厳格な対応は、得てして賛否両論を巻き起こす。「非情過ぎる。」という意見が在る一方で、「その厳しさこそが愛情だ。」とする意見も。似た様な事柄を同一人物が評する際でも、その人が置かれた状況の変化で判断が異なる事が在る程。次のニュースも、校長の判断を巡って賛否両論在るのではなかろうか。
****************************
「入学式:入学金未納の2人、出席させず 千葉県立高」(4月13日、毎日新聞)
千葉県八千代市の県立八千代西高校(大迫太校長、339人)が、入学金未納の新入生2人を入学式に出席させなかった事が12日判った。大迫校長は「授業料滞納が目立ち、未納は負担の先送りと思った。」と話すが、県の公立高校教職員組合は「非教育的対応。」と批判している。
県教委と同高によると、新入生159人に、入学金、教材費等9万円を8日の入学式に持参するよう求めていた。男女各1人が「御金が用意出来ない。」等と持参せず、式直前、校長がそれぞれの担任に別室での待機を指示した。2人は約40分の式の間、教室と会議室で待機した。
男子生徒は式前に学校の指示で母親に「入学金を払わないと式に出られない。」と電話で事情を説明。母親は「後で払う。」と答えたが、学校側は「滞納の可能性が在る。」として出席させなかった。母親は午前11時頃、9万円を持参して学校を訪れたが、式は終わっていた。その後、生徒は校長室で氏名を読み上げられ、「入学を許可する。」と伝えられた。女子生徒の母親は午後5時頃、2万円を学校に持参し、同様に入学を許可された。
大迫校長は「入学式当日に必要な御金は3月の説明会で伝えている。経済的問題が在れば相談するよう話した。苦渋の決断だったが、当然の判断だと思っている。」と説明。県教委指導課の田山正人・主任指導主事は「保護者と生徒には辛い思いをさせてしまった。事前に入学金に付いての充分な説明をしており、学校としては止むを得ない判断だったと思う。」と話している。
教育評論家の尾木直樹・法政大教授(臨床教育学)は「極めて機械的、官僚的対応。学校側は2人だけでは無く、生徒、保護者に謝罪すべきだ。」と話している。
****************************
「優しさが仇!?」や「畳部屋で勉強」等、“悪質な”給食費未納に付いて当ブログでは何度か記事にして来た。又、給食費等を長期滞納している児童を名指しした小学校の女性教諭の話を取り上げ、「自分は彼女を100%批判出来ない。」と記した事も。今回のニュース、所謂「給食費未納問題」と何処か同じ様な匂いを感じるし、「校長の対応は、本当に非教育的な物なのか?」という思いも。
入学式という大事なイベントに参加させて貰えなかったというのは、当該生徒2名にとって大きなショックだったろうし、この事で彼等が虐めに遭うという可能性も否定は出来ない。所得格差が拡大するに従い、教育格差が問題化している。「学費を支払いたくても支払えない家庭も在る訳で、今回の対応は余りにも非情ではないか?」という声も当然在るだろう。
だが、学校側は3月の説明会で「入学金、教材費等9万円を8日の入学式に持参する事。」と注意していたという。一般社会では例え同情を覚えてしまう様な場合で在っても、規則を守らなければ全てがパーになってしまう事すら珍しくは無い。一時的な優しさが、相手に“甘え”を生じさせるだけというケース“も”在る。「経済的問題が在れば相談するように。」とも学校側は事前に呼び掛けていたそうだが、公的な救済措置を受ける(入学後でなければ、受けられないケース“も”在る様だが。)手も在ったのではないだろうか。母子家庭の子供として、奨学金を受けて学校に通った自分としては、余計にその思いが強い。
子供からの電話を受けて男子生徒の母親は9万円を持参したというが、もし手元に充分な御金が在った上で持たせていなかった“としたら”、これは言語道断。手元に御金が無く、子供の為に必死で掻き集めて来た“としたら”話は別だが。
「当該生徒及びその親に謝罪せよ。」というのはまだしも、「全ての生徒及び親に謝罪せよ。」というのはどうしても納得出来ない。事前に学校側がきちんと説明している以上、「其処迄生徒や親に謙らなければいけないのか?」という気がしてしまうからだ。勿論、これはあくまでも私見で在って、異なった意見が在ろう事は理解している。
****************************
「入学式:入学金未納の2人、出席させず 千葉県立高」(4月13日、毎日新聞)
