ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

“エコロジー”と“感情”、何方も理解出来る

2017年12月20日 | 時事ネタ関連

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「『遺体溶かして水葬』に物議」(12月19日、ナリナリドットコム

 

遺骨を海や山、或いは 宇宙散骨するといった様々な葬送方法が増えて来ているが、エコ観点から遺体を“液化”し、其の儘排水する「水葬」システム導入に付いて、論争が起きていると言う。

 

スチール製の容器に入れられた遺体にアルカリ性の液体を注入し熱すると、人体の組織が分解され、骨以外の全てを排水溝へと流せるという水葬システム「リソメーション」。環境にも配慮されており、カナダベルギー等、既に採用されている地域も在るそうだ。

 

先日イギリスオールドベリー議会システムが採用され掛けたものの、地元の水道会社が無害で在っても、水系に死者が入り込む事に対して、一般の人達が忌避感を持つと思われる。不服を訴え、承認の取り消しへと動いたと、欧米の多くのメディアが伝えた。

 

ネットでは「今遣り方で、問題は無いのでは。」、「下水と一緒に処理されるのはかも。」、「選択肢は、多い方が良いと思う。」、「死者への尊厳に欠けている。」、「本人が望むなら・・・と思うけれど、嫌がる人は居るだろうね。」といった様々な意見が寄せられている。

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先月の記事「自分も87.3%の内の1人」でも書いた様に、”が抜け落ちた“人”は“物”となり、其れ等を構成している骨や臓器、毛髪等も“物”で在る。という考えを自分は持っている。なので、「自分が亡くなった際は、自身の臓器提供には肯定的だし、遺体は焼いた上ならば、水葬や自然葬等、墓に拘らない形で全く構わない。」とも。

 

で、今回の「遺体溶かして水葬」に付いてだが、“無害”という前提が守られるので在れば、エコロジーの観点から、そういうシステムは「在り。」だとは思う。でも、「無害で在っても、水系に死者が入り込む事に対して、忌避感を持つ人が居る。」というのも理解出来る。「下水と一緒に処理されるのは、死者に対する冒瀆。」という“尊厳論”に加え、「元は死者で在った“液体”に身を浸したり、飲んだりするのは嫌。」という“抵抗感”が在るのだろうから。

 

後者に関して言えば、「溺死者は此れ迄にも数多く存在して来た訳だし、水道水だって十二分浄化されているのだから、気にし過ぎ。」という声も在ろう。でも、「遺体溶かして水葬」が一般化すれば、“元は死者で在った液体が混ざる絶対数”は格段に増える訳で、其の抵抗感は増すというのも判らないでは無い。

 

“エコロジー”と“感情”の鬩ぎ合い何方も理解出来るだけに、難しい問題では在る。


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2 コメント

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私は反対です (Kei)
2017-12-22 00:47:24
「人体を溶かして排水溝に流す」とは、いくらエコとはいえ、私は反対ですね。死者への冒涜だと思います。
ただし、火葬にして、遺灰を川や海に散骨するのは問題ないと思います。
なぜかと言うと、火葬すると煙突から煙が上に昇りますね。あれは魂が、煙となって天国に行くという儀式だと思うからです。そうした儀式を通過した後の遺灰だから、それを海に戻すのも意味があると思います。
欧米での“土葬”も、死者の体を壊したくないという思いがあるからでしょう。
溶かした液体を排水溝に流す作業には、そうした死者に対する敬意や哀悼の念、残された人の思いがまるで感じられず、単なる清掃作業でしかないようにさえ思えます。
チベットあたりでは“鳥葬”といって山の上に死体を運んで鳥に啄ばめさせる葬送の儀式がありますが、あれも魂の抜け出た遺体を、神の使いである鳥によって天へと送り届けるという意味が込められています。
いくら死体が“魂”が抜け落ちた“物”であろうと、残された人にとっては、数日前まで身近だった人の魂が宿っていた体なのですから。大切に扱うべきだと思います。個人が愛用していた物だって、一緒にお棺に入れてあげますよね。決してゴミとして捨てたりはしないでしょう。それも意味としては同じです。
なお、「水系に死者が入り込む事」そのものは、私は特に嫌悪感はありません。それがいやだと言うのなら、最近増えてる、海への遺灰の散骨も、そんな海では海水浴が出来ないから止めろ、という事になりますし、アメリカなどの海軍がやっている、遺体をそのまま海に流す“水葬”もダメだ、という事になるでしょう。要は、「死者の魂も体も、丁寧に、天国に送り届けてあげよう」という気持ちがそこに込められているかどうか、という事に尽きるのではないでしょうか。
ちなみに私たち夫婦は、どちらが先に亡くなっても、大げさな葬式はせず、家族だけで簡素に葬儀を済ませ、墓も作らず遺灰は海に散骨する、という事を取り決めています。
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>Kei様 (giants-55)
2017-12-22 01:15:02
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

“死者への敬意”、此れは絶対に必要ですね。唯、“死者の敬意”の基準が、文化や風習によって異なるのが、こういう問題の難しい所では在ります。

インドでは昔、遺体を布で包み、ガンジス川に流したりしていました。今は火葬し、骨を流すという形で行われている様ですが、2年前だったか、100体を超える遺体がガンジス川で発見され、大きく報道された。「火葬業者が、火葬しない儘流した。」とか、「御金が無い遺族が、遺体を川に流した。」とか色々言われましたが、此処迄多くの遺体が見付かったから報道されたものの、ガンジス川で遺体が発見される事自体は、そう珍しく無いという話も。こういうのは、死者に対する冒瀆と言えましょう。

Kei様御夫婦の取り決め、自分からすると“理想”です。先祖からの墓が在り、墓守をしなければならない現実が自分には在るのですが、本音を言えばKei様御夫婦の様な簡素な葬儀&散骨が理想なので。
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