富田元治のブログ

メール:ganto1950@yahoo.co.jp

紅梅・津村節子・著

2017年01月29日 | 面白かった本

亀ちゃんから電話です。

「ganちゃん、津村節子って知ってるね?」

「女たちのジハードを書いた人でしょう?」

「それは、篠田節子たい。」

「吉村昭の奥さんたい。津村節子の「紅梅」ば読みなっせ。

ganちゃんが好きそうな本ばい」

 

紅梅・津村節子・著 (第59回菊池寛賞受賞作)

吉村昭没後五年を経て書かれた渾身作。

癌が転移し、自らの死を強く意識する夫を、妻と作家両方の目で見つめ、

全身全霊で文学に昇華させた衝撃作。

 

 

先日、前立腺癌の疑いがあると告知された亀ちゃんからの電話です。

癌の検査結果は、31日に分かるそうです。

その亀ちゃんが読めと薦める本です。

図書館から借りて読んでみました。

 

「ganちゃんが好きそうな本ばい」

吉村昭の本は好きですが、奥さんの本は・・・・。

なかなか、ページがめくれませんでしたが、やっと読み上げました。

 

活字中毒で、癌の疑いのある亀ちゃんが薦めた本です。

読むのが、ちょっときつかったです。

 

終活 ?

終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活動」の略で、

人間が人生の最期を迎えるにあたって執る様々な準備や

そこに向けた人生の総括を意味する言葉である。

 

癌の疑いがあると告知された亀ちゃんが薦めた訳は???

 

コメント (2)

天草の山・白岳(白嶽)で遭難

2017年01月29日 | 九州の山歩きと山野草

天草の山・白嶽(白岳)で遭難。

今日(29日)の熊日新聞に載っていました。

 

夜は冷え込んだでしょうね。

無事だったのは何よりです。

 

天草の山(観海アルプス・白嶽) ←クリック。

 

 

道迷い遭難。

道に迷ったと気づいた時に、迷った場所まで引き返す勇気が必要です。

下山中に迷えば、引き返すのに勇気が必要です。

登り返すには勇気がいります。また、登るのですから。

 

このまま下山すれば登山口に戻れると思ってしまいます。

道に迷えば戻れません。

道は消え、崖になります。

山の日暮れは早いです。すぐ、真っ暗になります。

遭難です。

 

山岳保険に入りましょう!

パソコンで申し込み、コンビニでお金を払えば保険証が送ってきます。

年間、4,000円ほどです。

地震保険は、年間8,000円ほどです。

 

私も熊本地震後に地震保険に入りました。

地震保険に入っておくべきでした。

後悔の毎日です。 あ~ぁ~、地震保険に入っておけばよかった~!!

 

 

 

コメント (2)

沈黙 -サイレンスー №2

2017年01月26日 | 感動した映画

沈黙-サイレンス-、を観てきました。

原作に忠実に撮(つく)られています。

原作を超える映画だと思いました。

沈黙-サイレンス-。スクリーンで観る映画ですね。

一生、記憶に残る映画だと思います。

 

画像:サイトから無断借用。

 

無神論者の私にも、何かしら心に響くものがありました。

記憶に残る映画です。

 

あなたはなぜ黙っているのです。

この時でさえ、黙っているのですか?

 

「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。

踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、

お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。」

 

原作を読んだときは、祭司 ロドリゴの心の叫びと思いましたが、

映画の中では、デウスの声と捉えることもできる演出でした。

 

岡田三右衛門 (司祭=牧師 ロドリゴの日本名)

延宝9年(1682年) 7月25日 病死 享年64歳

戒名 入専浄真信士 (南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏)

 

「沈黙」の舞台となった長崎に、沈黙の碑があるそうです。

遠藤周作氏の文学碑です。

この文学碑が建てられたとき、ペンキがかけられたそうです。

棄教、背教は許せない行為なんでしょうね。

 

画像:サイトから無断借用 沈黙の碑・遠藤周作 文学碑。

 

遠藤周作文学碑:サイトから無断借用。

人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです。

(遠藤周作)

 

殉教すれば、パライソ(天国)へ行ける。

パライソ=パラダイス(天国)。

貧しいキリスト教徒たちが、棄教せず、殉教したのは、

殉教すればパライソに行ける と思っていたんですね。

 

隠れキリシタンの人々は、

亡くなればパライソに行けると信じていた日本の貧しい人々だった?

 

※ 映画の最後の最後に、原作に無いシーンがありました。

この最後のシーンで、キリスト教徒の人々は救われるんでしょうね!

