終戦から、今年で70年目を迎える。
「戦争で家や家族を失った人達が、助けを求めて親戚の家を訪れるも、戦争前には優しかった彼等から、けんもほろろに追い出される。」なんて話は、「火垂るの墓」等で良く見聞する。
東京大空襲で祖母、両親、2人の兄(3番目の兄だけは生存。)、そして1人の弟を失った海老名香葉子さん(初代・林家三平氏の夫人)が先達て、夕刊紙の連載で記していたけれど、11歳で戦争孤児となった彼女も、親戚等の家を渡り歩く中で、惨めな思いをした様だ。「戦争前にはとても可愛がってくれていた叔母が、戦争孤児となった彼女に対して暴力を揮ったり、『家族全員と一緒に、死ねば良かったのに!』等の暴言を吐き、居場所を失った彼女は家を飛び出す事になった。」という話は、読んでいて居た堪れない思いに。
とは言え、誰もが生きる事だけで精一杯だった時代。(頼って来た人達を)邪険に扱った人達を、“平時の論理”で責めるのも酷。戦争は人を狂わせるのだ。
1月24日付けの東京新聞(朝刊)、其の読者投稿欄「発言」に、79歳の男性が投稿していた。「戦争は人を狂わせる。」というのを、改めて感じさせられた内容だったので、下に書き写させて貰う。
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正月、10歳の孫を前に、70年前の10歳の自分を思い浮かべた。先生に殴られ続けた事しか思い出せない。
こんなに幼かったのか、と孫の姿を見て思う。こんな子を殴り倒す先生を生んだ狂った社会、狂った時代だったと、熟思う。其の痛さは忘れない。でも、殴られた痛みより苦痛だったのは、2列に並ばされ、向き合った子供同士に、御互いを殴る事を強いられた事だった。つい手加減してしまう私を、「殴り方を教える。」と張り倒し、其の通りに殴る様に言われ、友を殴る時の心の痛みは、今も思い出す。
掛け軸の心棒が折れる迄、私の頭を殴った先生が、終戦後、平和と民主主義を語り、民主教育の旗手として表彰された。手の平を返す様な大人に不信感を抱き、「大人はどうして、戦争を止めさせなかったの?」と、先生に質問したのを思い出す。
そして今、原発事故が在った福島県から避難した、此の孫達から「御爺ちゃん、どうして原発を止めさせなかったの?」と問われている様に思えてならない。
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5年生の途中で転校した先の担任が、軍隊帰りという顔に傷のある強面の男性教師で、たびたび宿題を忘れたり、教室でふざける生徒を教壇の前に立たせ、ビンタを食らわせるのです。私も1度やられたクチです(苦笑)。
こういう体罰教師はそう珍しくも無かった時代と言えば、そうだったかもしれません。親もそれで学校に抗議に押しかけることなど無かった時代です。ただ、これにはオチがあります。
二十歳を過ぎたころ新聞記事にふと目を落とすと、懐かしい(?)その教師の顔写真入のコラム記事が目に入りました。当人がコラムを書いていたのですが、そこに書かれていた言葉に、思わずのけぞってしまいました。
「体罰では子供を正しく導けない」と。どの時点でそれに気付いたんでしょうねえ(笑)。
戦中に生まれ、戦後間も無い頃に小学生時代を送った母。生徒思いの優しい先生も居た一方、異常な先生も居たそうです。以前にも書いた話ですが、正しい答えを出せなかった生徒を窓際に立たせ、其の生徒の頭上に虫眼鏡を翳し、太陽光で髪の毛を焼くなんていう先生も居たとか。「熱い熱い!」と泣く生徒を、嬉しそうに見詰める其の先生の顔を、未だに忘れないと。
自身の来し方を猛省した上で、「体罰では、子供を正しく導けない。」という思いに到ったのならば、其れは其れで在りなのでしょうが、表面だけを繕っているとしたら最悪ですね。
>海老名かよこ
平時も平時の昭和元禄?のころに弟子とその妻(結構人気があった元アイドル女優のK)の離婚会見に出しゃばってきて、今だったら「モラハラ」「セクハラ」等々名誉棄損で訴えられそうなことをその元アイドルに浴びせかけていた強烈な思い出があって、それ以来大嫌い。その鬼叔母とかよこは血がつながってますね。その会見の印象そのままの発言をされたことがあるわけですな。かよこ氏はいまだ出てきますが、その弟子はその後さっぱり見ない。
