阪神・淡路大震災が発生したのは、今から12年前の今日だった。一昨年の記事「あの日自分は・・・」でも記した様に、あの日の衝撃は今でもハッキリ覚えている。未曾有の大災害によって、「被災者達の手助けを何とかしたい!」という人達の温かさを感じる一方で、「国は最低限の救済しか行なってくれず、結局は自助の精神で行くしかないのだ。」という諦観の念を抱かされた。未だに被災による苦しみを抱えている人達は多いに違いない。
「ウルトラマンメビウス」の第34話「故郷のない男」でおゝとりゲンが、32年前に多くの島民を結果的に見殺しにしてしまった事を悔い、その島の慰霊碑の前で「此処は俺が絶対に忘れてはならない場所だ。」と搾り出す様な声で語るシーンが在った。
世の中には忘れて”も”良い記憶と、絶対に忘れてはならない記憶が在る。その意味で言えば、阪神・淡路大震災で人々(被災者も非被災者も含め。)が得た記憶は、絶対に忘れてはならない記憶だと思う。
「ウルトラマンメビウス」の第34話「故郷のない男」でおゝとりゲンが、32年前に多くの島民を結果的に見殺しにしてしまった事を悔い、その島の慰霊碑の前で「此処は俺が絶対に忘れてはならない場所だ。」と搾り出す様な声で語るシーンが在った。
世の中には忘れて”も”良い記憶と、絶対に忘れてはならない記憶が在る。その意味で言えば、阪神・淡路大震災で人々(被災者も非被災者も含め。)が得た記憶は、絶対に忘れてはならない記憶だと思う。
実際に被災された方から当時の御話を伺った事が在りますが、この世の地獄とはこういったものを言うのだろうなと感じさせられました。マヌケ様も書かれておられますが、倒壊した家屋の下に愛する者が居るのが判っているのに、救済する術も無く、やがて起こった火災によって亡くなるのを見守るしかない状況というのは、生き地獄等という言葉を安直に用いるのも忍び難い様なものだったでしょう。(「はだしのゲン」にもそういった描写が在り、幼少時読んだ自分は喩え様の無い恐怖心と哀しみを覚えました。)
世の中のハイテク化が進んでも、一旦それが麻痺してしまえば、結局頼れるのは”人の輪”。人の温かさが身に沁みる一方で、被災地に乗り込んでドサクサに紛れて人な行動を為していた人間も少なからず居たと聞き及んでいます。同じ人間だというのに・・・。
トラバありがとうございました。