富田元治のブログ

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袴田巌さんの無罪が確定しました。死刑執行が行われた飯塚事件の久間三千年さんは?

2024年10月09日 | #福岡県・飯塚事件
袴田巌さんの無罪が確定しました。


死刑執行が行われた飯塚事件の久間三千年さんは?

福岡県警は事件が発生してから約2年半後の1994年9月23日に、
死体遺棄容疑で久間三千年さんを逮捕しました。
その後、久間三千年さんを殺人罪などで起訴しました。

久間三千年さんは一貫して無罪を主張しましたが、
福岡地裁は1999年9月、久間さんに死刑を言い渡しました。
最高裁も2006年9月に久間さんの上告を棄却しました。
そして、わずか2年後の2008年10月に死刑が執行されました。












飯塚事件 その1 ←クリック。
飯塚事件 その2 ←クリック。
飯塚事件 その3 ←クリック。(新たな目撃証人)
飯塚事件 その4 ←クリック。


 



















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飯塚事件「再審認めず」福岡地裁

2024年06月06日 | #福岡県・飯塚事件
32年前の飯塚事件、福岡地裁「再審認めず」。
福岡地裁は、死刑執行後の元死刑囚の2度目の再審請求を棄却しました。


新たな目撃証言をした福岡県内に住む男性Aさん(72歳)の
目撃証言も却下したのです。
男性Aさん(72歳)は、事件当時、誘拐事件をテレビ報道で知って、
目撃情報を警察に届けているのです。
それでも、内容が不自然で信用性に乏しいのでしょうか?





飯塚を地盤とする麻生太郎内閣の法務大臣・森英介が、
死刑判決からわずか2年後に、久間三千年氏の死刑執行を命じました。
【非道な動機に基づき、被害者の尊い人命を奪った事案で、
それぞれの被害者や、遺族の方々にとって痛恨極まりない事件
であると思います。慎重な検討を加えたうえで、
死刑の執行を命令した次第です】(麻生太郎内閣の法務大臣・森英介)。



 



第2次再審請求書によると、
新たな目撃証言をしたのは福岡県内に住む男性Aさん(72歳)です。


1992年2月20日の午前11時ごろ、
飯塚市内の国道・八木山(やきやま)バイパスを車で走行中に、
後部座席に小学生の女子児童2人を乗せた
白いワンボックスタイプの軽自動車を見たといいいます。


児童2人が行方不明になった地点と近接した場所です。
運転していたのは30~40歳くらいの色白の男性で、坊主頭、細身の体形。
児童のうち1人はオカッパ頭で、
ランドセルを背負ってAさんを見つめており、恨めしそうな、
うら寂しそうな、今にも泣きそうな表情だったそうです。


もう1人は横になっていて、そばにランドセルがありました。
軽自動車は片側1車線の道路を時速40km以下でゆっくり走っており、
後ろについたAさんはイライラしながら登坂車線で追い越した際に
「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴なのか」
との思いで男性のほうを凝視したそうです。


Aさんは目撃した日の夜、
飯塚市で女子児童2人が行方不明になったことをニュースで知りました。
平日の午前中にランドセルを背負った児童が車に乗っているのは不自然だし、
表情から家族連れとも思えなかったので、
不審に感じて翌朝、警察に通報しました。
約1週間後に事情聴取を受けたそうです。1週間後です!!


その際、警察官は手帳にメモを取っていたが、供述調書は作成されなかった。
Aさんは、自分が目撃したのは被害に遭った児童であり、
運転していた男性が真犯人だと確信していた。

このため、福岡地裁での久間さんの初公判(1995年2月)を傍聴して
同一人物かどうか直接確認したが、
「まったくの別人で驚いた」としている。


ただ、検察の冒頭陳述で「DNA型が一致した」と聞き、
「自分の目撃は事件とは関係なかったのか」と気持ちをしまい込んでいた。
今回、証言しようと考えたのは「DNA鑑定の結果が
(再審請求審で)否定された」と2019年に地元紙の記事で知ったのがきっかけだ。


「そうであれば自分が見たのはやはり真犯人だったに違いない」
との思いが湧き起こった。
この新聞社に連絡して取材を受け記事になったことで、弁護団とつながった。


Aさんが弁護団に証言をした時点で事件から約28年が経っており、
弁護団も再審請求書に「信用性の判断には慎重な検討が求められる」
と記している。
それでも「新証拠」と主張するのは、以下の理由からだ。

