日本が縄文時代の末期だった頃、中国は「秦」の時代だった。時の最高権力者・始皇帝に、方士の徐福は「東方の三神山に“不老不死の霊薬”が在る。」と具申。其の言葉を信じた始皇帝は、3千人を超える人間と共に、徐福を東方へと船出させた。結果的に言えば、徐福は再び故郷に戻る事無く、一説には“日本の王”になったとも。事程左様に古の昔から、人間は不老不死に憧れ続けているのだ。
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「永遠の命は『叶わぬ夢』か、米研究」(10月6日、AFPBB)
人の寿命の「上限」を発見したとする研究論文が5日、発表された。此の研究結果を受け、記録史上最も長生きした人物の122歳という金字塔には、誰も挑戦し様とすらしなくなるかもしれない。
米アルベルト・アインシュタイン医科大学の研究チームは、世界40ヶ国以上の人口統計データを詳細に調べ、長年続いた最高寿命の上昇が1990年代に、既に其の終点に「到達」していた事を突き止めた。
最高寿命の上昇は、1997年頃に横這い状態に達した。1997年は、フランス人女性ジャンヌ・カルマンさんが前人未到の122歳と164日で亡くなった年だ。
論文の共同執筆者で、アルベルト・アインシュタイン医科大のブランドン・ミルホランド氏は、AFPの取材に「其れ以降は、世界最年長者が115歳前後という傾向が続いている。」と説明した。
こうした傾向は、医療、栄養、生活等の状態の向上を受け、平均寿命が伸び続けている中での物だ。
言い換えれば、最近は老齢期迄生きる人が増えているが、群を抜いて長寿命の人は、以前程の高齢には達していなかったという事になる。
ミルホランド氏は、「此の様な傾向が当面の間、変わらず続く事が予測される。」と指摘する。
そして、「もう少し(115歳より)長生きする人が居るかもしれないが、今後何の年に於ても、世界の誰かが125歳迄生きる確率は、1万分の1に満たないと考えられる。」とし乍ら、「過去数十年間に於ける医学の進歩は、平均寿命と生活の質(クオリティ・オブ・ライフ、QQL)を上昇させたかもしれないが、最高寿命を伸ばす事には寄与していない。」と続けた。
「寿命」は、個体が生存する期間が何の位かを表すのに用いられる用語で、「最高寿命」は、或る生物種に属する最も長命の個体が到達する年齢を指す。
他方で、「平均寿命」は、或る年齢層の人々が持つと見込まれる余命の平均値で、社会福祉の尺度となる。研究チームによると、平均寿命は19世紀以降、全世界で略連続的に上昇していると言う。
人間の最高寿命も又、1970年代から上昇を続けていたが、現在は頭打ちの様相を呈している。
此れは、「不老の泉」を見付けたいという一部の人々の希望を他所に、人の寿命に生物学的な限界が在る可能性を示す物だ。研究チームは「人間の最高寿命は限定されており、自然の制約を受ける物で在る事を、今回の結果は強く示唆している。」と論文に記している。
ミルホランド氏は、「其れでも尚、不老長寿を追い求める人々は、今回の研究で明らかになった寿命の上限を超える、何等かの『未発見の技術』の登場への希望に縋り付くだろう。」と予想する。そして、「今回の研究は、そうした人々の為に役立つ事をした。(我々は)既存の医学の進歩が、最高寿命に影響を及ぼさない事を明らかにしたのだから。」と付け加えた。
其の上で、「従来型の医学の進歩に期待を寄せるので在れば、其れは激しい失望に変わるで在ろう。」とも指摘している。
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自分も嘗ては、“不老不死”に憧れていた事が在る。然し、手塚治虫氏の作品「火の鳥」の中で「不死の肉体を手に入れるも、自分以外の全生命が消え去った後、肉体は朽ち果て乍らも、孤独に生き続けなければならない者の哀しみ。」を目にして以降は、不老不死という物に憧れを感じなくなった。
不平等さが罷り通る人間社会に在って、「死」だけは誰にも等しく訪れる。不老は未だしも、独裁者が不死を得てしまったら、人類にとって不幸以外の何物でも無いだろう。不老不死なんて、百害在って一利無しだと思う。