ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

戦争は人を狂わせる

2015年01月28日 | 歴史関連

終戦から、今年で70年目を迎える。

 

戦争で家や家族を失った人達が、助けを求めて親戚の家を訪れるも、戦争前には優しかった彼等から、けんもほろろに追い出される。」なんて話は、「火垂るの墓」等で良く見聞する。

 

東京大空襲で祖母、両親、2人の兄(3番目の兄だけは生存。)、そして1人の弟を失った海老名香葉子さん(初代・林家三平氏の夫人)が先達て夕刊紙連載で記していたけれど、11歳で戦争孤児となった彼女も、親戚等の家を渡り歩く中で、惨めな思いをした様だ。「戦争前にはとても可愛がってくれていた叔母が、戦争孤児となった彼女に対して暴力を揮ったり、『家族全員と一緒に、死ねば良かったのに!』等の暴言吐き居場所を失った彼女は家を飛び出す事になった。」という話は、読んでいて居た堪れない思いに。

 

とは言え、誰もが生きる事だけで精一杯だった時代。(頼って来た人達を)邪険に扱った人達を、平時論理”で責めるのも。戦争は人を狂わせるのだ。

 

1月24日付けの東京新聞(朝刊)、其の読者投稿欄「発言」に、79歳の男性が投稿していた。「戦争は人を狂わせる。」というのを、改めて感じさせられた内容だったので、下に書き写させて貰う。

 

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手の平返す大人に不信感

 

正月、10歳の孫を前に、70年前の10歳の自分を思い浮かべた。先生に殴られ続けた事しか思い出せない。

 

こんなに幼かったのか、と孫の姿を見て思う。こんな子を殴り倒す先生を生んだ狂った社会、狂った時代だったと、思う。其の痛さは忘れない。でも、殴られた痛みより苦痛だったのは、2列に並ばされ、向き合った子供同士に、御互いを殴る事を強いられた事だった。つい手加減してしまう私を、「殴り方を教える。」と張り倒し、其の通りに殴る様に言われ、友を殴る時の心の痛みは、今も思い出す。

 

掛け軸心棒が折れる、私の頭を殴った先生が、終戦後、平和民主主義を語り、民主教育旗手として表彰された。手の平を返す様な大人に不信感を抱き、「大人はどうして、戦争を止めさせなかったの?」と、先生に質問したのを思い出す。

 

そして今、原発事故が在った福島県から避難した、此の孫達から「御爺ちゃん、どうして原発を止めさせなかったの?」と問われている様に思えてならない。

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10 コメント

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Unknown (悠々遊)
2015-01-28 09:32:47
これほどではありませんが、団塊の世代の私にも似たような経験があります。
5年生の途中で転校した先の担任が、軍隊帰りという顔に傷のある強面の男性教師で、たびたび宿題を忘れたり、教室でふざける生徒を教壇の前に立たせ、ビンタを食らわせるのです。私も1度やられたクチです(苦笑)。
こういう体罰教師はそう珍しくも無かった時代と言えば、そうだったかもしれません。親もそれで学校に抗議に押しかけることなど無かった時代です。ただ、これにはオチがあります。
二十歳を過ぎたころ新聞記事にふと目を落とすと、懐かしい(?)その教師の顔写真入のコラム記事が目に入りました。当人がコラムを書いていたのですが、そこに書かれていた言葉に、思わずのけぞってしまいました。
「体罰では子供を正しく導けない」と。どの時点でそれに気付いたんでしょうねえ(笑)。

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>悠々遊様 (giants-55)
2015-01-28 11:58:28
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

戦中に生まれ、戦後間も無い頃に小学生時代を送った母。生徒思いの優しい先生も居た一方、異常な先生も居たそうです。以前にも書いた話ですが、正しい答えを出せなかった生徒を窓際に立たせ、其の生徒の頭上に虫眼鏡を翳し、太陽光で髪の毛を焼くなんていう先生も居たとか。「熱い熱い!」と泣く生徒を、嬉しそうに見詰める其の先生の顔を、未だに忘れないと。