Aさんは当日、
100万円の売掛金が回収できなかった帰途でイライラし、
さらに前方をノロノロと走行していた軽自動車にイライラして
「どんな奴が運転しているのか」と運転手を注視しており、
「単なる追い越し時の目撃にとどまらなかった」とみる。


平日の午前中にランドセルを背負った子どもが車に乗っている状況を不審に思い、
「まさか誘拐ではないか」と直感したことも挙げて、
「強い印象を抱いた、つまり強い記銘力が働いた」と分析している。

また、警察官の事情聴取を受けたり久間さんの初公判を傍聴したりと、
Aさんが目撃内容を確認する機会がその後も反復しており、
記憶が明確化されて維持されたと指摘している。


目撃した軽自動車が向かっていたのは遺体発見現場とは違う方向だったが、
弁護団はゆっくり走行していたことなどと併せて、
運転していた男性が犯行の場所を思い迷っていたためではないかと見立てている。


弁護団は2021年7月9日、第2次再審請求の申立て後に福岡市で記者会見を開いた。
主任弁護人の岩田務弁護士は、事件発生当時、
Aさんが警察に通報しながら証言が無視されたことについて
「警察はすでに久間さんを犯人にするのに都合が良い証拠だけを集めていた」
と捜査を批判した。


Aさんも同席し「事件のことがずっと頭の中に残っていた」と心情を吐露した。
弁護団は2次再審で、
久間さんの車と特徴が一致する車を遺留品発見現場で見たとする証言についても、
関連する捜査報告書などの証拠開示を求めていく方針だ。


この証言をめぐっては、
目撃者の調書を作成した警察官がその2日前に
久間さんの車を見に行っていたことが明らかになっており、
証言内容を誘導した疑惑が浮上している。


弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は2次再審へ向け、
Aさんが見たとする男性や児童が事件の当事者だと
立証するための課題を挙げながらも、
「状況証拠の柱になっている車の目撃証言の信用性を崩す中で、
Aさんの新証言はアナザーストーリーにもなる」と説明した。







コメント

映画:「福岡、飯塚事件:正義の行方」予告編

2024年05月04日 | #福岡県・飯塚事件
「飯塚事件」死刑が執行されたいまも多くの謎が残る。
== 映画『正義の行方』予告編 ==


2024年4月27日(土)映画公開の日ですが・・・・・。
ごく一部の劇場だけの公開です。
残念ながら、熊本での映画公開日は分かりません。
九州・沖縄の公開映画館は、福岡市のみです。
無実の人が処刑された映画です。
公開する映画館の少なさに、何らかの意図が感じられます。


無実の人(久間三千年氏)を死刑執行した福岡・飯塚事件です。
この福岡・飯塚事件が映画化されました。
しかし、行政が映画館に圧力をかけていますね!!
それとも、映画館側が権力者に「そんたく」していますね。


死刑判決後、わずか2年で死刑執行したのは、
麻生太郎内閣の法務大臣は「森英介」でした。 
麻生太郎内閣総理大臣の地盤は福岡県飯塚です。


福岡・飯塚事件、麻生太郎氏が経営する福岡・飯塚病院・・・・・・。
福岡飯塚事件、福岡飯塚病院・・・同じ福岡飯塚です。
「森英介・法務大臣」が、「麻生太郎・総理」にそんたくしたのかも?










4月27日から順次、全国?の映画館で公開される❓
うン❓ 全国❓ 全国の映画館では公開されません。(断定)。
わずか数館の映画館のみの公開です。映画館が行政に忖度します。



 





死刑判決から、わずか2年後に死刑執行された久間三千年氏です。
冤罪の可能性が濃厚です。
国家が無罪の人を殺した可能性が濃厚な事件です。


冤罪だった「足利事件」と同一人物が行ったDNA鑑定で、
警察も地元新聞も久間三千年氏を犯人だと決めつけた事件です。
久間三千年氏を犯人だと決めつけた新聞報道と警察の捜査が映画化されています。


ヨーロッパの「法の女神像」は、目隠しをしていますが、
日本の最高裁判所の玄関の女神像は、目隠しをしていません。
目隠しをしていない最高裁判所の法の女神像は何をみたのでしょう~?








