気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く12 その12  くるみや

2020年11月02日 | ゆるキャン△

 市川三郷町役場から歩いて4分ほどで、上図の「くるみや」というお店に着きました。「へやキャン△」第11話にて各務原なでしこたち野クル3人が訪れたお店です。役場から100メートルも離れていません。レンタカーを役場の駐車場に置かせて貰ったのも、徒歩ですぐに往復出来るからです。

 

 出入り口の戸ガラスに貼られた、おなじみのポスターです。店舗が西面して午後は強い日差しを浴びるせいか、すでに退色して青色っぽくなっていました。

 

 挨拶して店内に進むと、店主さんが心得たように「隣へどうぞ」と笑顔で横の部屋を示しました。入ってみると、見覚えのある室内空間でした。駄菓子店の、今風に言えばイートインルームでした。

 

 そのまんま、劇中に登場しています。机や椅子はもちろん、壁にかけてある逆さ杓文字も一致しています。

 

 気さくな店主さんと少し話をしました。ゆるキャン△の事は最近に知ったばかりだそうで、「へやキャン△」の舞台になったことについても、未だに驚きの余韻があるそうです。なんでウチになったんかねえ?と苦笑しておられました。

 もとは街中のこんな小さな駄菓子店でね、近在の方々相手に気楽にやっとるんですけどね、「へやキャン△」が放送されてからは、初めて見る方々が色んな所から訪れて来られるんですね、と淡々と話されました。そのうちに戸が開いて子供たちを連れた主婦の方が買物に来られました。

 

 子供たちとはみんな常連客であるようでした。店主さんは微笑みながら静かに見守っておられました。私は、購入したラムネとせんべいを、隣の部屋でいただいて一服しました。

 

 店主さんと話した際に、壁にかけられている「へやキャン△」第11話劇中カットの設定図を見せていただきました。上図の右上に額装してありますが、一見すると風景画のように見えてしまうため、よく見ないとそれとは分かりにくいかもしれません。

 

 子供たちはめいめいに2、3点の駄菓子を選んでいました。私も子供の頃に近所のお菓子やさんによくガムやチョコを買いにいったなあ、と思い出しました。

 その後、店主さんに次に行こうと考えている聖地スポットのひとつ、中央公園の位置を教えて貰いました。同じ質問を既に何度か受けているようで、「ああ、陣屋跡の公園のことですね」とすぐに地図を取り出して示しつつ、「そこの交差点(郡農協前信号交差点)から南へ行ってね、突き当りを左にまがって、すぐの角を右にまがる。そして南にいって、次の交差点が陣屋跡です」と淡々と答えられました。

 それを聞きつつ、ああ、そうだ・・・、市川には代官陣屋があったな、昔、陣屋の現存門建築を見に行ったっけ。確か、駿府紺屋町陣屋の出張陣屋として設置されて支配地は市川、身延の富士川流域ほぼ全域、計7、8万石ぐらいだったか、と思い出しました。昔、甲府の歴史研究団体に参加していた時期に学んだ知識が、こんな形で役に立つとは思いませんでした。

 江戸期の甲斐国は、もとは甲府城主柳沢氏15万石の領分でしたが、柳沢氏は後に大和郡山に転封となって甲斐は一国幕領となりました。それにともなって甲府、谷村、上飯田、石和の四ヶ所に代官所が置かれましたが、これに続く形で設置されたのが駿府紺屋町陣屋の出張所としての市川代官所でした。のちに谷村、上飯田代官所の廃止を含む幕領の再編により、市川の陣屋は出張所から本陣屋に昇格、代官も専任に転じたのでした。幕末の甲斐国は甲府、石和、市川の三分代官制にまとまっていたそうです。  (続く)

 


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