気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く その5 「御神体巡行です!!」

2013年11月18日 | 大洗巡礼記

 17番の「たかはし」を出て更に東へ進み、次の信号交差点で左折して少し進み、振り返って交差点を見ました。上画像のような景色ですが、これこそ劇中の第4話で、聖グロリアーナ女学院のマチルダⅡが大洗女子学園のⅣ号戦車D型を追跡していた場所ですね。この交差点を左折してゆくⅣ号戦車D型の姿が、マチルダⅡの視点で捉えられていた名シーンが思い出されました。


 交差点を左折すると、劇中のままの風景が広がってゆきました。この通りで緊迫のカーチェイスならぬ戦車チェイスが行われたわけですね。建物の並びはもちろん、僅かに登って降りる道路の起伏も忠実に再現されていることが分かりました。すごいですね。テンションも上がってまいりました。


 景色は、劇中と全く同じですが、劇中では看板や案内標識などの字を少し変えたりしてあるので、実際の風景に触れてみて初めて、本来の看板や標識の文字を知ることになります。


 コースのカープの途中の右手には、23番の「加藤豆腐店」がありました。店のガラス窓の半分ぐらいがガルパン関連の写真などで埋められていましたが、私は右端の柱に貼られた「有賀神社虫きり」のポスターをまず見ました。
 すると、出てきた店の方が、「あら、ガルパンじゃなくって有賀祭の方を見に来られたんですか」と話しかけてきました。ええ、ガルパンの聖地を見に来たんですが、有賀神社のお磯下り神事も拝みに来ました、と答えると、「もうそろそろ来るわよ、髭釜の道祖神社に立ち寄ってここを通るから」と教えられました。気付くと、商店街のあちこちで住民たちが外に出てきて待っているのが見えました。多くの人が片手に紙包みのようなものを持っていました。たぶんお供え物か、お賽銭だろう、と思いました。奈良県の古社寺の祭礼や神事でも和紙に包んだお供え物や銭を神仏に供える場面がよく見られるからです。


 店頭では、カエサルも有賀神社のお磯下りを待っているかのようでした。カバさんチームこと歴女チームのリーダーで、本名は鈴木 貴子(すずき たかこ)。ローマ史に詳しい二年生で、Ⅲ号突撃砲F型の装填手を務めます。出身は茨城県つくば市、好きな花はデイジー、好きな戦車はダ・ヴィンチ円形戦車、アリエテです。
 ところで、右手に懸けてあるのは何でしょうかね。


 24番の精肉店「鳥孝」の前に移動した瞬間、法螺貝の音がポーと響いてきました。道端で待っていた人々が「来たぞ」「有賀様だ」と言っているのが聞こえました。そしてまた法螺貝が鳴り、祭礼の法被を羽織った人々の列が交差点の方から道路の両側に分かれる形で二列になって進んできました。

 この時点で、ガルパン聖地巡礼の観光客は、どうやら私だけだったらしく、「鳥孝」から出て来たおばさんが「あっお客さん、ちょっと待っててね、有賀さんの御神体が通られるから拝みますからね」と言って店頭の椅子を指さしました。しかし御神体の巡行を座って見過ごすわけにもいかないので、私も立ったままで巡行の列を見守ることにしました。水戸の友人に言われた通り、カメラはザックにしまっておき、財布から五円玉を取り出して待ちました。
 まもなく、朝の水戸市街で夜行バスの窓から見下ろして拝んだあの御神体が、軽トラの荷台に載せられたまま、ゆっくりと通り過ぎてゆきました。御神体の周囲には箱のようなものが幾つか括りつけられてあり、住民の皆さんがめいめいに紙包みをそこへ放り投げていました。それから合掌したり、深々と頭を下げて礼拝していました。

 有賀神社は、平安期貞観元年(859)の創祀とされる延喜式内社の論社で、当初は藤内に勧請されて藤内神社と称しましたが、天正十八年の兵火で焼失、その後水戸内原の当地へ遷座して鹿島明神と称しました。明治六年、青木神社を合併し、明治十五年、有賀神社と改称して現在に至っています。その祭典の最大最重要なものが、大洗磯前神社へ渡御する磯下りで、全国でもめずらしい民俗行事として注目されています。
 毎年の11月11日、大御鉾を捧持して出御、祭典当日には町内及び遠近からの参拝者が多く、特に幼児をもつ親は愛児の無病を希い「虫切り」の祈願に沿道は参拝者で賑わいます。昔は御神体を馬車に乗せて水戸から大洗まで半日かけて磯下りを行いましたが、現在は軽トラで30分ぐらいでサッと移動しているそうです。