ヨーロッパの法律の女神像は、目隠しをしています。
目隠しは彼女が前に立つ者の顔を見ないことを示し、
法は貧富や権力の有無に関わらず、
万人に等しく適用されるという「法の下の平等」の法理念を表します。
 

日本の最高裁判所の玄関の女神像は、目隠しをしていません。




日本の最高裁判所の玄関の女神像は、目隠しをしていません。




日本の最高裁判所の玄関の女神像。

目隠しは彼女が前に立つ者の顔を見ないことを示し、
法は貧富や権力の有無に関わらず、
万人に等しく適用されるという「法の下の平等」の法理念を表します。
しかし、日本の最高裁判所の玄関の女神像は目隠しをしていません。





車両の目撃・・わずか数秒間の間に、実に細かい事まで記憶しています。








一貫して無実を訴えていた久間三千年氏は、死刑を執行されました。


飯塚を地盤とする麻生太郎内閣の法務大臣・森英介が、
死刑判決からわずか2年後に、久間三千年氏の死刑執行を命じました。

「非道な動機に基づき、被害者の尊い人命を奪った事案で、
それぞれの被害者や、遺族の方々にとって痛恨極まりない事件
であると思います。慎重な検討を加えたうえで、
死刑の執行を命令した次第です」(法務大臣・森英介)。

福岡県・飯塚を地盤とする麻生太郎内閣の法務大臣・森英介が、
死刑判決からわずか2年後、久間三千年氏の死刑執行を命じました。

麻生太郎内閣総理大臣の時、森英介法務大臣が死刑執行を命じました!!




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Unknown (コージー大阪) 2024-05-05 08:15:36
遡って 西山さんの記事にも コメントさせていただきました。

裁判の公平性に関して、私の知っている事実を〜
3年ほど前の関西電力の不祥事、賄賂を送った側は助役で同和のボス。
関西電力はほとんどが 京大 学閥、大阪地検特捜部もほとんどが 京大 学閥
関西電力の顧問弁護士は 京大卒の大阪地検特捜部 OB
こりゃ、アカン❗ ┐(´д`)┌ヤレヤレ

ちなみに 安倍元首相絡みの大阪の籠池事件ですが
なぜかマスコミも殆ど 触れない事〜
土地の値段は不法投棄されたものが地下に埋まっているので
安くした訳ですが、それを処分した摂津市の業者は、
早い時点で豊中市役所のトイレで自殺しています。
ヤバ過ぎる事実です。

コメント、有難うございました。

コメント (1)

正義の行方 木寺一孝・著 福岡・飯塚事件

2024年04月10日 | #福岡県・飯塚事件
正義の行方 木寺一孝・著 講談社 2024年3月31日 発行

福岡・飯塚事件。
福岡県飯塚市で、2少女が拉致され、山中に遺体が遺棄された。
あくまで否認を続けた容疑者は、判決からわずか2年後、死刑執行された。


問:死刑執行の時まで「俺は殺していない」と叫ばれていました。
答:逮捕した警察官、「最後まで犯した罪を反省していないのですね」。


このノンフィクションは、30年以上前に起きたある殺人事件に
巻き込まれていった当事者たちの「正義」をめぐる物語です。

事件捜査を担った警察官たち、被告人の妻と弁護士たち、
そして事件報道に携わった新聞記者たち。
3者それぞれには信じる「真実」があり、
それぞれが拠って(よって)立つ「正義」があった。

【感想】読みやすい、スラスラいっき読みです。お勧めです。





正義の行方 木寺一孝・著 講談社 2024年3月31日 発行 ¥1700(税別)

福岡県飯塚市で、2人の女児が拉致され、山中に遺体が遺棄された。
死刑直前まで否認を続けた容疑者は、死刑判決からわずか2年後、死刑執行された。

問:死刑執行の時まで「俺は殺していない」と叫ばれていました。
答:逮捕した警察官、「最後まで犯した罪を反省していないのですね」。




正義の行方 木寺一孝・著 講談社 2024年3月31日 発行


飯塚を地盤とする麻生太郎内閣の法務大臣・森英介が、
久間三千年の死刑執行を命じました。

「非道な動機に基づき、被害者の尊い人命を奪った事案で、
それぞれの被害者や、遺族の方々にとって痛恨極まりない事件
であると思います。慎重な検討を加えたうえで、
死刑の執行を命令した次第です」(法務大臣・森英介)。

麻生太郎元首相の実家 ←クリック。


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「飯塚事件」死刑が執行されたいまも多くの謎。
==映画・予告編 『正義の行方』== YouTuveを共有しました。


 


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飯塚事件、判決文 ←クリック。


ヨーロッパの裁判所の女神像は目隠しをしています。







ヨーロッパの法律の女神像は、目隠しをしていますが、
日本の最高裁判所の玄関の女神像は、目隠しをしていません。




日本の最高裁判所の玄関の女神像は、目隠しをしていません。




日本の最高裁判所の玄関の女神像は、目隠しをしていません。

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== 飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その1 ==

飯塚事件:久間三千年(事件当時54歳)の死刑執行は正しかったのか?

