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「東国原氏、都知事選出馬意向 議員辞職、橋下氏が了承」(12月11日、産経新聞)
日本維新の会の東国原英夫衆院議員(比例近畿)が議員辞職し、知事選出馬を目指す意向を固めた事が10日、判った。複数の維新幹部が明らかにした。東国原氏は10日夜、大阪市内で橋下徹共同代表(大阪市長)と会談した。橋下氏は慰留したが、東国原氏の意志は固く、最終的に橋下氏は議員辞職を了承した。
平成27年1月に任期満了となる宮崎県知事選か、医療法人徳洲会グループ側からの5千万円受領問題で揺れている東京都の猪瀬直樹知事が辞職した場合に行われる都知事選に出馬したい考えと言う。
東国原氏は宮崎県知事を経て、平成23年の都知事選に立候補し落選。昨年12月の衆院選で初当選した。
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此の人は一体、何をしたいのだろうか?唐突に宮崎県知事に立候補して当選したと思ったら、任期途中から国会議員への転身を何度も仄めかし、知事の座を放り出そうとしていた。「無責任。」という批判の声が上がった事から、何とか任期を勤め上げ、東京都知事選に出馬&落選。「じゃあ次は。」と言った感じで昨年末の衆院選挙に出馬&当選するも、1年で辞職。次は宮崎県知事選か東京都知事選への出馬が噂されていると言うのだから。
同じ政治家で在っても、「都道府県知事」と「国会議員」とでは、其の役割が全く違う。「『都道府県知事』を辞めたから(乃至はなれなかったから)、じゃあ次は『国会議員』にでもなるか。」という感じにしか思えない。「衆院議員としての活動には限界が在り、辞職したい。」という事らしいが、「衆院議員としての活動には限界が在る。」なんていうのは、最初から判っていた事だろうに。
4年前の記事「東国原発言の余波 Part1&Part2」でも記したが、「東国原氏には“寄らば大樹の陰”的な思考が強く感じられ、宮崎県知事になったのも、将来国政に打って出る為の1ステップ(腰掛け)に過ぎないのではないか?『政治家になって何がしたい。』では無く、『政治家になる事だけが最終目標』の様な気がしてならない。」という思いが、自分の中には強く在る。
「タレントとしてはもう頭打ちだから、名誉と権力、そして金銭が得られる政治家にでもなるか。→取り敢えずは宮崎県知事になり、国会議員への足掛かりを作ろう。→国会議員にはなったものの、目立てないし、拘束時間が長くてタレント活動も満足に出来ない。此れだったら、都道府県知事をした方が“得”だ。」、そういう思考だとしたら、国民も舐められた物だ。
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「『自民党渡辺派』目指すと言われた・・・みんな分裂」(12月10日、読売新聞)
みんなの党に離党届を出した江田憲司前幹事長等14人は9日、将来の野党再編を視野に、年内の新党結成に踏み切る考えを強調した。江田氏等は、日本維新の会との合流や民主党の一部勢力との糾合を目指し、動きを加速させる構えだ。
江田氏は、13人の同僚議員と離党届を提出後、記者会見で「政界再編を原点に持つみんなの党が、自民党に擦り寄った。歌を忘れた金糸雀だ。最早、将来は無い。」と述べ、特定秘密保護法への対応で安倍政権への接近を強めた渡辺代表を強く批判した。江田氏に同調した林宙紀衆院議員も、「代表から、『自民党渡辺派』の様な形を言われた。」と暴露し、渡辺氏との決別を宣言した。*1
江田氏等は今後、党が存続した儘連携する「政党ブロック」構想を掲げる渡辺氏とは一線を画し、「志を同じくする人達との新党結成準備」に入る。
再編相手として期待するのが、政策的に近い維新の会だ。江田氏は、みんなの党の幹事長時代、維新の会の松井幹事長と参院選の選挙協力を纏めた経緯が在り、関係が深い。7日夜には、同党の橋下共同代表や松井氏にメールで離党を事前報告し、両氏から激励の返信が在ったと言う。
橋下氏は9日、大阪府庁で記者団に「江田さんに大義が在る。」と全面的に支持した上で、「(2015年4月の)統一地方選は1つの政党で闘わなきゃいけない。1つの政党にするので在れば、維新の会という名前を掲げていたら、江田さんも納得しない。」と述べ、維新の会を発展的に解消させて、江田新党と合流する可能性も示唆した。江田氏も此れに呼応し、9日夜のBSフジの番組で「此方も解党し、統一地方選の半年前には再編を完結させたい。」と語った。
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政権与党に居る事の“旨味”を知り、自民党の「ブレーキ役」どころか「アクセル役」を、嬉々として担っている様な公明党。最早、別の政党とでは無く、自民党とは「一心同体、少女隊!」【動画】の関係。
其れ其れのトップが求心力を失ったみんなの党及び日本維新の会は、橋下代表&渡辺代表が共に安倍首相と近しい関係な事も在り(特に渡辺代表は、昔から“御友達”と言える関係。)、自民党に対して露骨な迄の阿りを隠さない。「自民党渡辺派」、「自民党橋下派」といった感じだ。
「比例代表制で当選した議員は、離党するならば(東国原氏の様に)議員辞職すべき。」とは思っているが、でも、江田氏の行動自体は支持出来る。「党利党略」を最優先させ、「党是」を蔑ろにするというのはおかしいと思うので。
最大野党の民主党も、内部に纏まりが無く、迷走している感が在る。与野党を問わず、多くの政治家達が「志無き政治屋」としか思えない。国民や国家なんかどうでも良く、私利私欲の充足に汲々としている様では、国民の政治不信は増す一方だろう。
だがしかし、だからと言って「何を言おうが、何をしようが、政治は全く変わらない。」と、政治に無関心になって欲しく無い。歴史を振り返れば、政治に無関心な国民が増える事で、権力者は暴走を始め、其の結果として国や国民は“災い”に見舞われるのが常。4年前の記事「文句を言う前に先ずは投票を」で書いた様に、選挙では棄権をする事無く、確りと投票しないと駄目。「BEST(一番良い)」では無く、「BETTER(より良い)」という観点からならば、「誰も選べない。」なんて事は無いだろう。安直な棄権は、組織力に勝る政治屋達を、唯々喜ばせるだけで在る。
*1 先々月に亡くなられたやなせたかし氏が、来週刊行される本の後書きで、「世の中全体が『嫌な物は皆、遣っ付けてしまおう。』というおかしな風潮になっている。」、「『アンパンマン』の中で描こうとしたのは、嫌な相手とでも一緒に暮らす事は出来るという事。」という趣旨の文章を書かれているとか。
意見が合わない江田氏を“排除”するに当たり、渡辺代表が矢鱈と口にしているのが「党の純化」という言葉。自民党も民主党もそうだが、「少しでも相容れない存在は、排除するに限る。」といった風潮には、嘗て「“総括”の名の下で、“仲間”を次々に粛清して行った連合赤軍。」を重ね合わせてしまう。