 この神事をなぜ私が注目していたかというと、大学での自由研究で宗教儀礼を調べた際に、神社の御神体を移動する実例が極めて稀であることを知り、奈良の春日大社のルーツである鹿島神の由緒の一つが磯神とされる件を知り、神体の移動距離が極めて長いケースとしてこの有賀神社の祭事が存在することに興味を持ったからです。
 春日大社の鹿は、鹿島神宮から連れてこられたとされ、そのコースは海を渡って磯下りの形をとったとする説があります。さらに春日四神のうちの二神、武甕槌命および経津主神は有賀神社の祭神でもあります。それで、春日大社のルーツの一部は有賀神社にも関わっているのではないかとする見解があり、その磯下りの先である大洗磯前神社の祭神も当初は鹿島系であったとする説もあるようです。そして御神体が移動すること自体、有賀神社の前身たる藤内神社の由緒が大洗磯前神社の当初の祭祀形態に発している可能性を強くうかがわせています。

 端的にいえば、大洗磯前神社は日本でもかなり古い海神信仰の拠点であって、現在こそ祭神が出雲系の大己貴命、少彦名命になっていますが、その前は海神として磯下りの祭祀をともなっていた可能性があるのです。その名残というか、古い祭祀の系譜をとどめているのが、いまの有賀神社の御磯下りの神事ではないかと思われるのです。そしてこの形の神事は、全国的にも稀な珍しいもので、水戸市の無形民俗文化財にも指定されています。海のない奈良県では絶対に見られない祭事でもありますので、私は一度その儀礼を見ておきたかったのです。

 だから、水戸の友人に神事の日を言われて驚き慌て、大急ぎで手配をして大洗にやってきた次第なのです。おかげで夜行バスの窓から御神体を拝み、さらに大洗の商店街でも巡行の様子を見ることが叶いました。御神体の箱に五円玉を投じることも出来、遠ざかってゆく御神体が街角に消えて見えなくなるまで見送りました。なぜか安らかな安堵感に包まれてきて、はるばる来た甲斐があったなあ、と思いました。

 お客さん、どうぞ休んでいって下さい、とお店の人がお茶を運んできてくれました。まだ何も買っていなかったので恐縮してしまい、食べかけの「たかはし」のみつだんごと一緒に有難くいただいた後、店内で唐揚げのおやつと缶バッジを買いました。先ほどのおばさんが「お客さんも有賀さんを丁寧に拝んで賽銭も上げていたでしょ、御利益があるわよ」と笑っていました。


 店先には、アヒルさんチームの磯辺典子が居ました。バレー部再興を目指してチームをまとめあげるリーダーの二年生で、ポジションはセッターです。チームでは戦車長と装填手を兼任して様々の活躍をしています。出身は茨城県大洗町、好きな花は朝顔、好きな戦車はM3スチュアートです。ガルパンファンの間では「キャプテン」と呼ばれることが多いようです。


 パネルの横には声優さんたちの訪問時の記念写真やサインなどが飾られてありました。イベントや観光シーズンには、ガルパンファンがこれらを撮影しに詰めかけるそうです。


 店内にも磯辺キャプテンのフィギュアや、ファインモールドの八九式中戦車甲型のキット完成品が飾られていました。色紙やポスター類も並べられていて、しかも数が増えていっているそうです。みんなガルパンファンの方々からの寄贈品だそうです。
 ここ「鳥孝」に限らず、キャラクターパネルの置いてあるお店では似たり寄ったりの状態になっていて、ファンから贈られたグッズや写真などが沢山あります。一種の展示コーナーみたいになっている所も見かけます。