 
 
 
 
飯塚事件とは、1992年2月20日に、
福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が登校中に行方不明になり、
翌21日に同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体が発見された事件です。
 
 
福岡県警は事件が発生してから約2年半後の1994年9月に、
死体遺棄容疑で久間三千年さんを逮捕しました。
その後、久間三千年さんを殺人罪などで起訴しました。

久間三千年さんは一貫して無罪を主張しましたが、
福岡地裁は1999年9月、久間さんに死刑を言い渡しました。
最高裁も2006年9月に久間さんの上告を棄却しました。
そして、わずか2年後の2008年10月に死刑が執行されました。
 
2009年に久間さんの妻が再審請求しましたが、
2021年4月に再審請求棄却が確定しました。
2021年7月に久間さんの妻が【第2次再審請求】を申し立てました。
 
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「飯塚事件」で元死刑囚の妻が【第2次再審請求】を行いました。
 新証拠は「真犯人」にかかわる目撃証言です。
 
「真犯人」にかかわる目撃証言を新証拠に据えています。
目撃証言が事実なら事件の構図が全面的に覆ることになります。
死刑執行後の第2次再審請求は異例の展開を見せています。
 
飯塚事件では直接的な物証や自白がないまま、
DNA鑑定や目撃証言などの状況証拠を積み重ねて久間さんの死刑判決が導かれ、
2006年9月に最高裁で死刑が確定しました。
 
久間さんは捜査段階から一貫して犯行を否認していましたが、
死刑確定わずか2年後の2008年10月に死刑を執行されました。
 

2009年に妻が起こした第1次再審請求では、
再審無罪となった「足利事件」と同じMCT118型で行われたDNA鑑定
の結果が実質的に証拠から排除されたものの、
「それ以外の状況証拠を総合すれば
久間さんが犯人であることについて高度の立証がされている」
と判断されました。
 

最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は今年2021年4月の決定で、
弁護団が提起した多くの疑問点に向き合うことさえせずに請求を門前払いしていました。
 
 

◆軽自動車にランドセルを背負った女子児童。
飯塚事件が起きたのは1992年2月20日です。
登校中の午前8時半すぎに行方不明になった児童2人は、翌日正午ごろ、
同県甘木市(現・朝倉市)の山中を走る国道沿いの崖下で、
ともに遺体となって見つかりました。
 
 
確定判決では、首を絞められたのが死因で、
殺害時刻は20日午前8時半~9時半の間とされました。

同日午前11時ごろに、
のちに児童の遺留品が発見される現場付近で久間さんの車と特徴が一致する車を見た、
とする証言が状況証拠の柱になっています。
 
 
第2次再審請求書によると、
新たな目撃証言をしたのは福岡県内に住む男性Aさん(72歳)です。
 

◆2月20日の午前11時ごろ、
飯塚市内の国道・八木山(やきやま)バイパスを車で走行中に、
後部座席に小学生の女子児童2人を乗せた
白いワンボックスタイプの軽自動車を見たといいいます。
 

児童2人が行方不明になった地点と近接した場所です。
運転していたのは30~40歳くらいの色白の男性で、坊主頭、細身の体形。
児童のうち1人はオカッパ頭で、
ランドセルを背負ってAさんを見つめており、恨めしそうな、
うら寂しそうな、今にも泣きそうな表情だったそうです。
 

もう1人は横になっていて、そばにランドセルがありました。
軽自動車は片側1車線の道路を時速40km以下でゆっくり走っており、
後ろについたAさんはイライラしながら登坂車線で追い越した際に
「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴なのか」
との思いで男性のほうを凝視したそうです。
 
 
◆久間さんの初公判を傍聴し「別人で驚いた」。
Aさんは目撃した日の夜、
飯塚市で女子児童2人が行方不明になったことをニュースで知りました。
平日の午前中にランドセルを背負った児童が車に乗っているのは不自然だし、
表情から家族連れとも思えなかったので、
不審に感じて翌朝、警察に通報しました。
約1週間後に事情聴取を受けたそうです。1週間後です!!
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