千葉県八千代市の県立八千代西高校(大迫太校長、339人)が、入学金未納の新入生2人を入学式に出席させなかった事が12日判った。大迫校長は「授業料滞納が目立ち、未納は負担の先送りと思った。」と話すが、県の公立高校教職員組合は「非教育的対応。」と批判している。
県教委と同高によると、新入生159人に、入学金、教材費等9万円を8日の入学式に持参するよう求めていた。男女各1人が「御金が用意出来ない。」等と持参せず、式直前、校長がそれぞれの担任に別室での待機を指示した。2人は約40分の式の間、教室と会議室で待機した。
男子生徒は式前に学校の指示で母親に「入学金を払わないと式に出られない。」と電話で事情を説明。母親は「後で払う。」と答えたが、学校側は「滞納の可能性が在る。」として出席させなかった。母親は午前11時頃、9万円を持参して学校を訪れたが、式は終わっていた。その後、生徒は校長室で氏名を読み上げられ、「入学を許可する。」と伝えられた。女子生徒の母親は午後5時頃、2万円を学校に持参し、同様に入学を許可された。
大迫校長は「入学式当日に必要な御金は3月の説明会で伝えている。経済的問題が在れば相談するよう話した。苦渋の決断だったが、当然の判断だと思っている。」と説明。県教委指導課の田山正人・主任指導主事は「保護者と生徒には辛い思いをさせてしまった。事前に入学金に付いての充分な説明をしており、学校としては止むを得ない判断だったと思う。」と話している。
教育評論家の尾木直樹・法政大教授(臨床教育学)は「極めて機械的、官僚的対応。学校側は2人だけでは無く、生徒、保護者に謝罪すべきだ。」と話している。
****************************
「優しさが仇!?」や「畳部屋で勉強」等、“悪質な”給食費未納に付いて当ブログでは何度か記事にして来た。又、給食費等を長期滞納している児童を名指しした小学校の女性教諭の話を取り上げ、「自分は彼女を100%批判出来ない。」と記した事も。今回のニュース、所謂「給食費未納問題」と何処か同じ様な匂いを感じるし、「校長の対応は、本当に非教育的な物なのか?」という思いも。
入学式という大事なイベントに参加させて貰えなかったというのは、当該生徒2名にとって大きなショックだったろうし、この事で彼等が虐めに遭うという可能性も否定は出来ない。所得格差が拡大するに従い、教育格差が問題化している。「学費を支払いたくても支払えない家庭も在る訳で、今回の対応は余りにも非情ではないか?」という声も当然在るだろう。
だが、学校側は3月の説明会で「入学金、教材費等9万円を8日の入学式に持参する事。」と注意していたという。一般社会では例え同情を覚えてしまう様な場合で在っても、規則を守らなければ全てがパーになってしまう事すら珍しくは無い。一時的な優しさが、相手に“甘え”を生じさせるだけというケース“も”在る。「経済的問題が在れば相談するように。」とも学校側は事前に呼び掛けていたそうだが、公的な救済措置を受ける(入学後でなければ、受けられないケース“も”在る様だが。)手も在ったのではないだろうか。母子家庭の子供として、奨学金を受けて学校に通った自分としては、余計にその思いが強い。
子供からの電話を受けて男子生徒の母親は9万円を持参したというが、もし手元に充分な御金が在った上で持たせていなかった“としたら”、これは言語道断。手元に御金が無く、子供の為に必死で掻き集めて来た“としたら”話は別だが。
「当該生徒及びその親に謝罪せよ。」というのはまだしも、「全ての生徒及び親に謝罪せよ。」というのはどうしても納得出来ない。事前に学校側がきちんと説明している以上、「其処迄生徒や親に謙らなければいけないのか?」という気がしてしまうからだ。勿論、これはあくまでも私見で在って、異なった意見が在ろう事は理解している。
生徒はかわいそうだけど、家庭の事情等を考慮しての事なら(つまりは払える経済状態なのに払わない)というなら学校側の措置も仕方ないですね。
奨学金も考慮(手続きして)、でも入学金までカバー出来ないとかで、経済的に払うのが困難な場合だと、ちょっと慈悲もなにもあったものではないなと思います。
春って何かと要り用な事がおおいから。。。