 店先の椅子に戻っておやつを食べていると、店の若い方が出てきて、上画像の名刺を下さいました。うわさに聞くガルパンキャラ名刺の実物を初めて受け取りました。しかも、事前の下調べでリスト化しておいた14種類のキャラ名刺のなかには無かったものなので、さては15番目の新しい名刺が登場したか、と思いました。
 店の方の話によると、この名刺も先週にファンの方が作ってくれたものだそうです。大洗の方で名刺を準備しているのは、周知のように大洗ホテルさんだけと聞いていますので、あとはほとんどが、ファンの方々が手作り品を寄贈したものであるわけです。
 このガルパンキャラ名刺を、今回は出来るだけゲットしてみるのも面白いかもしれないな、せっかく大洗に来たのだから、楽しいチャレンジはどんどんやってみよう、と思いました。


 御神体巡行の列も居なくなって、静けさが戻った商店街を34番の「肴屋本店」の方へと進みました。劇中でマチルダⅡが玄関先に突っ込んだ、有名な建物が見えてきました。道がその前で急に折れているので、猛スピードで走っていた戦車が曲がり切れずに肴屋本店にぶつかってしまったわけですね。ガルパンファンにとっては、聖地のなかの聖地、とされている場所です。


 おお、ダー様ですよ、ダー様が立っておられますよ。やっぱりダー様はいいですなあ、そのテーブルの上の紅茶は、もしかしてダージリンですか。一杯御馳走して下さいよ・・・。


 ダー様、テーブルの上にスタンプと「日本戦車道連盟模擬試験」の設問のQRコードがあるじゃありませんか。優雅なティータイムにはそぐわないアイテムですわね。オホホホ・・・。 (アホかお前は)


 で、そちらのお方はどなた ? 知波単学園の西絹代さん ? 残念ながら存じませんな、劇中でお見かけしたことはございませんので。バロン西こと、西竹一陸軍大佐なら存じ上げておりますがね。硫黄島の戦いで戦車第26連隊を率いて戦死された方ですよ。
 絹代さんはその係累で、西流の戦車道を受け継いでいるという設定ですか ? それで九七式中戦車チハに搭乗されているというわけですか・・・・。


 「肴屋本店」には、ガルパン展示コーナーがあります。主人の大里明さんが居られたので、お願いして展示コーナーを見せていただきました。最初に目についたのが、あの「大洗ガルパン・トラベル・ガイド ~ガルパン聖地巡礼の手引き~」でした。思わず眺めていると、大里さんが「この本はもうすぐ出ますよ」と教えてくれました。ご自由に御覧下さい、と言われて数ページを見ました。その二日後が発売日でしたから、全部のページは見ないで戻しておきました。
 居合わせたガルパンファンの方が「この本が早く出ていれば、大洗巡りの計画とかも楽に作れますねえ」と話しかけてきたので、そうですね、と相槌をうちました。それから「トラベルガイドがあると便利ですが、無い場合には自分で色々調べることになりますがそれもまた楽しいと思います」と続けました。ああそれは言えますね、と大里さんも頷いておられました。
 ガルパン劇中にも登場している有名人ですが、気さくな方でした。いつかこの方の「肴屋本店」に泊まってみたいですね。


 グッズの数々は、見ていて飽きません。限定品も少なくなく、現時点では入手不可能なものも相当数ありますが、これらもほとんどファンの方々から寄贈されたものだということです。大里さんが収集されたものもあるそうですが、ごく一部だということでした。


 展示コーナーの奥には、あの名シーンを再現した立体模型もありました。突っ込んだマチルダⅡのキットも良い出来でしたが、それ以上に「肴屋本店」の建物の再現度が素晴らしかったです。実際の建物を細かく取材して寸法まできっちり合わせたかのような、精密な作りでした。


 「肴屋本店」の向かいには駐車場がありますが、その横の建物のトタン塀の上にはあんこうチームの五人の顔パネルがつけられていました。五人がめいめいに塀越しに「肴屋本店」を覗いている、という感じの構図が面白いですね。通りかかったガルパンファンの何人かが写真に撮っていました。


 駐車場の隅には、ガルパン仕様の自販機もあります。アヒルさんチームですね。
 このガルパン自販機、全部で8台があって大洗町の各所に配置されているので、最近にはこれを見て回るミニ巡礼もはやっているそうです。私も出来る限り探してみようっと。 (続く)

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