や、非正規労働者は労働者の6割をしめるようになりました。
6割を占める非正規労働者の雇用は不安定で、所得も低いのです。
極端に低い所得では、結婚、家族を持つこともできません。
益々、少子高齢化が進むばかりです。
一方、大企業、富裕層は、様々な富裕層優遇税制に守られ、
大企業の内部保留、富裕層の資産は、増えるばかりです。
大企業、富裕層の資産が増えるのに比例して、貧困層が増加しています。
小泉改革が行った、富の一極集中のために、日本国民は税金を納めているのです。(真実)
アベノミクスも、貧困層増大を図り、富の一極集中を狙った小泉改革と同じでね。
新・貧乏物語 NO4に続きます。
新・貧乏物語 NO4
格差拡大に貢献した小泉内閣の竹中平蔵がまとめた
1999年2月26日付けの「経済戦略会議答申」が公表されています。
「日本経済再生への戦略」(経済戦略会議答申)←クリック。
ここから、小泉内閣の格差拡大政策が始まりました。
この答申の中に、
日本経済の成長を妨げている最大の要因は、
過度に平等公平を重んじる日本型社会システムである。
日本経済再生の道は、行き過ぎた平等公平と決別し、
個々人の自己責任と自助努力をベースに
健全で創造的な競争社会を構築することが必要であり、
努力した人が報われる公平な税制改革を行うことである。
とあります。
この答申に基づいて行われたのが、
派遣労働者の完全自由化、相続税の最高税率の引き下げ、
所得税の最高税率の引き下げ、課税最低限の引き上げです。
つまり、富裕層の減税、低所得者層の増税が行われました。
格差拡大政策が、この経済戦略会議・答申に基づいて行われたのです。
※行き過ぎた平等公平と決別し、
個々人の自己責任と自助努力をベースに
健全で創造的な競争社会を構築することが必要であり、
努力した人が報われる公平な税制改革を行うことである。※
株式の配当、株式の譲渡益は分離課税になり、税率は10%になりました。
富裕層優遇税制が、どんどん取り込まれました。
努力した人が報われる公平な税制で、格差は益々拡大されて行きました。
格差拡大傾向が続きますが、政府は全く手をつけません。
ようやく、民主党政権になり、国会で貧困問題が取り上げられました。
OECD発表の貧困率が国会で取り上げられたのです。
先進国最悪の貧困率が公表されました。
しかし、日本には貧困は存在しない、が政府の統一見解でした。
議論されることはありませんでした。
小泉政権時に野党がOECD発表の貧困率を質問しますが、
小泉は、貧困率など全く知らず、失業率は改善されている。
の答弁で終わりました。
小泉も小泉ですが、野党も野党です。
貧困は問題にならず、自己責任だけがクローズアップされたのです。
非正規社員になったのも自己責任、貧困になったのも自己責任になりました。
経済的格差が増大するにつれ、貧困層も増大しました。
日本に貧困はありません。
政府が貧困を認めないのです。
格差社会の出現に、ようやく政府も気がつきました。
気がついただけで、なんら対策を講じようとしません。
行き過ぎた富裕層優遇税制を止めればいいのです。
富裕層に対する課税強化を適切にし、所得の再分配を行えばいいのです。
小泉政権以前の税制に戻しましょう~!
なんどもなんども、ブログにアップしますが、
「何を言っているのか分からん!」の反応しか返ってきません。
非正規社員、派遣社員が労働者の6割を占め、
一億総中流時代の中間層が消え、新たに新・中間層が出現しています。
正規社員で高学歴で、政治にも興味を持ち、
反原発、反安保運動にも参加する新中間層です。
貧困層を認め、格差を認め、格差縮小の運動を始める新・中間層の出現です。
新・中間層(正規社員)の活躍に期待して、新・貧乏物語を終わります。