当該会見を自分も見たが、國母選手は露骨な迄に不機嫌さを見せていた。質問者に対して「ちぇっ、うっせーな。」と毒突いてもいたし。
上記した「ドレス・コード」の観点からすると、國母選手の格好に非難の声が上がるのも判らないでは無い。「四六時中きちんとした格好をしなければいけない。」というのならばどうかと思うけれど、「然る可き時や場合、場所では然る可き格好をする。」というTPOを考慮するのは必要と思うから。JOCには国際大会での「代表選手団公式服装規程」という決まりが在り、其処には「自覚と誇りを持って、選手団公式服装を着用しなければならない。」と定められているそうだし、ドレス・コードに厳しい東海大の先輩・原辰徳監督辺りは、後輩・國母選手に喝を入れそう。
唯、格好自体は、それ程大騒ぎする事でも無い気がする。一昔前のプロ野球選手には、移動時に「“その筋”の人?」と思ってしまう様な人も居たし。「血税を注ぎ込んで行っているのだから、あんな格好は許せない!」とする人も居るだろうが、それならば大事な血税にて物見遊山で随行している少なからずの“関係者”の方がどうかと思う。
個人的に残念なのは、“会見時の”國母選手の態度の方。何も「“良い子ちゃん”で居なさい。」とは言わないけれど、「ちぇっ、うっせーな。」という言い種は無いだろう。21歳という年齢を考えれば、社会人として余りに成熟度が低い。「我が道を行く。」のは構わないけれど、最低限の言動が出来なければ、やがては社会で自身の居所が無くなってしまうだけ。過去にもその手の“先輩”が少なくなかった事を、彼には理解して貰いたい。
上記した「ドレス・コード」の観点からすると、國母選手の格好に非難の声が上がるのも判らないでは無い。「四六時中きちんとした格好をしなければいけない。」というのならばどうかと思うけれど、「然る可き時や場合、場所では然る可き格好をする。」というTPOを考慮するのは必要と思うから。JOCには国際大会での「代表選手団公式服装規程」という決まりが在り、其処には「自覚と誇りを持って、選手団公式服装を着用しなければならない。」と定められているそうだし、ドレス・コードに厳しい東海大の先輩・原辰徳監督辺りは、後輩・國母選手に喝を入れそう。
唯、格好自体は、それ程大騒ぎする事でも無い気がする。一昔前のプロ野球選手には、移動時に「“その筋”の人?」と思ってしまう様な人も居たし。「血税を注ぎ込んで行っているのだから、あんな格好は許せない!」とする人も居るだろうが、それならば大事な血税にて物見遊山で随行している少なからずの“関係者”の方がどうかと思う。
個人的に残念なのは、“会見時の”國母選手の態度の方。何も「“良い子ちゃん”で居なさい。」とは言わないけれど、「ちぇっ、うっせーな。」という言い種は無いだろう。21歳という年齢を考えれば、社会人として余りに成熟度が低い。「我が道を行く。」のは構わないけれど、最低限の言動が出来なければ、やがては社会で自身の居所が無くなってしまうだけ。過去にもその手の“先輩”が少なくなかった事を、彼には理解して貰いたい。
ノーマルヒルジャンプ予選は、全員が通過しました。
特に伊東選手と葛西選手の調子がよさそうですね。^±^ノ
国母選手は確かに21歳なら、しかもその辺の21歳ではなく何かのプロ選手であるなら、もうちょっと「ずるさ」というか、世故長けている部分があってもいいところ。自我や主張は場合に応じて出したり引っ込めたりできるという処世術を、そろそろ駆使できていてもいい年齢だと思います。
とはいうものの、彼を非難している人達もこれまた大人げがないですね。そこまで大問題にしなければならないようなことなんでしょうか。
テレビを見ながらお茶の間で「うわー何あの格好」と言い合っていれば済む話なのではないかと。
昨今の世の中の、「優等生を極端なまでに礼賛する」「やんちゃを極端なまでに非難する」風潮にはどうも反感を覚えてしまいます。
他の方へのレスでも書いたのですが、特定の言葉が「他者をバッシングする為に、錦の御旗の如く用いられる。」というケースが昨今は目立ちますね。一寸前ならば「自己責任」、そして今は「品格」。
記事でも触れた様に國母選手の言動は決して褒められる物では無いし、あのままでは社会で自身の居場所を無くしてしまう危うさを覚えますが、自分も「こんなに迄叩かれる事なのだろうか?」という思いが在ります。
学歴やら見た目やらと「表面的な部分」“だけ”で評価をし、「内なる物」を見ようとはしない風潮。人の事をどうこう言える程、自分は出来ていない人間ですけれど、何か違和感を覚えます。
國母選手の言動が、一般的に見れば「何だあれは?」と思わせる物だったのは確かでしょうね。それなりの数の抗議が寄せられたという事から、それを報じたマスメディアというのも理解は出来ます。