その際、警察官は手帳にメモを取っていたが、供述調書は作成されなかった。
Aさんは、自分が目撃したのは被害に遭った児童であり、
運転していた男性が真犯人だと確信していた。
 
このため、福岡地裁での久間さんの初公判(1995年2月)を傍聴して
同一人物かどうか直接確認したが、
「まったくの別人で驚いた」としている。
 
ただ、検察の冒頭陳述で「DNA型が一致した」と聞き、
「自分の目撃は事件とは関係なかったのか」と気持ちをしまい込んでいた。
今回、証言しようと考えたのは「DNA鑑定の結果が
(再審請求審で)否定された」と2019年に地元紙の記事で知ったのがきっかけだ。
 
 
「そうであれば自分が見たのはやはり真犯人だったに違いない」
との思いが湧き起こった。
この新聞社に連絡して取材を受け記事になったことで、弁護団とつながった。
 
 
◆「まさか誘拐では」と感じて強い記銘力が働く。
Aさんが弁護団に証言をした時点で事件から約28年が経っており、
弁護団も再審請求書に「信用性の判断には慎重な検討が求められる」
と記している。
それでも「新証拠」と主張するのは、以下の理由からだ。
 
Aさんは当日、
100万円の売掛金が回収できなかった帰途でイライラし、
さらに前方をノロノロと走行していた軽自動車にイライラして
「どんな奴が運転しているのか」と運転手を注視しており、
「単なる追い越し時の目撃にとどまらなかった」とみる。
 

平日の午前中にランドセルを背負った子どもが車に乗っている状況を不審に思い、
「まさか誘拐ではないか」と直感したことも挙げて、
「強い印象を抱いた、つまり強い記銘力が働いた」と分析している。
 
また、警察官の事情聴取を受けたり久間さんの初公判を傍聴したりと、
Aさんが目撃内容を確認する機会がその後も反復しており、
記憶が明確化されて維持されたと指摘している。
 
 
目撃した軽自動車が向かっていたのは遺体発見現場とは違う方向だったが、
弁護団はゆっくり走行していたことなどと併せて、
運転していた男性が犯行の場所を思い迷っていたためではないかと見立てている。
 
 
◆「事件のことがずっと頭に残っていた」
弁護団は2021年7月9日、第2次再審請求の申立て後に福岡市で記者会見を開いた。
主任弁護人の岩田務弁護士は、事件発生当時、
Aさんが警察に通報しながら証言が無視されたことについて
「警察はすでに久間さんを犯人にするのに都合が良い証拠だけを集めていた」
と捜査を批判した。
 
 
Aさんも同席し「事件のことがずっと頭の中に残っていた」と心情を吐露した。
弁護団は2次再審で、
久間さんの車と特徴が一致する車を遺留品発見現場で見たとする証言についても、
関連する捜査報告書などの証拠開示を求めていく方針だ。
 
 
 
この証言をめぐっては、
目撃者の調書を作成した警察官がその2日前に
久間さんの車を見に行っていたことが明らかになっており、
証言内容を誘導した疑惑が浮上している。
 
 
弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は2次再審へ向け、
Aさんが見たとする男性や児童が事件の当事者だと
立証するための課題を挙げながらも、
「状況証拠の柱になっている車の目撃証言の信用性を崩す中で、
Aさんの新証言はアナザーストーリーにもなる」と説明した。
 

 
 


 
 