後期高齢者と話していると、差別を差別と自覚しておらず正当防衛だと思っている節があると感じます。もちろんそうじゃない方もそれなりにいますが。一方、それより下の世代の人は、できれば解消していかなければならないものと位置付けていて、己の差別意識が出た時も「頭ではいけないとわかっているけど感情が」という人が多いと思いますが、「正当防衛」だと主張してはばからない人が近年増えてきているように思います。
以前にも書いたと思うのですが、海老名香葉子さんは好きじゃない有名人の1人だったりします。幼少期に彼女が経験した出来事に付いては気の毒さを感じていますが、身内には甘く、他者には厳しいという部分もそうですが(「子育ては、こうするべきだ!」みたいな偉そうな発言を良くしていたけれど、「じゃあ、自分の子供はそんな立派なの?」と思ってしまう。)、自信のイメージを必死で作り上げ様としているのも、好きじゃない理由の1つ。
記者がインタヴューの為、自宅を訪問した際、綺麗に着飾って現れたものの、「一寸待ってね。」と言って奥に引っ込んだと思ったら、モンペ姿で登場したので驚いた・・・という話を読んだ事が在り、「あざといなあ。」と思った次第。「家ではモンペ姿で、糠漬けを作っているおかみさん。」というイメージを作りたいのだなあと。
企業による近所への聞き込み、今も在るのでしょうが、「個人情報の重要性」という意識が希薄だった昔は、可成り行われていたのでしょうね。大学を卒業し、某企業に就職したのですが、就職から10数年以上経った或る日、近所の人と話していて、「昔、○○さん(giants-55)の事を聞き込みされたんですよ。『凄く確りした息子さんです。』と答えましたけど。」と笑顔で言われ、「そんな事が在ったのか。」と驚きました。そういう事が在るだろう事は判っていたけれど、実際に聞かされると、嫌な感じがする物ですね。
年を重ねると、概して意固地になってしまい勝ち。我が母も昔はもっと柔軟だったのに、近年は妙に意固地になり、「~は、こう在るべきだ!」みたいな押し付けをして来て、口論になる事も屡々。困った物です。
http://www.eiganokuni.com/meisaku-itaria1/movie.html
少年期に大きなトラウマを持つような出来事を経験し、ファシストになる青年の話。
インテリ青年がたやすくファシズムに隷従し、かつての恩人、その妻を見殺しにする。しかしファシズムが崩壊したとき、彼はファシズムに引き込んだ友人をパルチザンに売る。
ベルトルッチは後年、「ラストエンペラー」を撮るけれど、これも、帝位を追われた後、「中華民国」→欧米列強→大日本帝国→中国共産党に隷従する清国皇帝を描いた映画でした。
両方とも美しいカメラワーク、キャスト陣、音楽、美術に目が奪われるのだけど、描いてる内容は人間の弱さ、醜さ、悲劇、なんですよね。(しかし暗殺の森のドミニク・サンダが惨殺されるシーンもやたら美しいんだよなー)
「母方の祖父は、被爆して間も無い頃の広島に入った経験が在る。」という話です。被爆から半年以上は経っていたそうですが、直後となると、御父様も嘸や御辛い目に遭われた事でしょう。
憎むべきは「原爆を投下したアメリカ(アメリカ国民と言ってしまうのは、一寸違う気がするので。)」で在る筈なのに、そうでは無く「被爆者」を疎む事で、憎悪を晴らしたかの様な事が少なく無かったというのは、何とも遣り切れない話です。
自分が「国家主義的な物」に嫌悪感を覚えるのは、古今東西の歴史から「戦争が如何に、“普通の人間”を狂わして来たか。」を痛感させられるからです。私利私欲に目が眩んだ一握りの人間は別にして、戦争は極めて普通の人達が、「此の道しか無い!」という風潮に乗せられ、そして物を言えなくなって行く中で、“流されて行った結果”の事が多い。
古典映画を見捲っていた時期が在るのですが、「暗殺の森」は未見。高い評価を受けた作品として屡々其のタイトルは目にしていたのですが、何故か見ない儘で来ました。「容易くファシズムに隷従し、近しい人間を売る。」というのは、「サウンド・オブ・ミュージック」でも見られるテーマですね。興味深い内容なので、実際に見たくなりました。
「ラストエンペラー」、仰る様に「心の弱さや醜さ等、人間の持つ負の部分を痛烈に見せ付けられた作品。」でした。“王宮”等の華麗さが際立っていただけに、余計に“暗さ”が浮き上がっていたし。