 

※ 原作に無い最後のシーンとは、

棺おけのロドリゴ(日本名・岡田三右衛門)に、

日本人妻が、日本の風習である「守り刀」を納めます。

その「守り刀」と同時に「十字架」を棺おけに納めるのです。

この「十字架」のシーンは原作にありませんでした。

 

永遠に記憶に残る映画です。

是非、スクリーンで!! 日置さん。

 

 

コメント

沈黙ーサイレンスー №1

2017年01月25日 | 感動した映画

沈黙-サイレンス-

気になって、気になって仕方ないから観てきました。

原作は、沈黙(遠藤周作・著)です。

遠藤周作氏は、「ぐうたらシリーズ」ぐらいしか読んでいません。

映画館に行く前に「沈黙」を読んでみました。

文庫本の裏表紙に書かれている文章です。

(下記)

 

島原の乱が鎮圧されて間もないころ、

キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、

日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と

悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、

ついに背教の淵に立たされる……。

神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、

キリスト信仰の根源的な問題を衝き、

〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。

 

新潮文庫(沈黙)

図書館に行っても借り出されていました。

古本屋さんにもありません。 しゃぁないから、買いました。

沈黙・・デウスの沈黙?

 

キリスト教禁止令が出されている日本になぜ、

二人の司祭(パードレ)がやって来たのか?

小説はここから始まっています。

 

小説を読む前に、信長が許したキリスト教を、

秀吉、家康がなぜ禁止したのか? 知っていますか?

(原作にも書いてありません。教科書にも書いてありません)

 

豊臣秀吉が「伴天連(ばてれん)追放令」を発したのは、

1587年7月24日(天正15年6月19目)でした。

これが最初のキリスト教禁止令です。

 

信長の政策を受け継いだ秀吉が、なぜキリスト教禁止令を出したのか?

禁止令を出した理由は・・・・・・・・・。

キリシタンの宣教は、西欧諸国の植民地政策と結びついていました。

初めに宣教師を送ってその国をキリスト教化し、

次に軍隊を送って征服し植民地化するという政策です。

キリスト教の教えにより、キリシタン大名は藩内の神社、仏閣を破壊しています。

 

また、数千万人の黒人奴隷をアメリカ大陸に運んだように、

数十万人の日本娘が世界中に売られたのです。

日本人娘の奴隷は、天正遣欧少年使節の旅行記に書かれています。

少年使節はヨーロッパで、数十万人の売られた日本娘達を目撃しています。

秀吉は、この植民地政策、日本人奴隷売買を知ったのです。

後年、秀吉自らも、朝鮮、中国を侵略し、植民地にしようとしました。

 

さてさて、

沈黙・遠藤周作・著 (新潮文庫)。

原作は、フェレイラ教父が長崎で「穴吊り」の拷問を受け、

棄教を誓ったとの報告が、ローマ教会に届くところから始まります。

 

フェレイラ教父は、日本にいること20数年、地区長の重職にいたクリスチャンです。

フェレイラ教父の教え子・ロドリゴ、ガルペ、マルタの3人は、

あのフェレイラ教父が棄教したなど、どうしても信じられず、

密入国を企て、捕まれば死刑と知りながらフェレイラ教父に会いに行くのです。

 

新潮文庫・沈黙(遠藤周作・著)

 

サイトより無断拝借。

 

また、後日。

 

 

 

 

コメント (2)

戦争の話 №3

2017年01月23日 | 面白かった本

戦争の話 NO3

【戦争は絶対にイヤ】

あの戦争を振り返って思うことは、絶対に戦争は反対ということ。

戦争だけはもう絶対に嫌です。

終戦を告げる玉音放送を聞いたあの日、私は涙が出るくらい負けたことが残念だったけれども、

その一方で、これで戦争がなくなったんだなという安心感があったのも正直な気持ちです。

 

神風が吹くとかなんとか言ってましたけれど、戦争終盤は負け戦ばかりでしたから。

戦争に行っていた人達が、これでもう戻って来られると思うと嬉しかった。

兵隊になった私の弟も運良く命を落とさずに戻って来れたから良かったけれども、

あと少しでも長く戦争が続いていたらどうなっていたか分からないですよね。

 

当時の若者の憧れの職業は、女性なら従軍看護婦、男性なら飛行機乗りだったけど、

そうやって憧れの職業について命を落とした人が果たして何人いるのか。

 

沖縄の集団自決、広島、長崎の原爆、その他若い命だけでなく、

大勢の人の未来を奪っていった戦争を、二度と繰り返してもらいたくはないです。

 

そして最後にもうひとつ若い人達に伝えたいことがあります。

私は戦争のため満足いく教育を受けられませんでしたので、

つい先日まで高校卒業の資格を取得するために、若い方達に交じって

高校で勉強をしておりました。

 

通信制でしたので、毎日お会いするわけではなかったのですが、

若い人たちと接して感じたことは、今の若者は忍耐力がないんだなぁということです。

私の若い頃は、十分な教育は受けられないし、食べ物もない、

欲しい物は手に入らないし、恋も自由にできない。

時代が違うと片付けることもできるけれども、私からすると、

今の若者は些細なことで悩むのだなと感じます。

 

日本の将来を背負っていかなければならないですから、

辛いこと、悲しいことがあっても、それを跳ね返す勢いを持って頑張ってもらいたいものです。

期待しています。

(本人の体験談をそのまま掲載しています)

 

 

コメント