自身の来し方を猛省した上で、「体罰では、子供を正しく導けない。」という思いに到ったのならば、其れは其れで在りなのでしょうが、表面だけを繕っているとしたら最悪ですね。
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今だとPTSDって使うかも (AK)
2015-01-28 14:47:41
確かに戦中派って極端な人多いなっていうのが子供時代の印象でしたね。大正生まれとかその辺。今の感覚だと異常ととられるような。アル中もむちゃくちゃ多かったねー。そういや。PTSDとかイラク、ベトナム帰りの米兵の精神疾患なんかが有名になってから、「ああそうだったのかな」って

>海老名かよこ

平時も平時の昭和元禄?のころに弟子とその妻(結構人気があった元アイドル女優のK)の離婚会見に出しゃばってきて、今だったら「モラハラ」「セクハラ」等々名誉棄損で訴えられそうなことをその元アイドルに浴びせかけていた強烈な思い出があって、それ以来大嫌い。その鬼叔母とかよこは血がつながってますね。その会見の印象そのままの発言をされたことがあるわけですな。かよこ氏はいまだ出てきますが、その弟子はその後さっぱり見ない。
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Unknown (ぷりな)
2015-01-28 16:22:35
戦争の影響を受けるのは戦前・戦中に生まれた人ばかりではないと知ったエピソードがあります。親戚の近所に住む団塊の世代の男性は、有名私大を出て大手企業の内定を受けていたものの、当時は近所への聞き合わせなるものがあり、戦争神経症の父上がいることを企業に話してしまった人がいたそうで(うちの親戚ではありません)、内定取り消しになってしまったそうです。この話を聞いた時は、「当時の企業のベテラン・中堅どころにあたるのは、この男性の親や叔父にあたる世代のはず。その人々も戦争を体験しているだろう。一歩間違えば自分がそうなっていたかもしれないのに」と感じました。その時代は有名私大卒といえば幹部候補生で、上司の肝煎りによるお見合いなんかもあったでしょうし、プライバシー意識も現在より格段に低く、仕事関係者が互いの背景を把握していてそれが仕事・人事に与える影響も現在より大きかったでしょうから、リスクのある家族を抱えた人物は採用しないということだったのかもしれませんが。

後期高齢者と話していると、差別を差別と自覚しておらず正当防衛だと思っている節があると感じます。もちろんそうじゃない方もそれなりにいますが。一方、それより下の世代の人は、できれば解消していかなければならないものと位置付けていて、己の差別意識が出た時も「頭ではいけないとわかっているけど感情が」という人が多いと思いますが、「正当防衛」だと主張してはばからない人が近年増えてきているように思います。
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>AK様 (giants-55)
2015-01-28 17:26:40
書き込み有難う御座いました。

以前にも書いたと思うのですが、海老名香葉子さんは好きじゃない有名人の1人だったりします。幼少期に彼女が経験した出来事に付いては気の毒さを感じていますが、身内には甘く、他者には厳しいという部分もそうですが(「子育ては、こうするべきだ!」みたいな偉そうな発言を良くしていたけれど、「じゃあ、自分の子供はそんな立派なの?」と思ってしまう。)、自信のイメージを必死で作り上げ様としているのも、好きじゃない理由の1つ。

記者がインタヴューの為、自宅を訪問した際、綺麗に着飾って現れたものの、「一寸待ってね。」と言って奥に引っ込んだと思ったら、モンペ姿で登場したので驚いた・・・という話を読んだ事が在り、「あざといなあ。」と思った次第。「家ではモンペ姿で、糠漬けを作っているおかみさん。」というイメージを作りたいのだなあと。
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>ぷりな様 (giants-55)
2015-01-28 17:35:34
書き込み有難う御座いました。

企業による近所への聞き込み、今も在るのでしょうが、「個人情報の重要性」という意識が希薄だった昔は、可成り行われていたのでしょうね。大学を卒業し、某企業に就職したのですが、就職から10数年以上経った或る日、近所の人と話していて、「昔、○○さん(giants-55)の事を聞き込みされたんですよ。『凄く確りした息子さんです。』と答えましたけど。」と笑顔で言われ、「そんな事が在ったのか。」と驚きました。そういう事が在るだろう事は判っていたけれど、実際に聞かされると、嫌な感じがする物ですね。