コメント

【検証・飯塚事件】== 西日本新聞 ==

2024年04月08日 | #福岡県・飯塚事件
【検証・飯塚事件】 == 西日本新聞 ==
「ダブルタイヤ」目撃可能か 決め手の証言、捜査資料で突く。

不審車両が目撃された通称八丁峠のカーブ。



不審車両が目撃された通称八丁峠のカーブ。

目撃者は駐車する車両を見ながら、矢印のように左カーブを曲がっていった。
山中のカーブで車を運転しながら、駐車車両の「目撃」がどこまで可能なのか。

被害女児2人の所持品が捨てられていた現場で不審な車を見たとする
目撃証言は「飯塚事件」の有罪認定を支える柱の一つだった。

弁護側は再審請求後、検察側から開示された捜査資料を“武器”に
「見込み捜査の下、警察に誘導された証言で信用できない」と主張してきた。

福岡高裁による6日の決定は、
不審車両が「後輪ダブルタイヤ」だったと認めるかどうかが焦点となる。




目撃者の男性は事件発生の1992年2月20日に、
車で通り「対向車線に止まった不審車両を見た」と証言した。

「紺色ワゴンで後輪ダブルタイヤ」などの特徴が久間三千年死刑囚
=死刑執行時(70歳)=の車と一致すると確定判決は認定した。

一方、再審請求審で検察側は、弁護側の求めに応じて4通の捜査報告書を開示。



その結果(1)警察への証言は同3月2日に始まり、日を追って詳細になる。

(2)同9日に目撃者の供述調書を作成した巡査部長(当時)が、
その2日前に元死刑囚の車を「下見」していた-という新事実が判明した。

特に「下見」について弁護側は「元死刑囚を当初から疑い、
その所有車両に合わせて目撃証言を誘導していった証し」と主張。

ただし、当時の複数の捜査幹部は取材に対し
「飯塚事件の3年前、元死刑囚の自宅近くで別の女児行方不明事件があり、
当初から疑う見方はあったが、誘導なんて絶対にない」と強く否定した。

しかし目撃内容は日ごとに驚くほど詳細になっている。

カーブが連続する下り坂を運転しながら、
対向車線側の駐車車両を確認できたのは10秒程度。
すれ違う車への注意を考えると条件はさらに厳しくなる。

本当に可能だったのか。26年も昔の話だが、目撃者本人に尋ねた。

「何も記憶がないし、話すことはありません」。
本人をよく知る関係者は「善意の証言だったのに疑われ続けている。
彼もある意味、事件の被害者ですよ」。それ以上は聞けなかった。

 ◇    ◇

「後輪ダブルタイヤ」を検察、弁護側双方が重視するのは、
犯人車とみられる車両を絞り込む効果が大きいからだ。

逆に言うと、これが否定されれば目撃証言は証拠価値を失う。

再審請求を退けた2014年の福岡地裁決定はダブルタイヤと認めた。

根拠の一つとしたのが、
警察に誘導される可能性のない事件発生翌日の1992年2月21日、
職場の同僚が目撃者から「ダブルタイヤを見た」と聞いたとされる点だった。

この同僚の供述調書は5月28日付。3カ月の間がある。

高裁で弁護側は「もっと早い時期の捜査報告書があるはずで、
そこには『ダブルタイヤと聞いた』と書かれていない可能性がある」
と主張した。

下見の捜査報告書と合わせて開示を求めたが、
検察側は「存在しない」と回答。高裁も開示勧告しなかった。

真相究明に向けた証拠開示は十分だったのか。
元東京高裁判事の木谷明弁護士は
「捜査側が不利な証拠を隠していることは珍しくない。
裁判所は命令を出してでも可能な限り開示させるべきだった」と話した。


■「捜査報告書あるはず」 元特捜班長「調書作成前に」。

飯塚事件の目撃証言を巡り、弁護団が「あるはずだ」と訴え、
検察側は「存在しない」と否定する証拠。

目撃者の話を聞いたとされる同僚の証言を記した捜査報告書はあるのか、
ないのか。関係者を訪ねた。

「昨日、現場からの帰り道に不審な車がいた。
ダブルタイヤの紺色のボンゴ車だった」。

目撃者の男性は事件発生翌日の19921992年2月21日、
仕事場に「2女児の遺体発見」のニュースが流れると、そう話したという。

5月28日付の同僚男性の供述調書に記されている内容だ。

同僚は一審福岡地裁の証人尋問で「最初に警察に話をしたのは3月ごろ」としており、
弁護側はその時期の捜査報告書があるはずだと指摘してきた。

当時、捜査を指揮した特捜班長は取材に「同僚のことは覚えていない」としながらも「いきなり供述調書は取らない。
その前のざら紙の報告書があるはずだ」と説明。

「情報が海の物か山の物か分からないのに、いちいち(正式な)供述調書を作っていたら時間のロス。

意味のある情報に限って供述調書にするのが捜査の常道で、
同僚にも何度か事情を聴き内容は当然、
報告書につぶさに書いているはずだ」と語った。

一方、この同僚は「昔の話で思い出せないが、ダブルタイヤと聞いたと思う。
記録にあるのなら、3月ごろに警察の聴取を受けたかもしれない」と話した。

(飯塚事件検証取材班)=2018/02/02付  西日本新聞朝刊=


 


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