先日、JR岡山駅で一面識も無い男性を線路に突き落として殺害した18歳の少年のニュースが在りましたよね。「人を殺せば刑務所に行ける。誰でも良かった。」とこの少年は話していた様ですが、勉強が出来て大学進学を夢見ていたのに、父親から「うちは家計が厳しいので、大学進学はさせられない。」と言われて進学を断念した事が大きく影響していたのではないかと言われています。それだからと言って他者を殺害して良い訳では当然在りませんが、ずっと勉強一筋で来て、大学進学だけが目標だった“としたら”、その道が閉ざされてしまった事で自暴自棄になってしまったのかもしれません。人生には幾つも選択肢が在り、一つの選択肢だけが全てでは無い。そんな当たり前の事が、若い内はなかなか判らない。自分の若き頃を思い返しても、今より“世界”が狭かったですしね。
話は一寸逸れましたが、仰る様に高校は義務教育では無いし、“意図的と思える”学費未納も増えていると聞きますので、今回の学校の対応は止むを得なかった様に思います。3月から何度も注意をしていた様ですし。
唯、学びたいという意欲の在る生徒が、家庭の経済状態だけで学べないという状況が在る“ならば”、それは国として然るべき救済措置を採って欲しい。今回の記事を書くに当たって調べてみた所、入学してからではないと援助が受けられない奨学金制度“も”在りました。即ちこの場合は、入学金は自分で工面しなければならない訳です。政治家が自らの権力を誇示する為だけに作った様な道路やハコモノがかなり在りますが、そんなのを作るんだったらその分を将来日本を背負って経つ若人の育成に廻しても良いのではないでしょうか?
P.S. 貴ブログの方に書き込みを試みたのですが、久々に「禁止ワードが含まれています。」の表示が。「禁止ワード」と思しき物が見当たらなかったのですが、文章を削ったり書き換えても駄目でした。書き込み出来なくて済みません。
未納があったらあったで責められ、こうして厳しい措置をとれば責められる。
官僚的という批判があるようですが、圧倒的多数の人は納めているわけですし、そのバランスからいってもやむを得ない措置だと思います。
おっしゃるように義務教育ではないし奨学金だってあるのですから。
弱者擁護
とか
少数意見尊重
といった言葉が言われるようになりました。
それは決して間違いでは無いとは思いますが、行き過ぎは如何なものかと思いますね。
こういった言葉を隠れ蓑にして、権利を振りかざし義務を果たさない人が多いような気がします。
子供であるということで、
未成年者だということで、
無理を無理でなくする事があまりにも多すぎます。
子供が無邪気で純真無垢といえるのは、せいぜい小学生低学年くらいまで。
中学や高校になったら、もう大人として扱うべきでしょう。
まして今回の場合、親の落ち度です。
親の落ち度を正した事が、何故学校が非難を浴びなければならないのでしょうか。
結局、新聞社はどっかの党と一緒で批判論者でしかないのでしょうね。
僕の同級生で学力はあるけれど、家があまり裕福ではなく、高校は行かせてもらえないと親から言われていたという子が3人いました。
一人は男子。
二人は女子でした。
一人の男子は、某電力会社に中学卒業枠を見つけ就職しました。
働きながら高校に行けるよう配慮のある会社でした。
二人の女子は、県外の某大手の病院に就職しました。
働きながら高校に行け、看護士の資格もちゃんと取る事が出来るところでした。
払う事が出来るなら、ちゃんと最初から払って欲しいですよね。
払えないのなら、それなりの進路先もあるのです。
この記事を、僕の同級生がよんだら怒るでしょう、絶対。
こういったニュースを聞くにつけ、最近生徒や保護者の社会的成熟度が退行していっているなと思います。「高校は義務教育ではない」というためには中学を卒業した段階で生徒は社会的に自立とまでは行かなくてもそれなりに成熟している必要があるのではないかと思います。生徒はおろか保護者までが社会的に未熟じゃないのかと思います。
「ニートになる子」、「ニートを受け入れる親」という関係も社会的成熟度を示していると思いますし、先日の東大の入学式に新入生3200人に対して父母が5300人出席し、来賓の安藤忠雄さんが苦言を呈したという話も関係しているのではと思います。
千葉県公立高校教職員組合 教育フォーラムちば
幹事長 池上 澄一郎 (船橋二和高校 教諭)
http://phonebook.yahoo.co.jp/a112/g117/g20143/g32059000/?b=2&h=s
