一昨日、「奇跡にまつわる二つの話」というタイトルで、20年ぶりに意識が回復した女性の話を取り上げた際、正直、書くのに躊躇を覚えた部分が在った。意識を無くした娘を20年にも亘って介護し続けて来た親の深い愛情が、今回の奇跡を呼び起こしたのではないかという部分である。今でも、親の深き愛情が奇跡を呼び起こしたと信じてはいる。でも、こう書いてしまうと、現在、同じ様に長期に亘って意識不明な身内を抱える家族に対して、「じゃあ、うちは愛情が足りないとでも言うのか!」といった思いをさせてしまうのではないかという気持ちも在った。そして、他にも・・・。
一昨昨日、横浜地裁で一つの判決が下された。神奈川県相模原市で、昨年8月に起こった事件に関する判決。全身の筋肉が麻痺する難病の「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を患った長男(当時40歳)の人工呼吸器のスイッチを切って安楽死させたとして、殺人罪に問われていた母親(60歳)に対し、彼女の弁護士が主張していた嘱託殺人罪を適用し、懲役3年、執行猶予5年が言い渡されたのである。求刑が懲役5年であった事を考慮すると、3年に減刑され且つ執行猶予が付いた事は温情判決と言えるだろう。
判決を言い渡した裁判長は、「不治の難病で四肢が麻痺して自ら死ぬ事が出来なくなった長男から、被告は人工呼吸器の停止を日頃から懇願されていた。」と、減刑した理由を述べている。亡くなった長男は、目の動きで文字を拾う方法で、「人工呼吸器を外して欲しい。」と母親のみならず、訪問看護士や医師等にも再三求めていた事を認めた形だ。
ALS患者やその家族で作る「日本ALS協会」では、有志で2,400人分の刑の減刑を求める嘆願書を横浜地裁に提出していた。協会の事務局長は、寛大な処分を下した裁判所に対して複雑な思いも漏らしている。
「頑張っている他の患者を否定する事にも成り兼ねない。患者、家族によって(判決の)受け止め方は違うと思う。何故患者が『生きたくない。』と言うのか。裏には『家族に迷惑を掛けたくない。』という遠慮が言わせている側面も在る事を考えて欲しい。」
そして、患者から「死にたい。」と人工呼吸器を外す様に求められた際、本人の意思を尊重すべきとの声が在る事に付いて、「人の命が粗末にされる方向に流れるのではないか。」と懸念も示している。
確かに彼の述べている側面は否定出来ない。同協会の会員が述べている様に、「家族だけで介護するのは非常に大変であり、医療、行政、福祉に携わる人々が真剣に話し合って、療養環境を改善していかなければ、同様の事件が起こり兼ねない。」というのも頷ける所だ。
だが、癌に罹患した祖母が、長期間に亘って断末魔の苦しみにもがき続けていた姿を今でも忘れられない自分にとっては、ドクター・キリコの存在を否定出来ないでいる。
人間として生きられているのか?先の見えない介護に心身共に疲弊し切ってしまっている家族の姿。過酷極まりない現実が其処に厳然と存しているならば、愛だ奇跡だという言葉を安直に使ってしまうのに、どうしても躊躇を覚えてしまうのだ。
一昨昨日、横浜地裁で一つの判決が下された。神奈川県相模原市で、昨年8月に起こった事件に関する判決。全身の筋肉が麻痺する難病の「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を患った長男(当時40歳)の人工呼吸器のスイッチを切って安楽死させたとして、殺人罪に問われていた母親(60歳)に対し、彼女の弁護士が主張していた嘱託殺人罪を適用し、懲役3年、執行猶予5年が言い渡されたのである。求刑が懲役5年であった事を考慮すると、3年に減刑され且つ執行猶予が付いた事は温情判決と言えるだろう。
判決を言い渡した裁判長は、「不治の難病で四肢が麻痺して自ら死ぬ事が出来なくなった長男から、被告は人工呼吸器の停止を日頃から懇願されていた。」と、減刑した理由を述べている。亡くなった長男は、目の動きで文字を拾う方法で、「人工呼吸器を外して欲しい。」と母親のみならず、訪問看護士や医師等にも再三求めていた事を認めた形だ。
ALS患者やその家族で作る「日本ALS協会」では、有志で2,400人分の刑の減刑を求める嘆願書を横浜地裁に提出していた。協会の事務局長は、寛大な処分を下した裁判所に対して複雑な思いも漏らしている。
「頑張っている他の患者を否定する事にも成り兼ねない。患者、家族によって(判決の)受け止め方は違うと思う。何故患者が『生きたくない。』と言うのか。裏には『家族に迷惑を掛けたくない。』という遠慮が言わせている側面も在る事を考えて欲しい。」
そして、患者から「死にたい。」と人工呼吸器を外す様に求められた際、本人の意思を尊重すべきとの声が在る事に付いて、「人の命が粗末にされる方向に流れるのではないか。」と懸念も示している。
確かに彼の述べている側面は否定出来ない。同協会の会員が述べている様に、「家族だけで介護するのは非常に大変であり、医療、行政、福祉に携わる人々が真剣に話し合って、療養環境を改善していかなければ、同様の事件が起こり兼ねない。」というのも頷ける所だ。
だが、癌に罹患した祖母が、長期間に亘って断末魔の苦しみにもがき続けていた姿を今でも忘れられない自分にとっては、ドクター・キリコの存在を否定出来ないでいる。
人間として生きられているのか?先の見えない介護に心身共に疲弊し切ってしまっている家族の姿。過酷極まりない現実が其処に厳然と存しているならば、愛だ奇跡だという言葉を安直に使ってしまうのに、どうしても躊躇を覚えてしまうのだ。
僕もホリえもんは嫌いですね。正々堂々とTOBかければいいのに、裏から手を回すようなやり方はネェ、好きになれません、まぁ、ビジネスとは人の裏をかくものだといえばそれまでなんですがね。