**********************************************************
越前・一乗谷城は織田信長に落とされた。幼き匡介(きょうすけ)は、其の際に父母と妹を失い、逃げる途中に石垣職人の飛田源斎(とびた げんさい)に助けられる。匡介は源斎を頭目とする穴太衆の飛田屋で育てられ、飛田匡介を名乗る様になり、軈て後継者と目される様に。匡介は「絶対に破られない“最強の楯”で在る石垣を作れば、戦を無くせる。」と考えていた。「両親や妹の様な人を、此れ以上出したくない。」と願い、石積みの技を磨き続ける。
豊臣秀吉が病死し、戦乱の気配が近付く中、匡介は京極高次より、琵琶湖畔に在る大津城の石垣の改修を任される。一方、其処を攻め様としている毛利元康は、国友衆に鉄砲作りを依頼した。「“至高の矛”たる鉄砲を作って、皆に恐怖を植え付ける事こそ、戦の抑止力になる。」と信じる国友衆の次期頭目・国友彦九郎(くにとも げんくろう)は、「飛田屋を叩き潰す。」と宣言する。
**********************************************************
第166回(2021年下半期)直木賞を受賞した小説「塞王の楯」(著者:今村翔吾氏)を読了。関西大学文学部を卒業後、ダンス・インストラクターや作曲家、埋蔵文化財調査員を経て、30代より作家活動を始めたという異例の経歴を有する今村氏は、“町の本屋”の重要性を感じた事から、昨年より経営危機の書店を引き継ぎ、店主としても働いている。
**********************************************************
・穴太衆:日本の近世初期に当たる織豊時代(安土桃山時代)に活躍した、石工の集団。主に寺院や城郭等の石垣施工を行った技術者集団で在る。
・国友衆:優れた鍛冶技術を有し、鉄砲作りを行う集団。
**********************************************************
「城が在るから心配無い。」と、一乗谷に住む人々は信じ切っていたが、其の城は織田信長によって陥落寸前。幼くして家族を戦で失った匡介は、逃げる途中に石垣職人の飛田源斎に助けられる。「穴太衆の中で当代随一の技を持つ者。」が“塞王”と呼ばれるが、源斎は当代の塞王だった。そんな彼の下で石垣職人として鍛えられ、軈ては穴太衆の頭目となって行く匡介。そして、石積みの技を磨き続ける彼の前に、国友衆が立ち塞がる。攻撃の要たる鉄砲を作る彼等は、“至高の矛”を作り上げ、匡介達の“最強の盾”に挑んで来た・・・というストーリー。
歴史が好きなので穴太積等、石垣の積み方に付いて其れなりに知ってはいたが、“構造上の弱点”等、初めて知る事も多かった。「どんなに凄い石垣を作った所で、城主の能力が劣れば、最大限の効果を発揮出来ない。」というのは、其の通りだと思う。でも、同時に「城主が戦上手で無くても、高い“人間性”によって“部下達”を纏め上げ、城を守る事も出来る。」というのも、又、其の通りだろう。
「石垣は“盾”で在り、防御の要。絶対に破られない“最強の楯”を作れば、戦を無くせる。そうすれば、自分の様に家族を戦で失い、悲しい目に遭う人を出さずに済む。」という信念を持つ穴太衆の匡介。一方、国友衆の彦九郎も戦で父を亡くしており、「どんな城も落とす砲を作り上げ、人を殺す事で、其の恐怖を天下に知らしめれば、戦をする者は居なくなるだろう。」という信念を持っている。「共に戦で家族を失い、戦を無くしたいという思いが強い。」2人だが、“方法論”が全く異なるし、“守り”と“攻め”という点でも相反しているのが興味深い。又、「矛盾」という言葉が在る様に、“至高の矛”と“最強の盾”という“矛盾”の描かれ方も面白い。
戦国大名・松永久秀の生涯を描いた小説「じんかん」。今回の「塞王の楯」を読む迄、自分が唯一読んだ今村作品だが、とても面白かった(総合評価:星4.5個)。「登場人物達の“個性”が、生き生きと描かれていた。」のが最大の魅力だったが、「塞王の楯」も同様。そして、「“最強の盾”と“至高の矛”との攻防戦が、読者の頭の中でリアルに再現出来る筆力の高さ。」も素晴らしい。直木賞受賞も、当然の内容で在る。
総合評価は、星4.5個とする。
昨年から地方紙「京都新聞」に連載中の「茜唄」。
平家物語に材を取った今村氏の小説ですが、そろそろ終盤に差し掛かりました。
毎日欠かさず読んできたわけではないのでその評価はしませんが、今注目の書き手には違いないでしょうね。
今村作品を読んだのは2作だけですが、何方も自分は「星4.5個」という総合評価を付けました。自分にとっても、非常に注目する作家の1人です。
此れは全ての作家に言える事ですが、「整合性の在る文章を書き上げるというのは、思っている以上に大変な事。」だと思っています。登場人物達の関係性や記述内容等、誤りの無い文章を書くのは、とても神経を使うと思うんです。歴史小説の場合、「町」や「里」等、当時の単位を使わなければならない等、自分には到底書けません。