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戦前、極秘に進められていた防諜、謀略、秘密兵器の開発拠点だった「陸軍登戸研究所」は、敗戦を迎え「証拠湮滅」の命令が下され、歴史から其の存在が消し去られれた。
しかし、今日、当時の関係者が、其処で何が行われ、何が作られていたかを、漸く語り始め、殺人光線(怪力光線)、生体実験への道、毒物・爆薬の研究、風船爆弾、生物・化学兵器、偽札製造と、多岐に亘る研究の実態が明らかに。其の成果は、スパイ養成学校とも言われた「陸軍中野学校」を通じて果たされた物も多く在った。
其れ其れに携わった研究員、作業員、風船爆弾の製造の一翼を担った当時の女学生達、陸軍中野学校OB、其の他、今聞いておかなければ抹殺されてしまう歴史を、勇気在る証言者達がカメラの前に立ち、そして語った映像を、6年以上の歳月を掛け、追い続けた渾身のドキュメンタリー。
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神奈川県川崎市多摩区に在る「明治大学生田キャンパス」。戦前、其の場所には、軍事目的の研究が極秘裏に行われた「陸軍登戸研究所」が在ったというのは、もう随分昔に知った。当時の施設が幾つか残っており、「何時か見に行こう。」と思っていたものの、行かない儘に其の殆どが取り壊されてしまった。
「陸軍登戸研究所に縁の深い人々を訪れ、当時の様子を証言して貰ったドキュメンタリー映画が公開された。」というのを知ったのは昨年の事。「見たい。」と思い乍ら年を越してしまい、今夏、ネット・サーフィンをしていたら、渋谷の「ユーロスペース」で上映中なのを知るも、終了迄の残り日数が殆ど無く、見に行くのは断念。
そして今回、「KAWASAKIしんゆり映画祭」にて此の映画が上映されるのを知り、漸との事で見る事が出来た。
休日とは言え、「派手さの全く無い作品なので、其れ程観客は居ないだろう。」と思っていたのだが、何と大入り満員。老若男女、幅広い世代が観に来ていた。
「フ号作戦」と呼ばれた風船爆弾にて、陸軍登戸研究所を御存知の方も居られるだろう。「和紙と蒟蒻糊で作った気球に爆弾を搭載して飛ばし、ジェット気流に乗せてアメリカ本土を攻撃し様とする兵器。」で、実際に約9千発が放たれたと言う。其の内、アメリカ本土に到達したのは千発程と推計され、記録上で確認されている死者は「オレゴン州ブライで、ピクニック中に不発弾に触れ、爆死した民間人間人6人(女性1人と子供5人)。」とか。此の「フ号作戦」には、現在の貨幣価値に換算すると「約1兆円」の費用が投じられたそうだが・・・。
「殺人光線(怪力光線)」や「ペン先から毒針を飛ばす『万年筆型破傷器』、「雨傘が火を噴く『放火謀略兵器』」等、スパイ小説に登場する様な兵器も、真剣に開発していたとか。効果の程は疑問だが、「偽札作り&アジア圏への散蒔き」は本格的に行われていた様だ。元々は「偽札を大量に散蒔く事で、其の国の経済を混乱させる。」というのが目的だったが、如何せん戦地では物資に乏しかった日本軍故、「物資の購入に偽札を使う。」というのが主目的に。
生体実験に触れてもいる。此の手の作品は概して、某女史の如く「天皇陛下の軍隊が、残虐な行為をするなんて、1%たりとも在り得ない!」といった感じか、又は逆に「日本軍は、残虐な行為“しか”しなかった。」といった感じの、余りに非現実的で極端な描かれ方がされ勝ちだけれど、「陸軍登戸研究所」の場合はそういう感じでは無く、淡々と証言を紹介しているという作り。
180分という上映時間は、正直長過ぎた。もう少し中身を整理して、2時間半位にした方が良かったとは思う。
唯、矢張り此の手の作品に在り勝ちな「暗さ」は、余り感じなかった。「戦後、軍事施設が壊された際、当時貴重だったコンクリートの塊を持ち帰り、自宅の庭に埋めて利用したという男性。」には庶民の強かさを感じたし、「風船爆弾が飛ばされた際の様子を語る女性。」には大爆笑させられたし、又、「閉鎖的で、暗い雰囲気しか無い。」と思い込んでいた陸軍登戸研究所が、意外にも牧歌的な雰囲気“も”有していた事が紹介されていたからだ。
上記の「風船爆弾が飛ばされた際の様子を語る女性。」以外にも、「『偽札作りの際、新し過ぎては偽札とばれてしまうので、大蒜等を浸した液に漬けて汚す担当が居た。』と証言する男性。」、「元所員だった夫の愚痴を、『其処迄言うか!?』と思う程に言い放っていた女性。」等、場内が大爆笑したシーンが幾つか在った。
とは言え、戦争の愚かしさを、確りと伝える作品なのは確か。戦争犯罪人として処刑された人が居る一方で、「何故、此の人は戦争犯罪人として裁かれなかったのか?」と思ってしまう人が居るけれど、戦争犯罪人として裁かれてもおかしくないのに、“戦争に関する特殊技術”を有しているという理由から、戦後はアメリカが彼等を“利用する”代わりに、戦争犯罪人として認定されなかったのではないかと思えるケースも。アメリカによって重用され、成功者として名を残して行った様な人物には、何か納得行かない思いが。
総合評価は、星3.5個。
「風と共に去りぬ」は、自分が一番好きな映画で、此れ迄に何度見た事か。此の作品が公開されたのは1939年と、大東亜戦争勃発の前でしたが、我が国で公開されたのは戦後、1952年の事だったとか。
数多在る名場面の中でも、アトランタの街が炎に包まれ、建物が焼け落ちる場面は物凄い迫力を感じるのですが、戦時中に日本軍が占拠した上海等で、軍関係者の一部が此の作品を観た際、「こんな凄い作品を作る国と、俺達は戦争しているのか・・・。とても、勝てるとは思えない。」と口にしたとか。全く分析をしないで戦争に突入したとは思えないけれど、「戦えば、何とかなる。」といった精神論的な部分も在ったのでしょうね。「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。」というのを、強く感じる話です。
生物兵器の使用に関して、少なくとも敵機が日本本土への空襲を初めて以降は、「自分達が使用すれば、アメリカは同じく生物兵器を使ってくるだろう。敵の戦力の凄さを考えると、受ける被害は半端じゃなくなる。」という思いが在ったろうし、其れで自重したという面は在ると思いますね。