マスコミ使って大騒ぎするぞと脅して主義主張を通そうとするやつらです。
テレビでは偉そうなこと言いながら、本当は
生徒が特定されて、本人がいじめにあおうが関係ない。
「我々の主張を通すためには多少の犠牲は仕方ない」って
全マスコミに具体名の情報持ち込んで煽ったのが、池上なんです。
この「教育フォーラムちば」なる組織に付いては全く知識が在りませんし、この組織を自分がどうこう言うのは避けたいと思います。唯、“一般論として”「ゴロ」的な存在は何処の社会でも居るもの。自身の主義&主張を通す為に、無辜の人間を人身御供にする様な連中は許せないというのが自分のスタンスです。
教育に携わる者が生徒の虐めを明らかに助長する様な遣り方をするのは許し難いのですが、唯、今回の場合に関しては親の側に問題が在った様に“自分は”感じました。学校側としては何度も注意喚起していた様ですし、家計的に困窮しているので在っても何等かの援助を受ける術が在ったのではなかろうかと思うからです。入学式に参加出来なかった当該生徒には「可愛そう。」という気持ちは在りますが・・・。
入学式という人生の門出に際して子供にこのような罰を与えることが教育なのかどうかは一目両全です。 子供が不憫な思い出お金を待ち続けた状態を皆さんが想像するのはたやすいでしょう。 金策の相談や奨学金という単語が見られますが、そういうものは簡単にどうにかなるものではありません。 経済事情から公立を目指す子供が増え、なおかつ奨学金獲得のための競争率も高くなり、よほどの成績を修めなくては受けられないということです。 この子供たちの家庭事情が想像するしかない以上、このような議論も無意味です。 ネットのブログには無意味なものが多いそうですが、多くは時間つぶしとして、少しは知的な活動をしている自分を想像するところにあるのではないでしょうか。 それとてもほとんど無意味かと。
確かに事象の上っ面だけを取り上げ、針小棒大な報道をしているメディアはチラホラ見受けられますね。こういうスタンスはどうかと思うし、そういった物には出来る限り惑わされてはいけないとも思っています。でもネット上で良く見受けられる様な、「全てのメディアはどうしようもない!」といった十把一絡げ的な論調にも自分は相容れる事が出来ないんです。どうしようもないメディアが在る一方で、地味だけれどもしっかりと情報を掻き集め、冷静に報道しているメディアが無い訳では無い。
又、「面白おかしく他者を晒し上げて、“魔女裁判”が如くバッシングする。」といった近年の風潮にも全く共感出来ませんが、「幾つかの情報に当たった上で、自分なりにその情報を頭で“咀嚼”し、自分の意見を述べる。」というスタンスは在って然るべきだと思うんです。勿論、明らかにバッシング目的というのは不可ですが、そうではなく「○○といった報道が為されているけれども、それはXXが正しいと自分は思う。」とか「○○という論調が主流になっているけれども、自分もそれは正しい様に思う。」といった物は在りなのではないかと。仰る様にメディアで報道されている事柄のほぼ全部(自分が当事者だったり、当事者が知り合いだったりしない限り。)は、その根底に在る物を100%知り得ないと思います。それは事実なのですが、人間には先入観や偏見という物が在る一方で、情報を自分の頭で整理した上で想像する力というのも在る。
重複しますが、面白おかしくバッシングするのは不可なれど、そういう類では無く、きちんと考えた上で、社会に於ける“絶対に守らなければならない規範”と照らし合わせて意見を言うというのは“個人的に”在りだと思うし、それが不可という事になってしまうと何事にも物を言えなくなってしまう気がします。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
*********************
「給料平均12万、支出20万 進学断念も多数」
災害や自殺、不慮の事故で父を失った母子家庭の緊急アンケートをあしなが育英会(玉井義臣会長)が実施、母親のパート代等給料は月に世帯平均約12万円で、親類の援助や奨学金を入れても世帯月収は約16万5,000円に留まる事が17日判った。支出は平均20万円を超え恒常的に赤字が出ている上、最近の物価上昇が貧困に追い打ちを掛け、進学を諦める家庭も多いという。
*********************