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検事は何を信じ、何を間違えたのか?
東京地検のヴェテラン検事・最上毅(もがみ たけし)と同じ刑事部に、司法修習所で教官時代、教え子だった沖野啓一郎(おきの けいいちろう)が配属されて来た。
或る日、大田区で老夫婦刺殺事件が起きる。捜査に立ち会った最上は、1人の容疑者の名前に気付いた。今から17年前、大学生だった最上が入居していた寮で、管理人・久住(くずみ)夫妻の娘で中学生の由季(ゆき)が殺害された。管理人夫婦には大変世話になり、そして自分にも懐いていた由季を殺めた、憎き犯人。既に時効を迎えてしまった此の事件で当時、重要参考人と目されるも、容疑不十分で逮捕には到らなかった男・松倉重生(まつくら しげお)の名前が、今回の刺殺事件の容疑者の1人として記されていたのだ。
彼が今回の事件の犯人で在るならば、最上は今度こそ法の裁きを受けさせると決意するが、沖野が捜査に疑問を持ち始める。
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雫井脩介氏の小説「検察側の罪人」。アガサ・クリスティー女史の小説&戯曲に「検察側の証人」というのが在るが、「検察側の罪人」というタイトルは、此の有名過ぎる作品を意識して名付けた物と思われる。
当ブログで何度か書いた事だけれど、「正義」とか「愛国」とかという概念は非常に曖昧で、時には危険さも有する。人其れ其れに「正義」や「愛国」の“中身”が異なり、其れを「唯一無二的に正しい。」と振り翳し、他者に強いるというのは、相手の心身に危害を加える事で在るからだ。
「正義とは、一体何なのか?」、そんな事を考えさせられる内容。「極刑に処されるべき犯罪を起こし乍らも、容疑不十分で逮捕されない儘、時効によって“罰”を免れた者が居る。長い月日を経て、其の人物が別の殺人事件の容疑者として自分の前に現れるも、此の件に関しては犯人で無い可能性が極めて高い。」、そんな場合、どうすれば良いのか?冤罪が絶対に許されないのは判っているが、こういうケースが非常に悩ましいのも事実。近しい人間を殺害された者ならば、余計にそうだろう。
最上も沖野も、「正義感の強さ」という点では似た人物。司法修習生として抜きん出た成績では無かったものの、沖野の正義感の強さを含めた素質の高さを、教官として買っていた最上。そんな最上を、沖野も慕っていた。沖野が最上と同じ検事の道に進み、そして最上と一緒に事件を追う事になった時、2人の間に軋みが生じ始める。
正義感の強い者同士が、己が信じる正義を貫くべく、片や“道”を踏み外し、片や“道”を突き進む中での軋み。何方の思いも判るだけに複雑な思いになるし、結末は哀しくも在る。「こんな奴の為に、自分は正義を貫かなければならなかったのか!?」という沖野の心の叫びが、行間から伝わって来るからだ。
総合評価は星4つ。後味は決して良く無いが、“読ませる作品”なのは間違い無い。