本題に入る前に一言。
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「富士山『国家的象徴』、鎌倉『武家遺跡少ない。』」(5月1日、産経新聞)
共に世界文化遺産への登録を目指した富士山と鎌倉で明暗が分かれた。文化庁は1日未明に記者会見を開き、登録の見通しとなった「富士山」(山梨県、静岡県)に付いて、国際記念物遺跡会議(イコモス)が「日本の国家的象徴」と高く評価した事を明らかにした。一方、登録が難しくなった「武家の古都・鎌倉」(神奈川県)は現存する武家関連の遺跡の少なさを指摘した。
嘗て世界自然遺産への登録を目指し乍ら、塵の不法投棄問題等で断念を余儀無くされた富士山。文化遺産としての判断となった今回は「日本の国家的象徴だが、影響は日本を遥かに越えて及んでおり、今や国家的意義を広範に越えている。」と指摘。「宗教的、芸術的伝統の融合に特徴が在る。」と評価し、古くからの山岳信仰や多くの浮世絵の題材となった事等が認められた。
構成資産の1つとされ乍ら除外対象となった三保の松原(静岡市)に付いては「富士山から45km離れており、山の一部として考慮し得ない。」と指摘。松原から富士山を臨む複数の地点で防波堤が景観を害しているとし、「審美的な観点から望ましくない。」とした。
登録が相応しく無いと判断された鎌倉に付いては、武家の権力を示す遺跡が少ない事が問題点として挙げられた。イコモスは「歴史的な重要性は充分に説明されている。」とし乍らも、鶴岡八幡宮等、鎌倉の構成資産に社寺が多い事から「精神的、文化的な側面以外の要素は、物的証拠が少ない。」と厳しい意見を投げ掛けた。
会見した文化庁記念物課の榎本剛課長は「世界遺産の審査が厳しくなったと改めて感じた。三保の松原や鎌倉に付いては、関係省庁や自治体と協議して、対応を決めたい。」と硬い表情を見せた。
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昨日は朝から晩迄、TVでは此のニュースを報じていて、正直「もう良いよ。」という感じが在る。日本国民の1人として「富士山が、世界文化遺産に登録濃厚。」というのは嬉しく無い訳では無いけれど、一寸騒ぎ過ぎな気がする。
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世界遺産:1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて、世界遺産リストに登録された、遺跡、景観、自然等、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件の事で、移動が不可能な不動産や其れに準ずる物が対象となっている。
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「世界遺産」という概念は抑、「人類が共有すべき『顕著な普遍的価値』を持つ物件を公に登録する事で、世界中の人々が其れ等を後世に残すべく、努力する環境を構築する。」というのが目的だった筈。其れが何時の頃からか、「世界遺産に登録された物件は、世界中から多くの観光客を呼ぶ事が出来る。外貨を稼ぐ為、1つでも多くの物件を世界遺産に登録させなければならない。」という意識を露骨に感じる様になった。「抑の目的からの乖離」というのは日本だけで無く、世界各国に言える事なのだが。
昨日のニュースでは、「登録濃厚となった富士山周辺の人達」及び「登録が難しくなった鎌倉と三保の松原周辺の人達」の声を紹介していたのだが、「こんな良い場所を、多くの人に知って貰いたい。」という純粋な思いよりも、「外貨稼ぎの為、更なる観光地化を期待している。」という思いが透けて見えるケースが多い様に感じた。
そういう思いを「良くない事。」と完全否定する気は無いが、世界遺産に登録された事で大勢の観光客が押し寄せ、結果として“荒らされてしまった所”が少なく無い現実を考えると、「世界遺産に登録されさえすれば良い。」という考え方は止めた方が良いだろう。
確かに自分も含め日本人は流行り物に弱いから世界遺産ツアーや世界遺産グッズ(饅頭、煎餅、サブレ、キーホルダーなど)で企業や自治体が必死になるのも理解できますけどね
どうせなら何年に1回は世界遺産関係者が一般旅行客に混じって世界遺産に来てしっかりと世界遺産を維持管理出来てるか確認して出来てない時は認定を取り消すぐらいの事をして欲しいですね(俺の勉強不足で実際そう言う措置が取られてるかも?)
でも小、中、高校生達に修学旅行は国内の世界遺産とディズニーランドのどちらに行きたいかアンケートを取ったらディズニーが圧勝でしょうね
「観光立国の実現」という政府や自治体の思いは、全く理解出来ない訳では在りません。自分がもし観光業に従事していたならば、「世界遺産登録で、少しでも観光客を増やしたい。」と思うだろうし。
唯、飽く迄も第三者として見ていると、余りにもそういった“欲目”が露骨に感じられてしまい、「余り格好良くないし、何よりも(世界遺産の)抑の目的から乖離してる気がする。」と思ってしまうんですよね。「『世界遺産に非ずんば、真面な観光地に非ず。』みたいな感じは、一寸違うんじゃないかなあ。」と。
世界遺産に登録され、観光客が大挙して押し寄せる事になった結果、生態系が崩れて来た所も在ると聞きます。こうなると「後世に残す。」という本来の趣旨に反してしまう。本末転倒とは、正に此の事。
確かに一応平日ですがガックリするほど混んでいました。
しかし鎌倉の外食はボッタクリ酷いもんですね。なんとか地元客向けの店をあたりつけて入りましたので良心的かつよそ者にも親切(神奈川はどこもそういう印象を持ちます)。観光客相手の店はしょうもない丼1300円~、昼定食2500円~が相場ですね。
今でもこの調子なのにユネスコに選ばれたらえらいことに。
これからはあのノンビリした静岡がこうなってしまうのかな
「報道されているのは一部分で在り、必ずしも全体を表している訳では無い。」とは思っていましたが、地元の人の捉え方は「落選=ガッカリ」という訳では必ずしも無いんですね。
「世界遺産に登録される。→観光客が大挙して押し寄せる。→地元が潤う。」というのは確かに在るのでしょうが、「環境が荒らされる。」という面も在りましょうし、訪れる側にしても「環境保持の為の徴税」なんていうのが出て来るし、良い事許りでは無いんですよね。
古都の雰囲気を堪能出来る鎌倉や京都等は、自分も大好きな場所では在りますが、拝観料や飲食代が概して高いのは閉口してしまいます。
歴史遺産では自動車の使用は(地元の日常生活でも)一切不可。派手な看板類も撤去・・・なんて事だったら、進んで登録申請するところがどれだけあるかな。
所詮は遺産をどう保全し後世に残すかではなく、遺産でどう食い繋ぐかが先行するのでしょうね。
悲しい現実です。
霞を食って生きられる訳でも無く、生きる為に金を稼ぐというのは必要な事なのですが、其れが前面に出てしまい過ぎると、「美しく無いなあ。」と思ってしまうんです。
世界遺産登録を巡る国内の右往左往振りを見ていると、そんな「美しく無い思考」が結構垣間見られ、個人的には凄く残念。