唯、それにしても「そんなに騒ぐ事かなあ。」という思いはします。もっと直接的に、そして多大な迷惑を掛けている人は世の中に数多と居り、そういう輩には何も言わないけれど、「こいつなら、叩き易そう。」という観点から“だけ”でバッシングしている人が居るとしたら、それはどうかとも思うし。
冤罪事件で被害を被った人に対して「気の毒だ。」とし、「『疑わしきは罰せず。』の大原則を、何で司法の場は守らなかったのか?」等との批判が出る。これは理解出来るのだけれど、「法律で黒とされても居ない人間」に対して同じ口で「こいつはとんでもない奴だ!」と叫ぶ不思議さ。
例の「事業仕分け」の影響で、
「あんな奴がカナダへ行く費用がワシらの税金から出ているのか!」
と憤った人もいたのでしょう。
いずれにしても、投稿する方もする方ですし、それであたふたして出場辞退まで口にするのもどうかと思います。禁止薬物を使用したわけでも、酒に酔って羽目を外したわけでもあるまいし。
「品格」という言葉が錦の御旗となっている、というのはなるほどと思いますが、そんなに品格が大事なら、大阪の世界陸上で、ライバルの優勝をウイニングランに加わって祝福したハンマー投げの室伏広治選手の潔さや、北京五輪の男子マラソンで、最後にゴールし、振り返って深々とお辞儀をした佐藤敦之選手がなぜ賞賛されなかったのでしょうか?僕は
「これぞ、日本代表選手の品格」
と溜飲を下げたのですが、佐藤選手を「赤っ恥」とこき下ろしたスポーツ紙もありました。そんな新聞に横綱の品格を問う資格があるのでしょうか?個人的には70も過ぎて、他人の悪口ばかり口にしているプロ野球の元監督氏の品格をどうして誰も問題にしないのかと思います。
陸上界では法政大学の箱根駅伝のエースランナーが、髪を茶髪にしたりチームカラーのオレンジに染めていたりしたのが批判されていましたが、当時の監督は、
「俺はお前たちの苦しいところは毎日見ている。一般の大学生は茶髪にピアスと、当たり前のようにしている。それをお前らにするなとは言えない。そのかわり結果を残してみんなに認められるような選手になれ。
という考えの持ち主だったようです。
変な形でスノボーが注目を集めましたが、もう1人の代表選手、愛媛県人初の冬季五輪代表選手、青野令くんをよろしく。地元メディアでは
「もうひとりのリョウ君」と呼ばれていて、国母選手とは対照的な朴訥キャラ(麒麟の田村裕氏にそっくり)の彼が活躍すればこの競技のイメージも変りそうです。
「もしも今回の当事者が、あの石川遼君だったら?」、そんな想像をふとしてみました。遼君があの爽やかな笑顔では無く、シニカルな笑みを浮かべた上で「ちぇっ、うっせーな!」とボソッと言ったとしたら。見た目だけで判断する人の中には、「ニヒルで格好良い!」なんて思う人が居たかもしれないなあと。それ程迄、表面的な部分だけで判断してしまう人は、自分も含めて少なくないのも事実でしょうね。
今回の國母選手の言動は決して褒められた物では無いし、不快に思う人も少なからず居るで在ろう事は理解出来るけれど、犯罪を犯した訳でも無い人間をこれ程迄にバッシングするというのは怖さを感じます。
随行していたスタッフが「おい、TPOを考えた格好をしなきゃ駄目だぞ。プライベートの時間迄どうこうは言わないが、公の場ではそれなりにきちんと格好をしろよ。」と言っていれば済む話だと思います。
俗流若者論といいますか、とにかく「今時の若いのは・・・」といいたがるお年頃の人々。お前らだって若いころは長髪だったり、ロクに風呂も入ってなかったろ。よく言うぜコノヤローと思う。
国母君にはがんばってほしいと思います。今井メロだの成田なんとかみたいに個人の生活まで壊しかねない権力を振るうマスコミや社会なのだから。
一般的な論調とは“わざと”反対の物言いをして「違い」をアピールするも、根幹に確固たる思いが無いが為に、自身の過去の言動との整合性があらゆる面で取れていないテリー伊藤氏。こういった“御調子者”が個人的には好きでないけれど、少なくとも今回のバッシングに異を唱える中にはその手の人が余り居なさそうな事にほっとしています。
社会の中で生きて行く以上、“最低限のルール”は守らなければいけないと思うし、それに外れていると考える人が少なからず居たとしたら、その事に関してマスメディアが「疑問提起」という形で報じるのは在りだと思うんです。そういう疑問提起すらも出来なくなってしまうのも、それはそれで怖いと感じるので。
唯、疑問提起を通り越して、バッシングを助長する様な報道姿勢はNG。何度も書いている事だけれど、國母選手は違法行為を為した訳でも何でも無いのだから。
http://ameblo.jp/tokumoto/entry-10459454719.html#cbox
それにしても、国母選手、母校でのPVも中止になったとか。それを聞くとなんだか可哀想に思えてきました。こんな時だからこそ、せめて地元の人間だけでも、
「あれでも本当はいいヤツなんだから。」
とかばってやるべきではないのかと思いますが。それとも、地元の人間も本音の部分では彼を嫌ってたのか?