【検証・飯塚事件】 == 西日本新聞 ==
「ダブルタイヤ」目撃可能か 決め手の証言、捜査資料で突く。
不審車両が目撃された通称八丁峠のカーブ。
「ダブルタイヤ」目撃可能か 決め手の証言、捜査資料で突く。
不審車両が目撃された通称八丁峠のカーブ。
不審車両が目撃された通称八丁峠のカーブ。
目撃者は駐車する車両を見ながら、矢印のように左カーブを曲がっていった。
山中のカーブで車を運転しながら、駐車車両の「目撃」がどこまで可能なのか。
被害女児2人の所持品が捨てられていた現場で不審な車を見たとする
山中のカーブで車を運転しながら、駐車車両の「目撃」がどこまで可能なのか。
被害女児2人の所持品が捨てられていた現場で不審な車を見たとする
目撃証言は「飯塚事件」の有罪認定を支える柱の一つだった。
弁護側は再審請求後、検察側から開示された捜査資料を“武器”に
「見込み捜査の下、警察に誘導された証言で信用できない」と主張してきた。
福岡高裁による6日の決定は、
不審車両が「後輪ダブルタイヤ」だったと認めるかどうかが焦点となる。
目撃者の男性は事件発生の1992年2月20日に、
車で通り「対向車線に止まった不審車両を見た」と証言した。
「紺色ワゴンで後輪ダブルタイヤ」などの特徴が久間三千年死刑囚
=死刑執行時(70歳)=の車と一致すると確定判決は認定した。
一方、再審請求審で検察側は、弁護側の求めに応じて4通の捜査報告書を開示。
一方、再審請求審で検察側は、弁護側の求めに応じて4通の捜査報告書を開示。
その結果(1)警察への証言は同3月2日に始まり、日を追って詳細になる。
(2)同9日に目撃者の供述調書を作成した巡査部長(当時)が、
その2日前に元死刑囚の車を「下見」していた-という新事実が判明した。
特に「下見」について弁護側は「元死刑囚を当初から疑い、
特に「下見」について弁護側は「元死刑囚を当初から疑い、
その所有車両に合わせて目撃証言を誘導していった証し」と主張。
ただし、当時の複数の捜査幹部は取材に対し
「飯塚事件の3年前、元死刑囚の自宅近くで別の女児行方不明事件があり、
当初から疑う見方はあったが、誘導なんて絶対にない」と強く否定した。
しかし目撃内容は日ごとに驚くほど詳細になっている。
当初から疑う見方はあったが、誘導なんて絶対にない」と強く否定した。
しかし目撃内容は日ごとに驚くほど詳細になっている。
カーブが連続する下り坂を運転しながら、
対向車線側の駐車車両を確認できたのは10秒程度。
対向車線側の駐車車両を確認できたのは10秒程度。
すれ違う車への注意を考えると条件はさらに厳しくなる。
本当に可能だったのか。26年も昔の話だが、目撃者本人に尋ねた。
本当に可能だったのか。26年も昔の話だが、目撃者本人に尋ねた。
「何も記憶がないし、話すことはありません」。
本人をよく知る関係者は「善意の証言だったのに疑われ続けている。
彼もある意味、事件の被害者ですよ」。それ以上は聞けなかった。
◇ ◇
「後輪ダブルタイヤ」を検察、弁護側双方が重視するのは、
彼もある意味、事件の被害者ですよ」。それ以上は聞けなかった。
◇ ◇
「後輪ダブルタイヤ」を検察、弁護側双方が重視するのは、
犯人車とみられる車両を絞り込む効果が大きいからだ。
逆に言うと、これが否定されれば目撃証言は証拠価値を失う。
再審請求を退けた2014年の福岡地裁決定はダブルタイヤと認めた。
根拠の一つとしたのが、
警察に誘導される可能性のない事件発生翌日の1992年2月21日、
職場の同僚が目撃者から「ダブルタイヤを見た」と聞いたとされる点だった。
この同僚の供述調書は5月28日付。3カ月の間がある。
高裁で弁護側は「もっと早い時期の捜査報告書があるはずで、
そこには『ダブルタイヤと聞いた』と書かれていない可能性がある」
と主張した。
下見の捜査報告書と合わせて開示を求めたが、
検察側は「存在しない」と回答。高裁も開示勧告しなかった。
真相究明に向けた証拠開示は十分だったのか。
元東京高裁判事の木谷明弁護士は
「捜査側が不利な証拠を隠していることは珍しくない。
裁判所は命令を出してでも可能な限り開示させるべきだった」と話した。
■「捜査報告書あるはず」 元特捜班長「調書作成前に」。
飯塚事件の目撃証言を巡り、弁護団が「あるはずだ」と訴え、
検察側は「存在しない」と否定する証拠。
目撃者の話を聞いたとされる同僚の証言を記した捜査報告書はあるのか、
ないのか。関係者を訪ねた。
「昨日、現場からの帰り道に不審な車がいた。
ダブルタイヤの紺色のボンゴ車だった」。
目撃者の男性は事件発生翌日の19921992年2月21日、
仕事場に「2女児の遺体発見」のニュースが流れると、そう話したという。
5月28日付の同僚男性の供述調書に記されている内容だ。
同僚は一審福岡地裁の証人尋問で「最初に警察に話をしたのは3月ごろ」としており、
弁護側はその時期の捜査報告書があるはずだと指摘してきた。
当時、捜査を指揮した特捜班長は取材に「同僚のことは覚えていない」としながらも「いきなり供述調書は取らない。
その前のざら紙の報告書があるはずだ」と説明。
「情報が海の物か山の物か分からないのに、いちいち(正式な)供述調書を作っていたら時間のロス。
意味のある情報に限って供述調書にするのが捜査の常道で、
同僚にも何度か事情を聴き内容は当然、
報告書につぶさに書いているはずだ」と語った。
報告書につぶさに書いているはずだ」と語った。
一方、この同僚は「昔の話で思い出せないが、ダブルタイヤと聞いたと思う。
記録にあるのなら、3月ごろに警察の聴取を受けたかもしれない」と話した。
(飯塚事件検証取材班)=2018/02/02付 西日本新聞朝刊=
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