年を重ねると、概して意固地になってしまい勝ち。我が母も昔はもっと柔軟だったのに、近年は妙に意固地になり、「~は、こう在るべきだ!」みたいな押し付けをして来て、口論になる事も屡々。困った物です。
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戦争はクソです (マヌケ)
2015-01-29 12:32:44
小学校も中学も高校も軍隊式でした。 特に高校はそうでした。 ほんの少しでも教師の意に沿わない生徒は鉄拳制裁でしたし、殴っている教師の腕時計が外れて、金属のベルトで頬を切った生徒もいました。 それで訴えられることなどもありませんでした。 高射砲陣地に土嚢や弾薬を運搬した昔話や墜ちたB29を見に行って死骸を見ても何とも思わなかったという自慢話も耳にタコができるほど聴かされました。 時代が変わり、社会人になってからのこと、教科書や私物を置いて帰る生徒に手を焼いた?という理由でそれを焼却炉に投げ入れた体育教師が保護者やから訴えられ、逮捕された新聞記事を見た時には大笑いしました。 父は原爆投下後の爆心地近くで親戚を捜し歩いて、裸足に草履、ランニングシャツに半ズボンで数日歩き回ったことがあり、母が妊娠した時には、親戚一同から変なのが産まれるかもしれないと言われ、不安が募り、結果私は未熟児で生まれ、保育器の中で過ごしました。 今の私の始まりに影響を与えたのは、広島の原爆と第五福竜丸事件です。
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Il conformista (AK)
2015-01-29 15:17:45
1970年代青春世代(1980~90年代にもリバイバル上映が多かったので、その後の世代にもファンが多いが)には非常に人気の高い映画がベルナルド・ベルトルッチ監督の「暗殺の森」(原題「イルコンフォーミスタ=同調者。余談だが、この邦題は高崎市大だったかの中核派が弾圧される顛末を描いたドキュメンタリー「圧殺の森」から取ったという説がある。いずれにしても素晴らしい邦題がこの映画の評価を2割増しにしてると思う)。

http://www.eiganokuni.com/meisaku-itaria1/movie.html

少年期に大きなトラウマを持つような出来事を経験し、ファシストになる青年の話。
インテリ青年がたやすくファシズムに隷従し、かつての恩人、その妻を見殺しにする。しかしファシズムが崩壊したとき、彼はファシズムに引き込んだ友人をパルチザンに売る。

ベルトルッチは後年、「ラストエンペラー」を撮るけれど、これも、帝位を追われた後、「中華民国」→欧米列強→大日本帝国→中国共産党に隷従する清国皇帝を描いた映画でした。
両方とも美しいカメラワーク、キャスト陣、音楽、美術に目が奪われるのだけど、描いてる内容は人間の弱さ、醜さ、悲劇、なんですよね。(しかし暗殺の森のドミニク・サンダが惨殺されるシーンもやたら美しいんだよなー)
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>マヌケ様 (giants-55)
2015-01-29 16:14:23
書き込み有難う御座いました。

「母方の祖父は、被爆して間も無い頃の広島に入った経験が在る。」という話です。被爆から半年以上は経っていたそうですが、直後となると、御父様も嘸や御辛い目に遭われた事でしょう。

憎むべきは「原爆を投下したアメリカ(アメリカ国民と言ってしまうのは、一寸違う気がするので。)」で在る筈なのに、そうでは無く「被爆者」を疎む事で、憎悪を晴らしたかの様な事が少なく無かったというのは、何とも遣り切れない話です。

自分が「国家主義的な物」に嫌悪感を覚えるのは、古今東西の歴史から「戦争が如何に、“普通の人間”を狂わして来たか。」を痛感させられるからです。私利私欲に目が眩んだ一握りの人間は別にして、戦争は極めて普通の人達が、「此の道しか無い!」という風潮に乗せられ、そして物を言えなくなって行く中で、“流されて行った結果”の事が多い。
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>AK様 (giants-55)
2015-01-29 16:31:18
書き込み有難う御座いました。

古典映画を見捲っていた時期が在るのですが、「暗殺の森」は未見。高い評価を受けた作品として屡々其のタイトルは目にしていたのですが、何故か見ない儘で来ました。「容易くファシズムに隷従し、近しい人間を売る。」というのは、「サウンド・オブ・ミュージック」でも見られるテーマですね。興味深い内容なので、実際に見たくなりました。

「ラストエンペラー」、仰る様に「心の弱さや醜さ等、人間の持つ負の部分を痛烈に見せ付けられた作品。」でした。“王宮”等の華麗さが際立っていただけに、余計に“暗さ”が浮き上がっていたし。
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