「石福」から永町に戻って「魚忠」の前を過ぎました。劇中にも登場するお店ですが、水産加工場として常に忙しく稼働しておられるため、ガルパン要素は少なく、気軽に立ち寄って覗くのも悪い気がします。
近藤妙子は、水飛沫がよくかかるために足の部分が剥落して消えかかっています。パネルの底部そのものも痛んでいましたが、今回見ると台車に固定された状態になっていました。移動も楽になったようですし、水たまりや水飛沫の中に置かれることもなくなったようです。
さらに歩いて「ゆっくら健康館」の横を通りました。温泉のタンク越しにマリンタワーを見ました。
「大勘荘」の付近の道です。この道がかつての大洗海岸の海岸線であったことは、昔の航空写真などで見ることが出来ます。遠浅の海であったといい、砂浜も現在の四倍ぐらいの幅があったといいます。
今回の最後の見学地は、リゾートアウトレットでした。
「まいわい市場」には寄らずに二階に登りました。上画像は「まいわい市場」のある建物で、二階には多数の戦車プラモデルが展示されていることで知られます。今回はスルーして、通廊をたどって南の施設へと移動しました。
西側の建物の二階には「復興記念ギャラリー」があります。東日本大震災の際の大洗の被災状況や復興への過程などがパネル展示などで紹介されているコーナーです。以前に一度、急ぎ足で見たことがありますが、今回は時間的余裕をとってしっかりと真剣に見たいと考えたのでした。
あの向こうの海から、見たこともないような規模の津波が押し寄せてきて、港湾地区は完全に水没したそうです。もちろんリゾートアウトレットの建物も水面に浮かんで孤島のようになり、商業施設としての機能は完全にストップしました。
南側の中庭の噴水も、完全に波にのまれて水没したそうです。次々に寄せて地表の全てを押し流してゆく津波の前には、全てが無力であったといいます。ただ、避難指示が早い段階で適切に行われたため、住民は全員が迅速に退避して無事だったと聞きました。
そういった大洗の被災当時の状況というのは、ガルパンブームに沸いて盛り上がっている現在の大洗においては、次第に分かりにくくなってきているところがあるようです。「復興記念ギャラリー」を一度でも良いから見ておくことは、大洗に行って大洗を理解するうえでも大切なことと思います。
最後に「和泉屋米穀店」に立ち寄って挨拶しました。おばさんが「来月も来られるんでしょ、その頃にはまた新しいバッジが出てるからね、楽しみがいくらでもあるよね」と笑っていました。確かに大洗での楽しみは、いくらでもあります・・・。
大洗駅に着きました。
駅に居ると、なんとなく外観を撮影してしまいます。もう何枚も似たような写真を撮っているにもかかわらず、です。
インフォメーションコーナーに展示されている、町長からガルパンファンへの感謝状です。原則として行政サイドはガルパンブームに深く関わらないというスタンスを堅持しているようですが、それを端的に示しているのがこの感謝状だと思います。ガルパンのおかげで、震災の痛手から立ち直れたのであれば、もっともっと積極的に関わって共に盛り上がっても良さそうなものですが、実際にはこの感謝状一枚でさりげなくまとめているわけです。うまいものだと感心させられます。
アニメの聖地とされる地域において、行政がいろいろと干渉して失敗するケースがほとんどなので、そのへんを大洗町ではよく分かっているのでしょう。 (続く)